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リトル・バーズ <イラク 戦火の家族たち>
  (2005年 日本)
  監督: 綿井健陽
  原題: LITTLE BIRDS
  主要舞台: イラク
   

  「魂を売り渡した“ジャーナリスト”たちがはびこる現在、戦争の報告は、妥協やごまかしであふれている」(広河隆一)

  マスコミ報道がなかなか伝えないアフガンやイラクの「その後」。実際、マス・メディアの記者が現場の実状を世界に伝えたいと思ったところで、厳しい報道管制の敷かれた戦地での取材は、当然、軍隊にとっての都合の良い範囲のものにしかなり得ない。我々が知りたい戦場の真相は、心あるホンモノのフリーランス・ジャーナリストの、命がけの取材によってしか知りようがないのだ。
  サマワの横断幕にあった「ようこそサマワへ、日本人の皆様」のアラビア語の文字が、日本のマスコミ人の手によって「ようこそ、自衛隊の皆様」と日本語で「誤訳」され、それが日本のテレビで流されるという、とんでもない話もあった。サマワの人々が自衛隊のイラク派遣を歓迎している、という大々的なプロパガンダは、アメリカの世界戦略に加わりたい人々(=憲法9条改悪派)にとっての、都合のいい口実としてくどい程に利用されたのだ。駐留当初からあった、「自衛隊によるライフ・ラインの復旧(水道・電気・道路補修など)ののちすぐに日本の企業(トヨタ、ニッサン、トウシバ、ソニー etc ……)が支援にやって来る」という、サマワの人々の過剰な期待と幻想から発した流言は、小泉政権にとって実に好都合であったことだろう。
  陸海空、合わせておよそ600人をイラクに駐留する自衛隊が、650億円の費用を使ってサマワで行っている「人道復興支援」活動も、「自衛隊の海外での活躍」という既成事実を積み重ねんが為の、目的の為の手段でしかないことは、もはや明白だ。同じサマワで給水活動を行っているフランスのNGO「ACTED」は、およそ一億三千万円の費用で、しかも派遣された外国人は一人という、より効率的で貢献度の高い給水活動を行っている(給水車の運転手六十五人と事務スタッフ二十人のすべてがイラク人)。安全の為に宿営地の一角でのみ行われる自衛隊の給水活動とは?  ほとんどのサマワの市民は、車から笑顔で手を振る自衛隊員の姿しか見ていないのだ。
  自衛隊がイラクに駐留して二年。イラク市民の間では、アメリカの占領に加担する自衛隊、ならびに日本人へのイメージが急速に悪くなってきている。「これ以上イラクにいるのなら自衛隊も占領軍とみなす。我々が非友好的な形で追い出す!」という声が広がりつつあるのも当然だ。「殺しながら助ける」(綿井健陽)という日本政府の姿勢は、以前の日本とイラクの友好関係・有形無形の財産を完全に壊してしまったのである。ヒロシマ・ナガサキでアメリカによる大量虐殺を経験した日本人が、何故今アメリカ側に付いてイラクを占領するのか?  彼らイラク市民にはまったく理解出来ないのだ。
  最近、イラク新憲法草案の是非をめぐる国民投票が行われたが、市民にとっては、戦争の苛酷な日常が今なお続いている訳であって、目の前を政治プロセスがただ通り過ぎてゆくというのが実状。占領に対するレジスタンスも「自爆テロ」の一言で片付けられ、世界は、アメリカによるプロパガンダ報道のもと、真のイラクの姿に向き合うことが出来ないままでいるのだ(この戦争でのイラク市民の死者は少なく見積もって三万人。しかも内一万人はこの半年の死者数だ!  ちなみに駐留米軍は二千人)。

  「静かに想像してみてほしい。“おとうさん泣かないで、私たちは天国で鳥になりました”。小さな墓標の裏に書かれたその言葉は、アリ・サクバンの三人の子どもたちが埋葬されるときに、それを手伝ってくれた人たちがそっと墓標の裏に書いた文字だった。2003年4月10日、バグダッドへの空爆で三人の子どもを一度に失ったアリ・サクバン(三十一歳)は、その日もいつもと同じ朝を迎えていた。いつもと同じ朝の風景になるはずだった。しかし、朝食の準備をしている最中、突然空から襲った爆撃・爆音とともに彼の周囲は一変する。じっと想像してみてほしい。“おはようお父さん”とさっき会話を交わしたばかりの子どもたちが自宅の瓦礫の中に埋まり、必死で彼らを探す父親の姿を。脳みそが出たままの五歳の娘を抱きかかえて、銃声が鳴り響くバグダットの街中を、救急車に乗って三つの病院を回らなければならなかった彼の光景を。やっとたどりついた病院で生死をさまよう娘の手を取り、彼が着ていた真っ白なシャツが、真っ赤な血で染まっていく瞬間を。“みんな鳥になって天国で飛んでいる”と、生き残った唯一の長女にいまも話す父親の無念さを」(綿井健陽)

