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ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
2004流浪之歌音楽節 2004~Migration Music Festival
date 2004/10/22(金)
title 2004流浪之歌音楽節 2004~Migration Music Festival
place 台湾・台北市大安森林公園 Grand Stage
members ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(中川=VO,G,三線、奥野=Key、河村=G、コーキ=Dr、ジゲン=B、中西智子=チンドン太鼓、うつみようこ=チンドン太鼓、樋野展子=Sax)
setlist
		1.聞け万国の労働者
		2.インターナショナル

date 2004/10/23(土)
title 2004流浪之歌音楽節 2004~Migration Music Festival
place 台湾・台北市大安森林公園 Grand Stage
members ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(中川=VO,G,三線、奥野=Key、河村=G、コーキ=Dr、ジゲン=B、中西智子=チンドン太鼓、うつみようこ=チンドン太鼓、樋野展子=Sax)
setlist
		1.美しき天然
		2.ハイカラ・ソング
		3.水平歌メドレー
		4.カチューシャの唄
		5.聞け万国の労働者
		6.アリラン
		7.安里屋ユンタ
		8.満月の夕
		9.お富さん
		10.もずが枯木で 
		11.蒲田行進曲
		12.竹田の子守唄
		13.インターナショナル
		14.さよなら港

		アンコール
		1.復興節〜東京節

date 2004/10/24(日)
title 2004流浪之歌音楽節 2004~Migration Music Festival
place 台湾・台北市中國文化大學推廣教育部 B2
members ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(中川=VO,G,三線、奥野=Key、河村=G、コーキ=Dr、ジゲン=B、中西智子=チンドン太鼓、うつみようこ=チンドン太鼓、樋野展子=Sax)
setlist
		1.美しき天然
		2.水平歌メドレー
		3.聞け万国の労働者
		4.アリラン
		5.満月の夕
		6.ピリカ
		7.安里屋ユンタ
		8.竹田の子守唄
		9.インターナショナル
		10.復興節

モノノケ・サミット台湾紀行

”通訳”の目から見たモノノケ・サミット初台湾公演 <其の一>

文: 鳳気至純平(ふげし・じゅんぺい)

 台湾の友達が今回のイベント”流浪の歌ミュージックフェスティバル”のボランティアスタッフをやっていた縁で、モノノケの記念すべき初台湾公演の通訳を務めさせていただいた。
 ライブはイベント初日のオープニングの際に二曲、二日目は公園大ステージで、三日目は大学の視聴覚教室のようなところで、と参加バンド中最多出演だった。私は学校の用事もあり、初日のライブ数時間前に南部の台南から会場である台北へ到着し、モノノケの皆さんと初対面した(ライブで一方的にこちらから熱視線を送ったことはあるが…。)
 初日はヒデ坊さんの「我是魂花(私達はソウルフラワーです)」の挨拶で始まり<聞け万国の労働者>と<インターナショナル>の二曲。曲と曲の合間にヒデ坊さんからモノノケの紹介をしたいということだったので、事前に頂いていた原稿を自分が中国語に訳して、読み上げるという形を取った。台湾でも1999年9月21日に中部で大地震があり、モノノケの結成の動機には台湾人も共感していたようだ。
 明けて二日目はメインのライブ、中川さんの「一曲ごとに曲の背景などを解説したい」という希望により、自分が舞台の袖に立ち、同時通訳を務めた。私の能力不足により締めるべき所で笑いが起こってしまったり……(後から中川さんに「ええキャラやったで」と言われたのが救い……)でしたが、ライブの盛り上がりは文句なしだったと思う。台風が接近しており、モノノケ開演に合わせるかのように降り始めた雨にも観客達は立ち去ることもなく、また椅子席前最前列部分にスペースがあってそこは雨が凌げる為、はじめからそこに人が押し寄せるという形になり、むしろステージと客席との距離が縮まり一体感が高まった。ステージ前面には小さい子供達が並んで座り、全体的には一種異様な盛り上がりを見せていたように思う。
 三日目はワークショップと言う名目だったのだが、結局ミニライブというような形になった。機材の関係で時間が大幅に遅れたにもかかわらず、そらちゃんにお菓子をあげる日本語勉強中の謎のおばさんなど、観客は辛抱強く待っていてくれた。中川さんの「社会の窓(死語?)全開」などアクシデントもあったが、途中で「すたあと長田」の紹介があり、ライブ後サイン会兼募金活動を行った。
 1999年地震で被災した私の大学院の後輩は<満月の夕>を聴いた時に震災の夜を思い起こしたと話していた。個人的には元「反共の砦」台湾で<インターナショナル>を盛大に披露してくれたのが爽快でした。中川さんが言った「この歌は権力者の歌ではなく、民衆の歌」という言葉、今回で一番印象に残った。

