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こんちくしょう〜障害者自立生活運動の先駆者たち
  (2007年 日本)
  監督: 村上桂太郎
  原題: KONCHIKUSHOU
  主要舞台: 日本
   

  あらゆる場所で語り、また、書きもしてきたので、ご存知の方もおられることであろう、阪神障害者解放センターの福永年久さん。1995年1月後半、震災後間もなく放映された NHK教育テレビ『明日の福祉』の「被災地特集」に出演していた彼の、番組中の発言(※)は、その後の我々ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの被災地神戸での演奏活動に大きな影響を与えた。「被災地出前ライヴ」の、その動機・出発点に彼は確実にいたし、今でもソウル・フラワー・ユニオンの大阪公演会場でのその大きな存在感により、「ああ、あの重度のCPのオッチャンか」「あの車椅子のオッチャンね」と想起される方も多いことであろう(ライヴ・ハウス、コンサート・ホールというのは、見事、健常者中心に作られ、また、そのことへ一筋の疑問をも差し挟まずに、多くの「我々」はそこで「音楽」する)。

  その福永さん、このたび強力なドキュメンタリー映画を作られた(製作総指揮)。それが本作『こんちくしょう』。サブ・タイトルにあるように、福永さんが障害者自立生活運動の先駆者たち・先輩たちを訪ね歩き、得た証言によって、約四十年にわたる重度障害者の自立・解放への闘いの軌跡を炙り出してゆく。
  語り部は、幼少期・児童期、戦中・戦後を生き抜いた三人の七十代の重度障害者。1928年生まれの田部正行さん。1933年生まれの横田弘さん。1937年生まれの木村浩子さん。国家行政による何の制度もなく、重度障害者が在宅や施設に当然の如く監置されていた時代を経て、1950年代以降、「しののめ会」「ともし火の会」「ひかりの会」「青い芝の会」などが創設され、多くの重度脳性マヒ者が声を上げ、生存権を訴え、「自立」を獲得してゆく。そして、本作を構成するのはまさしくその時代の当事者による証言であるが故に、ひとつひとつの言葉は重く、また当然、健常者(able-bodied person)にとって極めて貴重だ。木村浩子さんが数十年前に自立生活を始めたばかりの頃を回想しながら「生きるのが楽しいと知った」と語る場面は、俺の胸を強く打った。

  「高度経済成長を迎え、親・家族の要望を踏まえた“重度障害者全員の施設収容”へと国が動きはじめようとしていたまさにその時、3人は自立生活へと歩んでいく。そして彼らは障害者を排除して止まない社会を告発し障害者の生存権を強烈に主張する運動へと踏み出していく……」(チラシの「あらすじ」より)

  映画は、彼らの命の重みをかけた言葉によって、結果、障害者自立生活運動の不屈の闘争史を映し出す。立ちのぼるのは、健常者中心社会で当たり前のように鎮座する「我々」の鈍感さ。「愛と正義」に疑いを挟まない「心優しき」健常者の鈍重な眼差し。障害者への社会的寛容が逆に不明瞭にする、当節の、鵺のような差別構造……(『障害者自立支援法』なんて、まさにその極み)。しかし、何よりも観る者に迫るのは、真剣に生きてきた彼らであるからこその「泣き笑い」だ。極貧の「自立」暁行や、激しい告発としてあった青い芝の「過激な」闘争を、「楽しかった」と回想する彼ら。若い世代の障害者へのメッセージが本作の主題と思われるが、障害者・健常者を越えて、「生とは?」「自立とは?」という問いへの回答の一片がここには、ある。本作を徹頭徹尾、貫いて、ある。そして、怒ること、声を上げること、異議申し立てすることの、あるべき作法がここにはあるのだ。

銀幕をはみ出さんばかりの、生の充溢。胸打つ言葉・場面は、多々あるが、ここでは引用・詳述しない。まずは観て欲しいからだ。
DVD販売の予定や公開の情報はこちら(特定非営利活動法人・障害者生活支援センター遊び雲 HP)。
  『こんちくしょう』、必見! そして広報せよ!