  本作『リトル・バーズ』は、2003年のイラク戦争開戦以来「ニュースステーション」「筑紫哲也ニュース23」などで戦況を伝え続けているビデオ・ジャーナリスト、綿井健陽(わたいたけはる)の監督第一作目のドキュメンタリー作品だ。2003年3月の開戦直前から、米英軍による空襲、バクダット陥落、占領統治、「人道復興支援」に名を借りた自衛隊の駐留、そして2004年4月のファルージャ大虐殺までの、あくまでイラク市民の側からの目線に心を砕いた、入魂のイラク最前線報告映画である。
  「私が記録しなければならないことは、ただひとつ。それは“攻撃される側”から見たこの戦争だ。バグダッドで暮らす500万人近い人たちの頭上の空から降り注ぐ爆弾やミサイル。その中で暮らす人たちの姿や思い、被害の実態。それをまず何よりも伝えなければならない。そのために,自分はここに来たのだ」(綿井健陽)
  当時、我々がテレビで見た数々の映像。フィクショナルに映る空爆。歓喜の中、装甲車に引き倒されるフセインの銅像。アブグレイブ刑務所での米兵によるイラク人虐待事件。ひっきりなしに伝えられる「自爆テロ」、拘束事件……。しかし実際、戦火のイラク市民の日常に何が起こっているのか、人々が何を考えどう生きているのか、世界が理解しているとは到底思えない。子供や老人、そして女性達といった、弱者に容赦なく降り掛かる戦渦の受難を、「文字」や「数字」のみで知ったような気になっているに過ぎないのだ。
  しかし本作『リトル・バーズ』は、わずかに伝えられる報道の背後に広がる戦争の実態を容赦なく映し出してゆく。そう、殺される側の生身の人間がここにはいるのだ。
  バグダッドへ入城する米軍の戦車の前に立ちはだかるウズマ・バシル(「人間の盾」のイギリス人女性)の叫び(「HOW MANY CHILDREN HAVE YOU KILLED TODAY?  GO TO THE HOSPITAL AND SEE THE PEOPLE DYING!」)。
  サウラ総合病院で出会った、三人の子供を空爆で殺された父親アリ・サクバン(「これがアメリカのいう解放か!  私たちが何をしたのか?」)。
  クラスター爆弾で右目の光を失った十二歳の少女ハディール・カデム(「アメリカの兵士にこの目を見せて、何が起きたか全部説明してあげる。この目を元通りにしてほしい。私は絶対に許さない!」)。
  同じくクラスター爆弾で右手を失った十五歳の少年アフマッド・フェンジャーン。
  空爆で負傷し、右足の切断手術をした二十三歳の青年アベド・アルカリム(「アメリカよ、何も言うな。俺に近寄るな!  俺が何をした。俺たちは人間だ!」)。
  そして、フセインやアメリカに対するイラク市民の本音(「当時、米軍に抵抗しないことが、私たちの家族やフセイン政権に倒された人たちのための“闘い”だったのです。アメリカがイラクに勝ったのではありません」「米軍が私たちに言っていた“解放”とは何なのか。今いる米軍は占領軍に過ぎない。もし約束が守れないなら、俺たちはいつでも米軍と戦う!」)。

  本作のカメラが捉えたのは、果たして本当に「戦争」なのか。この、修羅場の凄惨な映像が指し示すのは、人間が人間の生を無惨に奪い去る、(大量)殺人の実態だ。そして、イラク市民であれ米兵であれ、殺人の現場に否応なく立ち会うことになった人間の、その表情から立ち上る、(大量)殺人の実相だ。「何故、日本はこの戦争を支持したのだ?」というイラクの人々の問いかけは、我々日本人一人一人に極めて重く突きつけられている。
  「イラクの子どもたちも大人たちも、僕らと同じ“小さな鳥”にほかならない。聞こえてくる鳥たちの鳴き声は、イラクの人たちの泣き声でもあり、僕らと同じ人間の泣き声だ。静かに、ただ一人で、“Little Birds”(小さな鳥たち)の姿を見つめて、そして想像する。そして、そこから、それぞれが出来ることを少しずつでもいい、始めてほしい。それがあの“イラク戦争”を支持した国に住む私たちが、彼らと同じ人間としてなすべきことだ」(綿井健陽)
  「この映像を観て欲しい。何が何でも観てくれ」(辺見庸)
  ホンマ!  何が何でも全人類必見!!

  公式サイト(各地の上映スケジュール)→www.littlebirds.net