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こうのとり、たちずさんで
  (1991年 ギリシャ=フランス=スイス=イタリア)
  監督: テオ・アンゲロプロス
  原題: TO METEORO VIMA TOU PELARGOU(THE SUSPENDED STEP OF THE STORK)
  主要舞台: ギリシャ
    *「テオ・アンゲロブロス全集DVD-BOX II」に収録
発売元:IMAGICA・紀伊國屋書店
販売元:紀伊國屋書店
商品番号:KKDS-131
価格:¥17,640(税込)

  1980年代の「沈黙三部作」(『シテール島への船出』『蜂の旅人』『霧の中の風景』)を経て、本作『こうのとり、たちずさんで』でアンゲロプロスは、始めて明確に視覚化された国境を描いた。確かに「国境」は、長編第三作目の『旅芸人の記録』以降、アンゲロプロスにとっての大きな主題でもあった。しかし国境が、暗示にとどまらず、「具体的に」姿を現したのは、全作品中、本作が始めてではないか。
  国境の馬鹿らしさは、「具体的に」国境に立てば分かる。俺自身の経験に則して言えば、1996年8月、南北朝鮮を分断する板門店の停戦会談場の、軍事分界線(北緯38度)の手前約10センチの所に「たちずさんだ」時の感慨だ(『JSA』の項参照)。
  実際に地面にペンキで書き引かれた国境線。小銃を向け合う南北朝鮮の兵士。とはいえ、北側から立ち現れた派手な日本のロック・ミュージシャンに、韓国兵達は、まず驚き、こちらの笑顔に、笑いながら手を振り返したりもする。一触即発であるはずの空間。しかし、そこにいた、国境線によって分け隔てられた人間達は、間違いなく、えも言われぬやりきれなさを抱えた微笑のまま、否応なく人間臭い風情を作り出してもいた。
  人為的概念でしかない国境を、あたかも宇宙の法則かのごとく論じる阿呆らしさ。そう、言うまでもなく、国境問題なんてものは人間の内面的問題でしかないのだ。
  ベルリンの壁が崩壊し、イデオロギーのボーダーが瓦解した1990年代初頭、アンゲロプロスは、あえて主題を「国境」に置き、「内なる国境」を越えざるを得なかった「大物政治家」と、国境地帯で足止めを食らっている難民達との、精神の交叉するところから、人間讃歌とでも言うべき崇高な詩を立ち上らせる。いわば「魂の帰郷」の交響楽である。
  もちろんここでの「国境」は、物理的国境のみならず、対立する価値観や解決不能な相互理解など、幾重にも重なり合うあまたの「境界」のことでもある。
  主役に抜擢されたのは、『蜂の旅人』(1986年)以来、二度目の起用となる名優マルチェロ・マストロヤンニ(「テオの映画ならいつでもどんな役でも出る」)。ジャンヌ・モローとは、愛の不毛を描いたミケランジェロ・アントニオーニの『夜』(1961年。モニカ・ヴィッティ!)以来、三十年ぶりの共演だ(実際、大俳優の競演は素晴らしかった。完璧!)。
  司教の撮影妨害による中断(※)が話題になった本作、原題の直訳は「こうのとりの中断された一歩」である。

  舞台は、冬の北ギリシャ・フロリナの、河と湖が三つに国を分かつ国境地帯(アルバニア、マケドニア)。「待合室」と通称される、難民達の仮の居住区は、老若男女のトルコ人、クルド人、ポーランド人、ルーマニア人、アルバニア人、イラン人などなど、保護を求めて越境して来た故郷喪失者達が、入国許可をなかなか出さない当局によって足止めを食らっている、かりそめの共同体だ。彼らは電線を修復するのが仕事である。
  国境の難民取材に訪れているTVリポーターのアレクサンドロス(グレゴリー・カー)は、国境警備兵の大佐(イリアス・ロゴテティス)に導かれ、橋の中央の三色に色分けされた国境線に近づく(青はギリシャ、白は中立、赤はアルバニアか)。大佐は、飛翔寸前のこうのとりのように、片足で国境線上にたちずさみ、こう言い放つ。「一歩踏み出せば“異国”か、死か。それが国境だ」
  アレクサンドロスは、広場の市で見かけたジャガイモ売りの初老の「男」(マルチェロ・マストロヤンニ)が気になっている。アテネのTV局の試写室で、そのジャガイモ売りの映像を何度も観るアレクサンドロス。そして、その「男」が、十年前に地位を打ち捨てて失踪した「大物政治家」と同一人物ではないか、と思い至り、さっそく調査を始めるのであった。
  「大物政治家」の夫人(ジャンヌ・モロー)は、現在再婚生活にある為、当初アレクサンドロスの取材協力を断るが、のち、留守番電話に残された「大物政治家」の最後の言葉のテープを持って、アレクサンドロスの自宅へと現れる。
  軍事政権崩壊後のギリシャ政界の期待の星であった「大物政治家」。夫人の口から、「大物政治家」が謎の失踪から四十日後に一度、記憶喪失になって夫人の元に戻って来たこと、そしてその後二人で旅に出たこと、などが語られる。「彼は死んだの」と言い放つ夫人……。
  再び国境。アレクサンドロスは、ある難民の「少女」と愛を交すが、その「少女」の父親があの「男」だったので驚く。「男」は、アレクサンドロスと酒を酌み交わし、吐露する。「国境は越えたが、まだここにいる。家に着くまでに、何度国境を越えることか?」
  クルド人同士の言い争い。クレーンで空中高く吊り下げられたクルド人の死体。大佐は言う。「混沌だ。悪魔にだって分からん。自由になろうと国境を越えて来たのに、別の国境でがんじがらめだ。争うのがクリスチャンとモスレムか、トルコ人とクルド人か、革命派と反動派か、何も分からん」
  「大物政治家」の夫人が国境へ到着する。「男」と対面するが、TVモニターの中の彼女は、「違う。彼じゃないわ」と言い放ち、歩き去ってゆく。
  ある日、河(国境)を隔てて暮らす、同じ村のアルバニア人同士が、無事を確認し合う、年に一度の儀式を行う。今年は結婚式も重なっているが、何とあの「少女」が花嫁で、対岸で暮らす男が結婚相手だ。
  儀式も終わりかけた頃、遠くから聞こえる銃声で人々は蜘蛛の子のごとく散り散りに。河と銃声が分断する共同体。そのさなか、「男」はまたもや行方不明になるのであった……。

