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ジェニン・ジェニン
  (2002年 パレスチナ)
  監督: モハマド・バクリ
  原題: JENIN JENIN
  主要舞台: パレスチナ

  世紀の戦争犯罪人であり人種差別国家イスラエルの現首相でもあるアリエル・シャロン。「9・11」以降の、「対テロ戦争」の口実を得た多くの世界中の為政者の中でも、いち早くその残虐性をむき出しにしたのがこの男だった。
  第一次中東戦争(1948年)の従軍に始まり、第二次(1956年)、第三次(1967年)、第四次(1973年)、レバノン戦争(1982年)と、イスラエルが引き起こしたすべての戦争に上級将校・指揮官として参加した名だたる超タカ派。レバノン戦争でのサブラ・シャティーラ虐殺事件(国防相時代)、ガザ地区とヨルダン川西岸地区への大規模な入植地建設(住宅相時代)、アル・アクサ・インティファーダ(※1)のきっかけとなったイスラムの聖地への挑発的訪問(「エルサレムは全てイスラエルのものだ」発言)、パレスチナ自体を収容所化する隔離壁の建設、難民キャンプへの度重なる軍事侵攻(※2)などは、ブルドーザーと異名を取るこの男、世紀のゴロツキ、アリエル・シャロンの指揮によるものだ。
  そして2002年4月、そのシャロン指揮下のイスラエル軍によって引き起こされたのが「ジェニンの虐殺」だ。ジェニンはヨルダン川西岸地区の北端に位置する難民キャンプ。六百メートル四方ほどの居住区で暮らす一万五千人のパレスチナ難民(約半数が十八歳未満の子供)が、イスラエル軍の二週間に及ぶ無差別な爆撃に晒されたのだ。この軍事侵攻で、住む家を失った者がおよそ五千人、二千人以上の人々が拘束され、数百人が負傷、確認されただけでも五十四人が虐殺されている(パレスチナ自治政府側の主張では約五百人。犠牲者数にはあらゆる説が存在する)。その殆どが子供を含む非戦闘員、高齢者や動けない人々だ。
  「何にいらいらさせられるかと言えば、何人のパレスチナ人を一度に殺したらそれが虐殺と呼ばれるだろうか、と考えてしまうことだ。昨晩寝ている時に父親と息子二人が殺されたことは虐殺と呼ばれないのだろうか。難民キャンプの通りで遊んでいる子どもが殺されることは虐殺と呼ばれないのだろうか。二週間の間に六十人のパレスチナ人が殺されたことは虐殺と呼ばれないのだろうか?」(ガザ地区のパレスチナ人)

  本作『ジェニン・ジェニン』は、「ジェニンの虐殺」に於けるイスラエル軍の信じ難い蛮行、アパッチ・ヘリの無差別攻撃、パレスチナ捕虜達に向かって突進する戦車、瓦礫と化した家々を死体もろとも平らにする大型軍用ブルドーザー、廃墟と化した街並み、腐乱した犠牲者の遺体などなど、実写映像と、難民キャンプ住人の目撃証言で構成されている、恐るべき戦争犯罪を捉えたドキュメンタリー映像だ。
  ジュネーヴ協定を無視したイスラエルは、証拠隠滅の為に、国際赤十字の救急車がキャンプ内へ入ることも、水・食料・医薬品の搬入も、国連の特別調査団の受け入れも、すべて拒否し、当初この悪逆非道が正確に世界へ伝わらなかった。その後、酷いことに、一部の人権機関や国連の「大虐殺はなかった」という発表を真に受けた日本のマス・メディアは、「ジェニンで虐殺はなかった」と報じ、事実を完全に歪曲させたのだ。のちにその凄惨な実態は明らかにされてゆくが、世界がジェニンを見た、というには程遠いのが現状。当然、マス・メディアに反省の色などこれっぽっちもない。相も変わらず大いなる無関心がこの世界を暗雲のごとく覆っている(そういえば当時「ジェニン難民キャンプを廃墟にした男」のインタヴューもあった。→www.hiropress.net/column/020613.html)。
  そこで本作だ。イスラエル軍のあまりに残虐な悪逆非道ぶり、ジェニンの人々の被った凄惨な犠牲、地獄図のような街の光景に、胸が詰まり、言葉を失うが、世界が事実を直視し実態を知ろうとしない限り、パレスチナの人々にも、世界にも、未来はない。