  「自分の状況を超えていくためには、脳性マヒ者は黙ってるわけにはいかないよ。(中略)“こんちくしょう! 俺の言うことを聞け! 俺の言うことを聞け! こっち向け! こっち向け! きみ達、よく考えろ。きみ達は俺達を差別してるんだぞ。何でそれがわかんないの?”と。」(横田弘)

  (※)『福永年久・自立30周年記念』の文集に寄稿した、このあたりのことに詳しくふれた拙文がある(2006.10.7記)。長いが以下に引用する。

  あらゆる場所で語り尽くした話ではありますが、我々ソウル・フラワーにとっての大転機、阪神・淡路大震災時の「被災地出前ライヴ」にかかわっての多くの「出会い」ほど、俺の人生に多くのことを教えてくれたものはありません。
  「何はともあれ『被災地出前ライヴ』をやろう」とメンバー間で決め、その用意、選曲・練習、ボランティア団体との連絡などに明け暮れていた1995年1月末、震災勃発から10日程経った頃のことでした。
  普段阪神の試合(サン・テレビ)以外テレビなどあまり観ない俺は、連日、映し出される被災地の報道に「釘付け状態」。当初、震度5であった北摂在住者の俺は、凄惨な映像を前に、最大余震を怖れる「被災者」として被災地を客観視していたのでした。
  そんな中、より普段観ることのない NHK教育テレビの福祉系番組に、強力な男が登場しているのをたまたま観かけることになったのでした。福永さんとの、電波を通しての一方的な「出会い」です。
  その「強力な男」は、画面の中でこんなことを吠えるのです。「今、神戸の街自体が“障害者”。ずっと“障害者”やってきた俺らこそが、こんな時こそ動かなアカン」(ちょっと不確かやけど)。まさに憤怒の声、圧倒的な魂の声。お前は何をやっとんねや!と、頭をぶん殴られたような衝撃でした。その当時の感覚で言うなら、「カッコエエやん、このオッサン!」。
  その辺のくだりを以前、秋田恵美子さんの自立生活20周年記念文集にも書いたので、以下引用します。
  「その後の、1995年2月中旬から始まったソウル・フラワー・モノノケ・サミットの被災地出前ライヴでの強烈な体験は、勿論この場で書き切ることなど出来ようもないのですが、それまで障害者の人々との関わりなど殆どなかった我々に、心の扉をこじ開けてやって来た“最初の障害者”は、まさに画面の中の福永さんなのでした。1月末の段階で、すでに被災地ライヴの予定は決まっていましたが、“その声”は我々にとっての“最後の一押し”。音楽ぐらいしか出来へんけど、とにかくまず神戸へ行こう! このオッサンらとも何かやりたい! そんな感じの“出会い”がまずあった訳です。無数に行った被災地出前ライヴの活動を通して、それまで縁のなかった“障害者運動”とも出会い、その“現場”での演奏の機会は、我々に多くのことを教えてもくれました。健常者中心のライヴ・ハウス事情。健常者中心のライヴ構成。1995年当時、我々ロック・ミュージシャンにそれまであった“当たり前”は、見事に覆されたのでした。枚方で“自立生活”をしている重度のCPの友人に、“車椅子押し方講座”をやってもらったり、“障害者運動”の歴史を教えてもらったり……。いろいろな障害者団体からお呼びがかかり、そのライヴで、音楽の持つ本質を再発見したり……」
  その後、ソウル・フラワー・ユニオンのライヴ会場で福永さん達の姿を見かけるたびに、いつも「初心」を思い出し、「おい、おまえら、魂込めて音楽やってるか?」と喝を入れてもらっているような気がするのです。
  自立生活30周年、おめでとう!!
  (30年前っていったら、俺10歳!?)
  これからも一緒に「祭り」をガンガン作っていきましょう!