以下、台湾人の感想も知っていただきたいと思い、大学院の後輩で一緒に通訳を務めた許倍榕(シュ・ベイロン)と見に来てくれた游勝冠(ヨウ・シェングァン)教授にもリポートを書いてもらうことにした。(ともに鳳気至訳)

”通訳”の目から見たモノノケ・サミット初台湾公演 <其の二>

文:許倍榕(シュ・ベイロン)

 リハーサルの時の天気は少し肌寒かったが、とても気持ちがよかった。女の子(そらちゃん)が買ったばかり風車を持ってステージ上を駆け回っていた。サウンドを調整する為に演奏を中断するたびに、メンバーは楽しそうにそらちゃんに話しかけていた。それは彼女が涼しい風、そして音楽の中で、とでもはしゃいでいて、微笑ましかったからだろう。彼等は音楽に対しては真剣だが、雰囲気は自由気ままでとてもアットホームな感じがした。
 私はすっとこのライブを楽しみにしていた。昨年のサマーキャンプの時、美濃(台湾南部の一地方、客家人が多く住む)の静かな夜に、ある歌手が自分の好きな曲だと「海行かば山行かば踊るかばね」をかけてくれた。一度聴いただけで心を鷲掴みにされるような曲があるが、ソウルフラワーが正にそうだった。訳も分からず引き込まれてしまったが、その躍動感、パワーはとても印象深かった。
 10月23日のライブの夜、一曲目から彼等のエネルギーは観客達の心を打ったようだった。司会者と通訳の紹介によって、モノノケが約十年間の阪神地区における支援活動のなかで、異文化に出会い、試行錯誤しながら聴衆の聴きたいものを取り入れいるということを知った。それは一種の美しい敬意、また謙虚な気持ちであり、まるで彼等が異文化と微笑みかわしているかのように感じた。
 彼等は色々な問題に対して関心を持ちそれについて考えていて、そして音楽で表現しているのは苦痛の歴史に対する真剣な眼差しであり、そして何より人に対する揺るぎき信頼である。そして彼らの音楽は時にシリアスに、時にユーモラスにこの世界を表現しているようだ。
 ライブ中に雨が益々激しくなる中、殆どの人が立ち去ることなく更にはステージの前に押し寄せ、両手を上げ体を揺らし、歓喜をあげる人、一緒に歌う人迄いた。ステージ最前列に座った子供たちも、楽しそうにリズムを取っていた。バンドと観客、そして観客同士の距離がとても近くに感じられるライブだった。同じように地震の被害に遭った二つの国として、言葉は違うけれども、ライブの最中は何とも言えない一体感を感じた。また彼等の音楽はまるで後ろから軽く背中を押されているような力があった。見に来た人全員が心底楽しんだこの夜を忘れないだろう。

■台湾の人々からまっすぐなエネルギーもらってきました

文:中西智子

 関西を吹き荒れた台風が過ぎ去った10月21日、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットは初の台湾へと飛び立った。今回の旅は我らが姫君、そらちゃんも同行。機内のお客さんや客室乗務員さん達に愛でられつつ、無事台湾に到着。

 ホテルのある町は台北の南の方で、電気屋、家具屋が立ち並ぶ。始めて訪れた台湾であるが、見たことはない昔の日本を思わせる町並み。喫茶店でもふらりと覗いた店でも、日本語は通じないが実直な対応をしてくれるが気持ちいい。そして犬が多い。いい町だ。  ホテル近くに結構立派な公園があったので、そらちゃんを誘い訪れてみる。旅の疲れも何のその、そらちゃんは大はしゃぎ。公園では近所なのであろう子供らが道具で思い思いに遊びたおし、おじいちゃんがのんびり犬と散歩していたり、ご近所のジジババがベンチに座ってお茶など飲みつつ世間話に花を咲かせている。ストレッチ用のバーや小石を敷き詰めた通路(足裏のツボ押し。痛い!!)、落ち葉を堆肥にする容器。自然に人が集い健やかに暮らしている感じが伺える。日本だともっといかにもやっていますな感じになるんだろうな。  電気屋街の一角という賑やかな場所にぽこんとあるその一角だけ時間の流れが穏やかなようで、ああ最近こういう風景見ていないな、とぼんやり思う。そして日常に流されてこういう時間や視点を忘れている自分の生活をふとふりかえってみたりする。(翌朝早朝に公園を訪れた中川くんによると、昨日の公園で100人ぐらいが太極拳をやっていたとのこと。あまりに台湾的で、おお、と嬉しくなる。なるほど、それで公園のつくりがゆったりとしているのかと納得)。