  クロース・アップを殆ど使わないアンゲロプロスが、珍しく本作で、二つの長いクロース・アップを挿入している。ジャンヌ・モローが夫のことを告げる二カ所である(「彼は死んだの」「違う。彼じゃないわ」)。「TVリポーター」という人物設定を選択したことによって、「TVモニターの中に映るジャンヌ・モロー」という情況を可能にしている訳だ。この一見唐突なクロース・アップによってかなった、前後のシークェンスとの「隔絶」は、アンゲロプロスの映画世界とテレビ的映像世界との「隔絶」でもある。そして劇中、ついでに、TVリポーターに自分の職を自己批判させてしまうのである。以下のアンゲロプロスの「クロース・アップ論」は、彼の映画文法を理解する上で重要だ。
  「言うまでもなく、すべてが行方不明者を巡って展開しているので、謎は全体を通じて保たれなければなりません。その為、この人物には決して近づきすぎることが出来ません。こうした状況下では、クロース・アップは不道徳で、プライバシーの侵害になるでしょう。この人物が自分のアイデンティティを明かすことを拒んでいるだけに、なおさらです。のちの彼の決心を具体的なものにし、彼を事実と虚構の間の曖昧な領域にとどめておく為には、その謎を謎のままにしておくことが重要です」(アンゲロプロス)
  はからずしも、バルカン半島の次なるディケイド、90年代の激動のうねりを予見した本作には、アンゲロプロスの「政治の拒否」の表明もある。議場の演壇でマストロヤンニが「時には、雨音の背後に音楽を聴く為に、沈黙が必要なのです」と言い放ち、立ち去るシーンだ。政治理論やイデオロギーの無能ぶりを、アンゲロプロスが静かに「告発」する印象的なシーンである。偽りに満ちた理論よりも「人生の真の音楽」(アンゲロプロス)の方こそがより重要なのだ、とアンゲロプロスが表明しているかのようでもある。
  我々の生きるこの時代は、国家的アイデンティティの不毛が暴露され、息も絶え絶えの国家が否応なく「個人」を浮上させる、そんな時代でもある。故郷から追い立てられた者達。当節それは人類すべてに当てはまる。「国民」なんて何処にいる! アンゲロプロスの人間主義は、常にさりげない「連帯」を黙想的に謳い上げ、唐突に「わしらの家はあんたの家だ」(本作中の「男」の台詞)と言い切るのだ。「問題」は宙づりにされたまま、すべての作品で「解決」させないアンゲロプロスの、その旅はまだまだ続くのである。
  「私達は皆、ある場所から別の場所へ移動する渡り鳥だと思います。実を言えば、私はしばしば自分の国でよそ者であるように感じます。時々、ちょうど映画の中のマストロヤンニのように振る舞って、自分が故郷における政治的難民であると告げたくなります」(アンゲロプロス)
  我々は、家に着くまでに、あといくつの国境を越えなければならないのだろう?

(※)撮影を行っていた北ギリシャ・フロリナ地区の司教アウグスティノス・カンティオティスが、徹底的に本作の撮影を妨害した事件。司教は「この映画を撮ることは許されないであろう。何故ならそれは、愛国心も道徳心もない作品であるからだ」と声明を発表し、「アンゲロプロスと一緒に働く者は、全員、ギリシャ正教から破門する」と脅しをかけた。二ヶ月にわたり、司教と狂信者による、野外撮影の妨害や脅迫は続いた。その際、世界中の映画監督、黒澤明、ヴィム・ヴェンダース、大島渚、マーティン・スコセッシ、タヴィアーニ兄弟らが、連帯表明の激励の電報を打ち、のちに「何よりも有り難かった」とアンゲロプロスは語っている(ヴァルター・ルグレ『アンゲロプロス〜沈黙のパルチザン』に詳しい)。