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風音
  (2004年 日本)
  監督: 東陽一
  原題: FUON(THE CRYING WIND)
  主要舞台: 沖縄

  「この映画は、日本の最南端にある沖縄の、ある架空の島での物語である。1945年、米軍の沖縄上陸作戦で激しい地上戦が行われ、人口の四分の一に当たる住民と兵士、約二十五万人が死亡した。現在も数多くの遺骨が埋もれたままになっており、また日本にある米軍基地の七十五パーセントが沖縄に集中している」(『風音』英語版プリントの冒頭解説文より)

  「戦後六十年」と言い放った際に立ち現れる、えも言われぬ居心地の悪さ、違和感。かしましい改憲論議のさなか、あたかも六十年間、この国が「平和」であったかのような言説が巷を賑わせている。ある者は憲法9条のおかげで日本が「平和」を保てたと言い、またある者は日米安保のおかげで日本が「平和」を保てたと言うのである。戦前と同じ為政者に好き勝手されているこの国が、憲法9条の縛りによって(少なくとも)直接参戦することをよしとしなかった点のみみると、確かに戦後の日本は「平和」であったと言えるのかも知れない。
  しかし、「戦後六十年」という言い方自体がそもそも欺瞞に満ちてはいないか。確かに、皇軍による非道なアジア侵略戦争は今から六十年前の8月15日に終結をみているが、日本の侵略や欧米列強の政治力学に翻弄させられ続けたアジアの市民には、侵略戦争の後始末としての内戦もあったし、朝鮮戦争もあればベトナム戦争もあった。アメリカの世界戦略が各地に軍事独裁政権を用意し、紛争の火種をばらまいたのも、また「戦後六十年」の風景である。戦後日本の政権担当者は、おこぼれを貰う為に連綿とアメリカの軍事戦略を進んで後押ししてきているし、人身御供としての沖縄をアメリカへ差し出すことによって、当事者にならなくてもすむ卑劣な道を選択してきている。
  そのあたりを、沖縄の反骨の文人、目取真俊(めどるましゅん)は著書でこう言う。「日本が“平和”だったことが、戦争に加担しなかったことになるのか。日本人が“平和”を享受していたと思い込んでいた“戦後”が、どのような犠牲によって支えられていたのか。そういうことへの反省が大多数の日本人には欠落しているように思います。(中略)“平和憲法”と“安保条約”を共存させ、在日米軍の存在によって“国防”予算を抑え、経済成長を優先させる。そのような戦後日本のあり方は、沖縄に在日米軍基地の七十五パーセントを集中させること、つまり日米安保体制の負担と矛盾を沖縄に押しつけることによって可能となったのです。“戦後復興”と高度経済成長を成し遂げた日本の足下に、北朝鮮や韓国、ベトナム、沖縄の犠牲があったことを忘れ、“平和な六十年”と言ってすまされるのでしょうか」(『沖縄「戦後」ゼロ年』より)
  最近、伊丹英子一家(ソウル・フラワー・ユニオンのメンバー)が沖縄で暮らしているので、俺もちょくちょく沖縄へ行く。しかも家賃が安いことを理由に居を構えたのが普天間基地のすぐそばのマンション。耳を疑うばかりの大轟音とともに、低空飛行の軍用機やヘリコプターが住宅地の真上をひねもす通過する「事態」は、やはり異状である。世界中の米軍基地の中でも、特に沖縄の強いられている現状は、他に類をみない(米軍基地は沖縄本島の二十パーセントの土地を占拠している。そこに加えて「辺野古問題」だ。安保の必要性を説くのであれば、米軍基地はすべて東京が引き受けるべきだ。千代田区のど真ん中あたりがいい)。
  連日、普天間からイラクへと飛び立つ米軍機。「戦後六十年」間、沖縄はアメリカが起こし続けている戦争の渦中にあるといえるし、上述の「平和」が欺瞞に満ちた、一部の者にとっての「平和」でしかないことを沖縄の現状が物語っている。