  以下に本作中の住人達の証言の一部を引こう。
  「八日連続で砲撃された。戦車、飛行機、銃で。(中略)ブルドーザーで寝てる人ごと家を潰した。飛行機で上から壊し、ブルで残りを潰したんだ」(初老の男性)
  「俺は白旗を掲げて立ってた。そこへ突然戦車から“動くな!”と命令だ。兵隊が戦車でやって来て“脱げ!”と言う。俺はズボンまで脱いだ。“なぜ全部脱がない?”と聞くから、言ってやった。“俺は年寄りだ。殺されたって嫌だ”と。何人かは真っ裸だった。兄弟姉妹の前で。弾よけにされた子供達の前で。奴らは子供達に家を壊させていた。時間を測っていて、“遅いと殺す”と脅すんだ。子供達は少しでも速く壊そうと必死だった。壊し終わると、奴らは子供達を殺しやがった」(初老の男性)
  「わしは寝てた。拡声器で起こされた。校庭へ集まれと言うんだ。服を着て出た。近くの窓にいた兵隊に手を撃たれた。ショックで倒れた。兵隊が言った。“死にたいか、うせろ!”。“立てない”と答えたら、今度は足を撃たれた」(病室の老人)
  「動くものはすべて撃たれた。猫までもだ。なぜ素手の子供を撃つんだ?  なぜお婆さんを撃つ?  なぜ両手を挙げてる若者を戦車で轢き殺すんだ?  奴らは知恵遅れの人、女、子供を撃った。まだ使ってないのは核兵器だけだ。空から殺虫剤を散布するがいい。なぜ運命はこんな連中を送り込んだんだ?  本気で奴らと平和に暮らそうとしてたんだ」(三十代の男性)
  「人生で一番つらいのは、腕の中で人が死ぬこと。“助けてくれ”と言いながら……。侵攻の初めの頃、ムニールという若者が運び込まれた。子供だ。胸を撃たれ、貫通してた。救急箱も薬もない。俺は医者に電話した。彼は赤十字に助けを求めた。こんな時、電話する他に何が出来る?  彼は病院へ運べと言う。どこへ?  一歩でも外へ出れば蜂の巣だ。出来るのは、ただ祈るばかり。若者は俺の腕で死んだ。他にも重傷者がいた。首を撃たれてた。子供だ。みんな子供だ。息をさせるために、私は喉に指を突っ込んでた。腕が取れかけた子もいた。俺に何がしてやれる?  俺達がテロリストだと?  こんなひどい話があるか?  (中略)腕の中で子供が死ぬ。一生忘れられない。こんな辛いことはない。(中略)“女達は裸になれ。スカートをまくれ”と言う。我々も裸にされる。“パンツだけは”と頼んでも奴らは聞かない。想像出来るかい?」(三十代の男性)
  「ある日、私は窓から機銃掃射を見ていた。その時、自分の息子が撃たれたことを知らなかった。攻撃が終わると“アミードが死んだ!”という叫び声が聞こえた。父として、医者として、死んでいく息子に私は何もしてやれなかった。(泣きながら)人生で最もひどい瞬間だ。息子の死を見ながら、何も出来ないなんて……」(医者)
  「犬だって踏まれれば吠えるだろ?  俺達は踏まれ続けだ。身を守る為には闘うさ。連中が譲らなければ。共存が嫌だと言うなら。権利の為に闘わなければ。あの皆殺しを見ろ。奴らは人間じゃない。一軒残らず潰していった。人が住んだまま。俺の家族。子供も。老人も」(四十四歳の男性)
  「(泣きながら)これが世界の良心かね。見て見ぬふりが。ユダヤが一人死ぬとブッシュは泣き叫び、わしらを“暴徒”と呼ぶ。アラブが一億死んでもどこ吹く風だ。これが世界の姿だ!  世界中探したってこんな非道があるか。子供の上から家を潰すんだ。石を投げただけなのに、戦車とF16だ。分かるか?」(病室の老人)
  「家を建てれば壊される。子供が産まれりゃ殺される。どうしろってんだ?  希望も愛も殺された。家が何をした?  殺された子供が何をした?  ここはまだまだ死体が出てくるんだ。調査団が来ようとしていたのに、国際決議は俺達ばかり目のかたきにして、何でイスラエルをほっとくんだ?  神さんはどこにいるんだい?」(瓦礫の中をゆく老人)
  「キャンプは私の生涯を捧げる所。キャンプは私のすべて。みんなにとっても。魂なの。命なの。これからも誇らしく立ち続けるわ。(中略)そう、すべてを壊されたけど、何度でも建て直す。抵抗の力で。シャロンは思い知るがいい。ジェニンの抵抗を」(十代の少女)
  「キャンプは“大きな木”よ。その葉の一枚一枚が殉教者の名を覚えてる。ユダヤ人に言ってやる。“枝を何本か折っても、また新しい枝が生まれる”。彼らは上まで登れない」(十代の少女)
  「イスラエル兵に言いたい。私達はワシのように誇らしく、ライオンのように雄々しく死ぬんだって。覚えておくといいわ」(十代の少女)