 台湾二日目は当初オープニングパーティーのみの参加予定であったが、急遽オープニングセレモニーの賑やかしで2曲演奏することに。会場である大安森林公園は街中にあって名の通り豊かに緑が繁り、以前モノノケで訪れたパリのリュクサンブール公園を思わせる。  台北市文化庁が主催するこの”流浪之歌音楽節”は、この公園のステージを中心に行われる。緑萌える中、散歩中の家族連れやお年寄りたちが「なに?なに?」とリハーサルを見つめる。  本日のメインアクトであるルーマニアのジプシーバンド、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスはモノノケで数回共演している間柄。ここ台湾で4年ぶりの再会である。惜しむらくはニコラエ爺さんその場にいないこと。きっと握手の手を寄せ強引にハグしてきただろうに。いたずら小僧のような笑顔を思い出す。
 楽屋での待ち時間、我らが奥野とタラフのアコーディオン奏者マリウス氏のセッションが始まったかと思うと(その後アコを売りつけられようとしていた。……4年前と同様に!)いつの間にかウッドベースが入ってきて樋野ちゃんのSAXと絡み、負けじと中川くんも三線で参加と、文字通り「音楽に国境はない」と感じる瞬間。
 この日、モノノケは<聞け万国の労働者><インターナショナル>の2曲を演奏した。 どの曲を演奏するか、ということについて中川くんとヒデ坊は幾度も選曲を変更した。 とりわけ<インターナショナル>を台湾でやるということについて。周知の通りこの曲 は過去に忌み嫌われてきた経緯をもつ。オープニングで名刺代わりに演奏するには、 モノノケがこの曲を演奏する意味について言葉足らずな印象を与えるのではないだろ うかと。そして、会場に集まった大勢の老若男女のお客さんそれぞれの耳に、この曲 はどのように響くのだろう。
 それぞれの曲にはそれぞれの思いがある。言語も文化も逢えば共感で書る部分も相容 れない部分もあるだろうが、モノノケとして演奏する曲たち、それに内在する背景や 風景をこの地で演奏することの意味というか意義というか、そういうモノをこのツア ーで共有していきたいと改めて感じる。
 後から聞いた話ではあるが、実はこの日<インターナショナル>は大歓迎されていた という。「120年前にフランスのあるオヤジが作った名曲です。我々が正しいアレ ンジで演奏します」との中川くんのMCが大ウケだったとか。ほっとすると同時に、 穿った視点ではなくきちんと感じ取ろうとしてくれるお客さん連に感訂した。

 3日目、この日はメインステージでの演奏。リハーサルのあと時間があったので、 大安森林公園内にある子供公園(?)へそら娘と繰り出す。土確日だからか、テーマパ ークか何かかここは?と患うほどの人人人。娯楽施設が少ないのだろうか、遊具で遊ぷ 子供達のエネルギッシュな遊びっぶりにそらちゃんも私達も圧倒され唖然。すべり台 で頭から転げ落ちようが、我先にと遊具に登ろうがコドモもオトナもお構いなし。日 本だったら親が止めるか、喧嘩になってるよなあ。
 ちなみにこの日のそらちゃんはシーソー(日本のと速い、スプリングがついていて 楽ちん)がいたくお気に入り、ぐらんぐらんしながら眠気と戦っていた(笑)。その後 控窒に戻ってからべ−スケースの中(!)にすっぽり収まって眠る超キュート!な姿 がスタッフを魅了、メロメロになった大人たちがその姿を写真に収めるべく長蛇の列を 作っていた。癒し担当、そら娘の本領発揮。
 今回のライブでは台湾に留学中の日本人、フゲシ君がステージで通訳を勤めてくれる ことに。モノノケの選曲的に、曲の背景をお客さんに伝える際に言語の壁は少なから ず影響する。スタッフとのやりとりはヒデ坊とヨーコちゃんの英語で行なわれていた が、大勢のお客さんに伝える為に、通訳をしていただけるというのは本当にありがた い。加えて、中川くんはこっそり彼に「とりあえずみんなを笑わせたいねん」と言っ ていたらしい。なるはど笑いが起これば、おのずとステージと客席の距書はぐっと近 づく。それはどこの国でも、どんなお客さんでも同じだ。  中盤でけっこうな雨が降り出したが(台湾ではスコールが多いそう)、帰るどころ か逆にステージ前にお客さんが押し寄せ、子供達などはステージ上のモニター前に座 って(踊って!)、ぐぐつと親密な空気に。聴く側と演る側、それぞれ言語や文化は逢 えども、その場に流れるものを受け止めようというベクトルが溝を埋めていくように 感じる。  この日のライブを、中川くんは「このメンバーになってからのベストライブ」と言 っていた。確かに素晴らしいライブだった。ステージ上の全員がお客さんへ向かってひ とつの方向を見ていた。そこで発せられるモノをまっすぐに感じ取ろうとするお客さ んたちの力をたくさんもらった。  この感じ……たとえば初めて訪れた震災後の東灘区の避難所。東ティモールでのス テージ。寿町、釜ケ崎……。場所や人種やシチュエーションは違えど、その根底にあ るエネルギーのやりとりはいつもまっすぐで、真摯で、無骨で、神々しくさえ感じる。 それはステージと客席の同だけでなく、イベントの運営を担う人、バックステージで の気遣いなどそこここに感じること。ここ台湾の人間性なのだろうか、まっすぐであ たたかく、親切。

