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女はみんな生きている
  (2001年 フランス)
  監督: コリーヌ・セロー
  原題: CHAOS
  主要舞台: フランス
    発売元:アズミック
販売元:アズミック
商品番号:ACBF-10212
価格:¥4,935

  爽快!  スッキリした!  まさにこんな映画が観たかったのだ。
  ハリウッド映画や日本映画の、その細部に宿るさりげないジェンダーの保守性に、どうにも辟易することが最近多かったのだ。男の役割。女の役割。「名作」「ヒット作」と言われる映画に、往々にして見受けられる、ステロタイプな役割に甘んじる男女。それじゃあ単なる阿呆やん、といった類いのヒーロー・ヒロインが多過ぎるのだ。まあ、音楽同様、観衆が「安心」出来るところに金は付いて来るということだろう。サラリーマンと専業主婦からなる「夫婦モデル」を頑なに保ち続ける為には、あまり刺激や毒が強過ぎてもダメな訳か。安寧秩序どこ吹く風のブニュエルやアルモドバルが、ここ日本でさほど売れないのもむべなるかな。しかし「人生」も「世界」も、そんな具合に簡単には出来ていない。
  『女はみんな生きている』と邦題の付けられた本作、むしろ「男はみんな死んでいる」とでも冠した方が良さそうな、男どもの堂々たる情けなさっぷり、馬鹿っぷり。こう書くと、世の大方の男達は尻込みしそうだが、非日常的悲劇的事件を描きながら、喜劇的な「あるある、この感じ」のオン・パレード。偶然の出会い。笑い。涙。スリル。アクション。先読み不能な展開。感動。子育て奮闘記の名作『赤ちゃんに乾杯!』(1985年)や、黒人掃除婦と白人実業家の滑稽な愛の行方を描いた『ロミュアルドとジュリエット』(1989年)などで知られる女性喜劇監督コリーヌ・セローによる、これは極上の人間賛歌だ。人生に同居する悲劇と喜劇が、バビロンのカオスを洗い出してゆく、えも言われぬ痛快な小気味よさに、男の俺は断然拍手を送りたい。マチズモも自称フェミも、一気に粉砕だ!

  舞台はパリ。主婦エレーヌ(カトリーヌ・フロ)は、夫のポール(ヴァンサン・ランドン)と我が儘な一人息子ファブリスから、ほとんど家政婦扱いされている毎日だ。
  ある夜、エレーヌとポールがディナー・パーティへと車を走らせている時、通りを血塗れの娼婦ノエミ(ラシダ・ブラクニ)が必死の血相で駆けてくる。ノエミは、殺気立った数人の男達に追われ、殴打されているのだ。「開けて!  お願い!」。車の窓ガラスを叩き、助けを求めるノエミ。しかし、筋金入りの事なかれ主義者ポールは、即座にドアをロックし、救急車を呼ぼうとするエレーヌを制止、血の付着した車を洗車する為に走り去るのであった。
  翌日エレーヌは、病院をしらみつぶしにあたり、ノエミの行方を突きとめる。集中治療室で瀕死の危篤状態にあるノエミの凄惨な姿を見たエレーヌは、どうしても立ち去ることが出来ず、家庭も仕事も放棄して、そのまま病院に泊り込みで介護を始めるのであった。
  病院の周辺をうろつく売春組織……。
  一転、エレーヌの不在に怒り喚くダメ亭主とドラ息子……。
  エレーヌの献身的な介護により回復してゆくノエミは、次第に、アルジェリア移民である自らの複雑な生い立ちを語り始めるのであった。政略結婚からの逃亡。売春組織との出会い。ヘロイン浸けの娼婦の日々。大富豪から騙し取った莫大な遺産。その遺産を横取りしようとする組織……。
  そして遂に、ノエミとエレーヌの宣戦布告、「全面戦争」が始まるのであった。

  平凡な主婦であったエレーヌは、一見、会社経営者である夫と何不自由のないリッチな生活を送っていた。すべてを持っているようで、何も持っていない空虚な生活。その空白を埋めるがごとく突然現れたノエミによって、エレーヌがいよいよ自らの為に人生を生きようと思い立つのも、もはや当然のこと。
  自分勝手で無感動な仕事人間、しかもその厄介さに全く気づいていない間抜けな男達。常に解放されるべきは男達であることを、声高に訴えるでもなく、絶妙なストーリー・テリングのサスペンス・コメディ・タッチでさりげなく提示してみせるセロー監督の、切っ先鋭いセンスが実に冴えている。要するに粋なのだ。しかも演出のうまさか、ダメ亭主、どこか憎めない。
  「こういう男性は、とにかくいっぱいいます。忙しそうにしていて、実際は何もしていない。私は彼らを描くだけでジャッジしている訳ではありません。私は、男性をかわいそうだと思うことがあります。“男らしくしろ。強くなれ”と言われて……。(中略)女性の中の男性的なところは仕事で出すことが出来ます。ところが、男性が女性的なところを出すことは認められない」「私達が生きている社会の色々な状況の一部を切り取りたい。その上で、娼婦の問題、家庭の問題、移民の問題、マフィアの問題などといった社会的な意図も込めたかったのです」(コリーヌ・セロー)
  娼婦ノエミ役のラシダ・ブラクニの、知的で凛とした美しさやスタイル、俊敏なアクション(なんと陸上のフランス代表!)も魅力だが、何といっても、主婦エレーヌ役のカトリーヌ・フロの、悲喜こもごも合わせ呑んだ本能的演技に目が止まった。セドリック・クラピッシュの『家族の気分』(1996年)や抱腹絶倒の超名作喜劇『奇人たちの晩餐会』(1998年)でも喜劇舞台女優さながらの好演が光っていたが、彼女の主役級の抜擢に今後ますます期待がかかるところだ。
  静かな余韻たたえるラスト・シーンの力強さ。気持ちのいい苦味。再生への希望。よし、もう一回観よ。