  最近、こんなニュースがあった(2005年11月20日)。ジェニンでイスラエル軍に殺された十二歳のパレスチナ人少年アハマド君の臓器が、六人のイスラエル人に移植されたというニュースだ。
  アハマド君は、11月3日午前10時半頃、父親から貰った小遣いを握りしめて外出したところ、イスラエル軍の銃撃に遭った。当局は「部隊が銃撃され、約百三十メートル先の武装した男に発砲した。その場で見つかった銃は、プラスチック製のおもちゃの銃だった」と発表。アハマド君は二日後にハイファの病院で息を引き取ったが、父親のイスマイル・ハティブさんの決断により臓器提供されたのであった(「兄は肝臓の移植手術を受けられずに死んだ。肝臓の提供者がいれば死なずにすんだ」)。「アラブ人でもユダヤ人でも、息子の体の一部が役立てばいい」と、心臓や肝臓などが提供されたその相手は六人全員イスラエル人。「平和の実現を望む我々のシグナルだと思ってほしい」とイスマイルさんは語る。
  本来、街に貼り出される殉教者のポスターは子供であっても銃を構えているが、ジェニンの街に貼り出されたアハマド君のポスターには、ギターを抱えた彼の姿に、大きな「?」と「パレスチナの子供達は何故殺されるのか」の文字が記されている。イスマイルさん達の深い愛、平和への強い思いが胸を打つ。

  なお本作は、2002年夏に公開された直後、イスラエル映画評議会によって上映禁止処分にされ、監督のモハマド・バクリ(アラブ系イスラエル人の俳優)の訴えにより、一年後の2003年11月、「表現の自由」を優先させた最高裁判所が上映禁止処分解除の決定を下した。しかし、しつこい国家検察官や元イスラエル兵達は、審議の続行を要求しているということだ。
  上映会などの機会があれば、何を差し置いても絶対必見!
  ジェニンを、ラファを、忘れるな!

  (※1)2000年9月に始まったパレスチナ人による反占領民衆蜂起。1987年から1993年までのインティファーダと区別する為、第二次インティファーダとも呼ばれる。インティファーダとは、パレスチナ人達の投石やストライキによるイスラエルの占領支配への草の根抵抗闘争。
  (※2)イスラエルによる攻撃は日常茶飯事。ガザ地区南部のラファは最も深刻な地域で、2003年10月と2004年5月には大規模な軍事侵攻が行われた。