 4日目の中國文化大学内のステージでも同様に、台風が近づく雨の中、来てくれた 人たちはまっすぐに受け止めようとしてくれていた。この日はワークショップ形式と いうこともあって、曲の背景や、モノノケがそれを演奏するに至ったいきさつなどを 通訳してもらいながら説明する。特に阪神大震災のこと、そこから生まれた<満月の 夕>に関しては、フゲシ君から台湾人の女性にバトンタッチし、より細かく伝えても らうことができた。終演後もお客さんたちはなかなか帰ろうとせず、スタッフや、出 てきたメンバーを捕まえてはあれこれと熱心に質問を浴びせていた。  残念なことに用意してきたCDが前日までで完売してしまったのだが、是非手に入 れたいからとホームページのURLを聞いてくる人も多数いたようだ。

 今回の台湾でのツアーで朧気ながらに肌で感じたたくさんのこと。過去と現在にお ける台満と日本の関わり、1987年まで国民党の厳戒令下にあった台湾という国、 そこに住む人々。この短い期何で見聞きし、歩き感じたことはほんの少しでしかない。 けれど、この小さないくつもの出会いがそれぞれ起爆剤となって、中へ外へ広がって いくのだと感じる。もっとお互いを理解するために。共にこれからを生きる者として。 「台瀬は人と食べ物が最高」と聞いてきたが、確かにその通りだった。華美ではないが骨 太なウマさがあって後味がいい。屋台で食べた鴨麺のように。
 最後に、この台湾ツアーに関わってくださった全ての方々と出会った人々、そしていつ も私達を和ませ笑いを与えてくれたそら嬢に最大級の感謝を!またきっと行くぜ台湾。

”通訳”の目から見たモノノケ・サミット初台湾公演 <其の三>

文:游勝冠(ヨウ・シェングァン)

 台北の雨は遠くからの客人に対して無情に、まるでステージにカクテル光線を突き刺すように降り注いでいる。二十年台北に住んでいるが、未だにこの冷たさには慣れない。最近知ったばかりのソウルフラワーのライブを幸運にもこんなに早く見られることになった私は、今夜のライブに一抹の不安を覚えたが、それは杞憂に過ぎなかった。普段は人々の熱狂に水を差すような雨は、ソウルフラワーの熱い歌声の前では、引き立て役となり、踊りの輪に加わりに来たかのように、体を揺さぶる観衆の間をリズミカルに舞った。そして彼等の胸を打つ歌声の下、人々も降りしきる雨を厭うことなく共に軽やかに踊った。
彼等の歌声は激しく私の心を打った。それは決してヴォーカルが時折見せる見せる魅力的な視線に引き付けられたからではない。言うまでもなく、彼の視線は客席にいた多くの若者の心を解き放った。しかし私のような年齢の者にとっては、彼等の歌声が私の心から引っ張り出したのは、失って久しい青年時代の青春、情熱などではなく、更に幼き日々とその記憶である。彼等の奏でるメロディーは私の聴きなれたものであり、父母が戦時厳戒令下の苦難の歴史の中で聴いたのがまさにこの様な音楽であった。私自身このような旋律の中で育ったといっても過言ではない。それこそ、私が異国から来たソウルフラワーの旋律に共鳴する第一の理由であろう。
 ソウルフラワーは阪神大震災の時、年配の人々にとって馴染み深い歌で被災者の心を慰めた。彼等の歌う日本の祭りを思わせる旋律は、私の記憶の中では美しいものであるが、父母の世代にとっては日本の植民地支配による骨まで沁みついた傷の一つである。しかし、この苦難の混じった古いメロディーは戦後の苦悶の歳月の中で、逆に彼等の心を慰めたことだろう。日台の彼等の世代は過去の誤った歴史によって図らずも共有することになった旋律を媒介として、日本と台湾の二つの地で、美しき「ソウルフラワー」を咲かせたのではないか、それは私にもわからない。

