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風が吹くまま
  (1999年 イラン=フランス)
  監督: アッバス・キアロスタミ
  原題: BAD MA RA KHAHAD BORD(THE WIND WILL CARRY US)
  主要舞台: クルディスタン
    発売元:IMAGICA
販売元:ジェネオン
DVD販売中:¥4,935(税込)

  カンヌのパルムドールを受賞した前作『桜桃の味』(1997年)で「自殺」を通し「生」の躍動を描いたキアロスタミは、本作『風が吹くまま』でも「死」を通して「生」を見つめることに主題をおいた。思い返せば、「ジグザグ道三部作」の第二章にあたる『そして人生はつづく』(1992年)で既にキアロスタミは、大震災で壊滅的な被害を被った寒村の大いなる「生」を謳い上げている。「死」を巡って、人々の続きゆく人生の逞しさや愛らしさを、埋もれゆく一遍の詩のごとく描き上げるキアロスタミの「絵」は、素朴な美しさに満ち溢れている。
  そして、キアロスタミの映画に通底してある「自問」がここでは重要。「近代文明」が「野蛮」を好奇の目で観る、フィールドワークする者の無邪気な愚かさ、である。信仰、貧困、差別、無学……。常に対象をマージナルなものに置くキアロスタミであるからこそ、越えなくてはならない命題としてそれはあるのだろう。
  あるテレビ番組のディレクターがクルドの寒村に於ける風変わりな伝統的葬送を取材しようとする、というのが本作の大枠のプロットだが、この主人公のディレクターは、おそらくキアロスタミ本人であるし、また本作を観る我々自身でもある。主人公の心理のたゆたいを「感じる」ことによって、観客も、またおそらくキアロスタミ自身も、世界に散在する、あまたの素朴な「生」の充溢に出会い、「自問」することになるのだ。
  「近代文明」は常日頃簡単に回答を導き出そうとするが、我々は実際のところ、風が吹くまま其所此所に芽吹いている「生」に対峙して生きているのか? そんな剥き出しにされた重厚な問いかけがここにはある。

  舞台は、テヘランの北方七百キロにあるシアダレというクルド系住民が住む寒村。珍しい伝統的葬送儀式の存在を聞きつけたTVディレクターのベーザード(ベーザード・ドーラニー)は、数名のクルーを引き連れ、テヘランから車で取材にやって来た。葬儀の実地調査ということは、裏返せば、死を期待しての探訪でもある。当然村人には取材の本義を伏せ、宝探しだと偽っている(村人は勝手に電話技師だと思っている)。
  しかし、一行がシアダレに到着しても、瀕死のはずの老女がなかなか死なない。案内役の小学生ファザードから聞かされるのは、お婆さんの容態が持ち直した情報ばかりだ。こうして一行は、僻地の寒村で、なすすべなく日々を送ることになるのであった。
  ベーザードの携帯電話には、引っ切りなしにプロデューサー・グダルジからの催促の電話が入るも、電波の状態が悪いため、いちいちその度、村で一番高い丘まで車を走らせなくてはならない。なかなか死んでくれない老女。グルダジのしつこい催促。不満募るクルー達から迫られる決断……。
  そんなある日、ベーザードは、井戸掘り人夫の生き埋め現場に遭遇する。必死の急報により井戸掘り人夫は救出され、ベーザードはやって来た医者に、ついでに例の老女を診察して貰う。医者のバイクに乗って町まで老女の薬を取りに行くベーザード……。
  翌朝ベーザードは、老女の死を知るも、葬列の遠景のみカメラに収め、墓場で拾った骨を小川に捨て、車でシアダレをあとにするのであった。

  何でもかんでも見せてくれ、また説明し尽くしてくれる凡百の映画に叛旗を翻すかのように、本作のキアロスタミは「情報」を徹底的に削ぎ落とす。観終わって気づいてみれば、観客は、瀕死の老婆も、TVクルーも、プロデューサーも、井戸掘り人夫も、その恋人も、電話の家族も、「見て」はいないのだ。観客は想像力で見えないものを補うしかない。「映画の完成」は観客に委ねられているのだ。荒涼とした山々と一面の麦畑。山肌にへばりつくように存在する、白レンガと漆喰の簡素な集落。素朴に芽吹く命。そして立ち上るのはベーザードの葛藤である。「それぞれのイマジネーションで創られたキャラクターの顔は、映画を見た観客の数だけあるのです」(キアロスタミ)
  劇中いたるシークェンスで印象的な台詞や詩が登場するが、中でも、バイクを運転する医者が後部席のベーザードに語りかける言葉がいい。「老衰よりも酷いものは、死だ。神が与えてくれた美しい世界が、もう見られなくなってしまう。天国は美しい所だと人は言うが、私にはブドウ酒の方が美しい。響きのいい約束より、目の前のブドウ酒だ」
  引っ切りなしに鳴る携帯電話の電源をついぞ切らず、律儀にいちいち丘の上まで車を走らせるベーザードは、まさに我々そのもの。何となく忙しい人達よ、是非この映像叙事詩に「感じて」くれ。
  ちなみに本作、キアロスタミが「善人にも悪人にもとれる顔」として起用した主人公役のベーザード・ドーラニー以外、徹底して現地の素人が起用されている(ベーザードとて本業は俳優でなく撮影技師だ)。