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中川敬 NAKAGAWA Takashi | 奥野真哉 OKUNO Shinya | コーキ Kohki
JIGEN | 伊丹英子 ITAMI Hideko | 河村博司 KAWAMURA Hiroshi

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プロフィール

 1988年、中川敬を中心に活動していたミクスチャー・パンク・バンドのニューエスト・モデル(1985〜1993)と、伊丹英子を中心に活動していたガレージ・ガールズ・バンドのメスカリン・ドライヴ(1984〜1993)が、自主レーベル「ソウル・フラワー・レコード」を設立。

 1989年、ソウル・フラワー・レーベルごとメジャーのキング・レコードと契約し、1993年までに、ニューエスト・モデル、メスカリン・ドライヴ双方あわせて10枚のシングルと8枚のアルバム、ミニ・アルバムをリリース。パンクに始まり、モッズ・ミュージック、ソウル、ファンク、トラッドなど、様々な音楽を旺盛に取り入れてゆく高次の雑食性に痛烈な社会批判性を伴った音楽スタイルが、日本のロック・シーンを盛り立てる。

 1992年に発表されたニューエスト・モデルの5thアルバム『ユニバーサル・インベーダー』(オリコン・チャート10位)で音楽性・人気ともに頂点を極めたのち、ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴは、1993年9月、同時解散・合体という形でソウル・フラワー・ユニオン結成。メスカリン・ドライヴの最終作として制作されていた、先住民族アイヌをコンセプトにおいたアルバムを、93年11月、ソウル・フラワー・ユニオンの1stアルバム『カムイ・イピリマ』としてリリースする(全曲うつみようこリード・ヴォーカル)。

 1994年、ニューエスト・モデル的色彩の濃い2ndアルバム『ワタツミ・ヤマツミ』をリリース。日本の土着的グルーヴと西欧的ロックンロールの、ソウル・フラワー流ミクスチャー・スタイルを確立。

 1995年、阪神淡路大震災の被災地でソウル・フラワー・モノノケ・サミット名義による「出前慰問ライヴ活動」を開始。ロック的アプローチのソウル・フラワー・ユニオンと、チンドン・ミュージック的アプローチのソウル・フラワー・モノノケ・サミットの、同時並行活動が始まる。

 1996年、被災地で生まれた<満月の夕>、その後のライヴのキラー・チューン<海行かば、山行かば、踊るかばね><エエジャナイカ>を収録した初期ソウル・フラワーの最高傑作『エレクトロ・アジール・バップ』(3rdアルバム)をリリース。8月、モノノケ・サミットは、ピースボートとともに北朝鮮・平壌公演を行なう。

 1997年、ジャズ歌謡路線のミニ・アルバム『宇宙フーテン・スイング』を発表後、モノノケ・サミットとして香港、ベトナム・ダナン、フィリピン・スモーキーマウンテンなどでライヴを敢行。中川敬は、ソロ・プロジェクト「ソウルシャリスト・エスケイプ」で、アイリッシュ・トラッドの先鋭達と『ロスト・ホームランド』『マージナル・ムーン』を制作する。

 1999年、日本の土着的グルーヴとアイリッシュ・トラッドを繋ぐ、いわば90年代のソウル・フラワーを凝縮した大作『ウィンズ・フェアグラウンド』を、最後のメジャー・レーベル作としてリリース。
ピンク映画の巨匠・若松孝二と、アイルランドでPVを制作する(<イーチ・リトル・シング><風の市>)。8月、韓国・釜山のフェスティヴァルに、日本語解禁後、公式では初の「日本語バンド」として訪韓。年末には、初のライヴ・アルバム『ハイ・タイド・アンド・ムーンライト・バッシュ』を、自主レーベルからリリースする(以降、レコード制作の場をインディーズに戻す)。

 2000年、「フジ・ロックフェスティバル」のグリーンステージで最終日の大トリを務め、伝説的ライヴ・パフォーマンスを披露。年末には初の映画サウンドトラック『アンチェイン』(豊田利晃監督)をリリース。

 2001年、名曲<荒れ地にて><サヴァイヴァーズ・バンケット>を収録した、ロックンロール回帰色の濃い『スクリューボール・コメディ』をリリース。中川敬は、沖縄民謡界のゴッドファーザー登川誠仁のアルバム『スピリチュアル・ユニティ』や、ヒートウェイヴ山口洋との別ユニット「ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション」のアルバム『アザディ!?』を制作する。

 2002年、モノノケ・サミットとして、東ティモール・ディリで行なわれた「東ティモール独立祝賀コンサート」、「フランス・ツアー」(計22公演)などを敢行。中川敬は、北方領土・国後島のムネオ・ハウス前でもライヴを行なう。8月、ソウル・フラワー・ユニオンの非戦連作の第一弾となる『LOVE ± ZERO(ラヴ・プラスマイナス・ゼロ)』をリリース。

 2003年、ベースにJIGENが加入、現在のメンバーが揃い(中川、奥野、河村、コーキ、JIGEN。伊丹は、耳の難病「音響外傷」と「子育て」の為、モノノケ・サミットに専心)、高らかに非戦を謳うコンセプト・アルバム『シャローム・サラーム!』をリリース。

 2004年、11曲入り(!)シングル『極東戦線異状なし!?』をリリース。モノノケ・サミットで台湾の「2004流浪之音楽節」に出演。

 2005年、韓国・ソウルの「Korea-Japan Road Club Festival 2005」に出演。モノノケ・サミットとしてヨルダン・パレスチナ難民キャンプでライヴを行う。7月、フル・アルバム『ロロサエ・モナムール』をリリース。年末、地方巡業用アコースティック・ユニット、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンのライヴ活動を開始している。

 2006年、6月にモノノケ・サミットの9年ぶりになる3rdアルバム『デラシネ・チンドン』をリリース。9月、ソウル・フラワーの00年代を総括した3枚目のベスト・アルバム『ゴースト・ヒッツ00〜06』をリリースしている。

 2007年、1月にニューエスト・モデルの伝説のライヴDVD『LIVE 9202』をリリース。2月、新たな米軍基地建設が計画される沖縄・辺野古ビーチにてフェスを企画・出演。6月と11月にマキシ・シングル『ラヴィエベル〜人生は素晴らしい!』『寝顔を見せて』を連続リリース。また、中川・奥野・リクオの三人による地方巡業用ユニット「ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン」が本格始動。

 2008年、3月、初のライヴDVD『ライヴ辺野古』、キューン時代のシングル集『満月の夕〜90'sシングルズ』を、6月にはマキシ・シングル『海へゆく』をリリース。9月、3年ぶりに最高傑作フル・アルバム『カンテ・ディアスポラ』をリリース。

 トラッド、ソウル、ジャズ、パンク、レゲエ、ラテン、民謡、チンドン、ロックンロールなどなど、あらゆる音楽を精力的に雑食、それを具現化する祝祭的ライヴは、日本最強のオルタナティヴ・ミクスチャー・ロックンロールと評される、唯一無二の存在として、国内外を問わず高い評価を得ている。

[2008/9月現在]


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