■モノノケ・サミットご一行、台風と共に台湾へ行くの巻

文:樋野展子

 ……少し前からスコールのかかった会場はしかし、客席を埋める人々の作るものすごい力の波でもって揺れていた。その根源となる“人の気”の鮮度と美しさに思わず息を飲む。私はハラいっぱい楽しい思いで演奏しながら、目の前で起きている風景に見惚れていた。  音楽の勢いが、ここまで人間をつき動かす原動になるという実感。それを、我々は異国の地、台湾で今まさに体験している。何度となく繰り返してきたはずのこの感触が、異国の地でも同じものなのだという素直な感動があった。
 モノノケは唄う。音楽が唄う、人の気が動く。 音楽に反応する人々の陽気が確実に我々に跳ね返り、そこに行き来するモノが生まれ、音楽が音楽となっていく。これは、ヒトの極めて本能的感覚的に近いトコロに関わっていて、音を発する側と、それを受け取る例の存在があってこそかなう奇計である。今、我々の自の前で音楽と空に拳を振り上げているその人達の姿に理屈はない。
 音楽も文化も異なる国の人同同士でさえ、共に揺れることのできるしかけが音楽にはある。いや、音楽そのものにではなく、向かい合うヒトの中にそれを受け止める根拠があるからこそのことであろうと私は思っている。そして、その発信元にいる我々はその責任と喜びを大いに自覚しているつもりだ。
 何だか想いにもならない、色んなもんが込み上げる。けど、吹く。吹かねばならん。いや、吹かしてくれ。吹きたい。届け、届け、とこれはど祈ったこともなかった。何を届けたいのかはわからない。ただ、向き合った人々のあまりに生き満ちた表情が素晴らしい。バしとっ何かを受け止めた人の気が、ヨロコビの大波となってこっちに押し寄せてくるのが、嬉しい。
 中川隊長のカッと開いた表情から出る、深い深い唄たち。着物を着たヒデさんのすっごく美しいチャンゴの叩き姿。奥野くんの音もよーく聴こえて今日は一段とSAX音とうまいこと絡んでる気がする。私の真ん前で、潔い声のハリとチンドンの叩きっぶりを見せる洋子さんもかっちょええし、私の隣にいる、今日は妙に素敵服の河村氏のベースも演奏の重要な頼りでありキモである。智ちゃんは相変わらず小さい体で元気よく動いてて、こっちまで楽しい。私はというと、妙な責任めいた緊張をかみしめつつ、音を発する表現者の端くれとして、めいっばいステージを謳歌したのであった。この場を楽しむことのできるだけの自分がちゃんといたことも、まことに感謝であった。メンバーにもそれぞれに想いがあるんだろうけれど、きっとこれとさはど遠くない 感触を同じように味わっていたに速いない。
 神様、ありがとうございます。あの時、このソプラノを手にしてなかったら、あのスタジオにいなかったら、あの時、……ものすごい集中力でもって演奏しながら、妙な走馬灯が走った。美しい音楽と人の波にスコールがかぶって、いつしかステージの縁に束になって二コニコと並ぷ子供に我々が唄いかける、夢のような風景を眺めつつ、ああ、死ぬ間際に思い出す風景がまたひとつ増えたな、などと私は考えていた。
 こうして、台湾のメインステージはお客様にも我々にも全く大盛況のうちに終了したのであった。「また来年!」とあちこちから掛けられる挨拶がとても心地よく、その言葉は名残惜しさと共に我々の胸に強く確実に響き、残った。

 現場ではタラフも一緒であった。久々の再会にも関わらず、メンバーの1人が「おまえは別のバンドにいたはずだ」などと言う。おお、素晴らしい記偉力。実際、数年前に彼等が来日した際、私はLIVE!LAUGH!としてタラフの前座をツトメていた。そして何とその際共にご一緒したのが何を隠そう、この“モノノケ・サミット”であったのである。(後、まさか自分がモノノケのヒトになるとは思ってもみなかったが)ご縁あって私はここのメンバーになったのだと説明すると「それは楽しい話だ」とばかり、彼らはやおら楽器を取り出し、(黒い瞳〜)かなんかを奏で始めたのであった。最初の餌食になったのは勿論アコーディオンを抱えている奥野氏であった。こういう楽器を担当している以上、避けられない宿命である。こうなると、私も加わらん手はない。中川隊長も加わり、楽屋でしばし国際親善JAMが繰り広げられた。片や、洋子さん・ヒデさん共にスタッフとの打ち合わせをしてくれている。そら嬢は智ちゃんのチンドンのそばから離れない。緊張の中にあって、しかしなんだかゆったりと楽屋のひとときが過ぎていった。

 台湾初日、東京組と関西組は出現地で合流後、あわただしくホテルに向かった。結構な大所帯なので、移動バスの中はさながら大人の遠足状態である。楽しい。バスのくせに軽自動車のように軽々しくぷっとばす運転作法にひるむ我々を尻目に、そら姫は車中所狭しと動き回る。  今回は、少々余裕のあるスケジュールだったので、帰国までの数日間(後半は台風に見舞われたが)はめいめいがある程度自分のペースを確保しながら、つかの間の台湾を暮らせたように患う。
 うまいこと時間を見つけて、買い物なんかもしたりして。台風の中を縫ってヒデさんも洋子さんも結構出かけてたらしい。ど根性である。ある夜、ヒデさんのお部屋で個々の購入商品のお披露目が始まると、私はスキをみて購入していた緑のサテンに派手な刺耕入りの“気のふれたよ−な”ジャケットを提出。ヒデさんと洋子さんが試着したが、かっちょええんだこれが。すると、靴やらパンツやらがあちこちから出るわ出るわ。こうして大人の女たちの楽しいの夜は暮れていったのであった。
 果たして、メシもうまかった。事実ここに住んでしまいたいと思える程、この国の食べ物にはグッときたね。例えば、街に点在する生ジュース屋はツボの根源であった。店頭に居並ぷ多種のフルーツのジュースを色々なトッピングと組み合わせて頂く(河村くんオーダーの漢方薬ゼリー入りジュースは衝撃的であった)。ともかく口にするものがいちいち美味い。
 何がよかったって、夜の街にみんなで繰り出して、大勢で円卓を囲んでうまいうまいと言いながら美味しいものを一緒に食べれたのが妙に楽しかったねぇ。ちょっと照れるけど、ホントにそう思ったんだ。
 滞在期間の後半、近年にない大型台風に見舞われた台湾は各地が大変な被害を蒙った。何よりこの間、日本の中越が大きな地震の被書を受けたニュースを知った我々は愕然とした。あまり情報の入らない状況で、10年前の神戸を思い、今の中越を患い、祈るしかなかった。

 この町にいて、実は一番印象的だったのが、日本語を話せる方が多いという感触である。歴史上当然の事態ではあるけれど、心中は複雑であった。奇しくも我々が台湾にいた25日は台湾光復節」の日。日本人の我々に向けて、終始暖かく接して下さった台湾の諸兄方の姿を思い返さずにいられない。
 今回、その時代を生きた人々の前に、今現在の我々の姿と大切にしている音楽の一部をこんな風にさらけ出すことができた。これは、文字通り国を超えた個々のヒトの中で何かが始まるための貴重な一歩であったのだと今にして思う。企画スタッフがしきりに『次回ね』と言って我々を次々に抱きしめてくれた宝物のような思いは、聞達いなくこの旅一番のお土産である。次がある、隣人と共に我々には進むべき“前”があると、しっかりと打ち返された感触を大事にする誇りを、私はきちんと掲げていたい。

 軽ーく書くつもりだったレポだが、エラく正直に書いてしまった。モノノケの音楽の周辺でどんなことが起きたのか、匂いでも頂くことができれば幸いだ。そしてこんなおもろい旅をまるで超台風のようなこのメンバーと歩けたってことが、私にはやっばり大事な出来書であったのです。Lovin'you!



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