  そこで、目取真俊が自らの小説『風音』『内海』をベースに脚本化した本作『風音』。あまたある「沖縄もの」の例に漏れず、ウチナー特有の風土と時間感覚に縁取られたマージナルな神秘主義が、いわゆる一つの「売り」になってはいる。しかしそれでも、この『風音』、近年の日本映画にない重厚な強さを伴った作品と感じ入り、しばし胸を熱くした。そしてこの「強さ」は原作者の「怒り」によるものであるとみた。癒しの島を描く、絵葉書的な凡百の「沖縄もの」。またその尻馬に無邪気に乗っかる沖縄信奉者達。そういった、米軍基地どこ吹く風の無責任なヤマトンチュー(大和人)による都合の良い沖縄観への恒常的な憤りを、劇中の其所此所にみるのである。しかも、さらっとした質感のまま沖縄の重い歴史を描き切る小気味良い演出もいい。

  青空。白雲。さとうきび畑。まばゆい海面。島を撫でる風……。舞台は、沖縄のとある島(ロケ地は沖縄本島北部の本部半島)。時代設定は特定されないが、「現在」と沖縄戦(1945年)の渦中を、物語は行きつ戻りつする。
  海に面した崖の中腹にある風葬場。長年村人から「泣き御頭(なきうんかみ)」と呼ばれ、守り神として鎮座する頭蓋骨が置かれている。沖縄戦で命を落とした特攻兵の頭蓋骨らしいが、銃弾貫通によるこめかみの穴を海風が通り抜ける度に音が鳴ることからそう呼ばれているのだ。村人は、戦争の記憶と平和への祈りを込め、この「泣き御頭」を畏怖し敬っているのであった。
  暴力亭主・島崎久秋に追われ、人生の再出発の為、祖母の家へと逃げ込んだ妻・島崎和江と小学四年生の息子マサシ。漁師の祖父・当真清吉に育てられている六年生のアキラに誘われ、地元の少年達とテラピア釣りへ出かけたマサシは、ふいに「泣き御頭」の発する不思議な「風音」を耳にする。
  同じ頃、一人の老婦人・藤野志保がはるばる本土から清吉を訪ねる。特攻兵として死んだ、初恋の従兄弟・加納眞一の消息を追っているのであった。「泣き御頭」のことなら清吉に聞けばいい、と村人が言うのも、沖縄戦の時の清吉の強烈な体験があるからだ。
  時は1945年3月。本土決戦までの時間かせぎの為に捨て置かれた沖縄は、唯一の地上戦、日米決戦の最前線にあった。壮絶な戦火のさなか、清吉と父は、浜辺に漂着した特攻兵の遺体を発見する。兵士がポケットから落とした万年筆には「加納眞一」と名が掘られている。父を爆撃で亡くした清吉は、風葬場に奉られた「加納眞一」の亡骸の頭蓋骨を、以後、手厚く鎮魂するのであった。
  ある日、久秋が妻と息子を連れ戻しに村へやってきた。浜辺で、拒否する和江を無理矢理犯す久秋。しかしその後、和江は久秋の持っていたナイフで彼を刺し殺してしまう。そこへやって来た清吉は、何事もなかったかのように手際良く遺体を処理し、和江に疑いがかからないよう、翌日に村を発たせるのであった。そして清吉は、そのナイフと例の万年筆を、頭蓋骨のある風葬場に埋めるのだ……。

  並行する複数のエピソードが交錯しながら、物語は、生活に抱き込まれたままになっていた戦争の記憶を静かに冷徹に立ち上らせる。劇中の清吉の立ち振る舞いは、戦争を身体に刻み込んだ者のそれであるし、「記憶」が過去のものではなく現在のものとしてある者の、「泣き笑い」を身体に抱え込んだ態度である。何故清吉は万年筆を志保に渡さなかったのか。何故志保は眞一の手紙を破いたのか。それは、「個人的物語」に収斂出来ない、今も息づく「集団的記憶」を、清吉と志保がどこかで共有しているからに他ならない。
  終わることのない戦争を押しつけられ続ける沖縄。六十年の時を経て二度、清吉が本土からの来客者の忘れ形見(ナイフと万年筆)を拾い、それらを地中へ埋めることになるのもまた、現在進行形の戦争が今も沖縄にあるからだ。
  示されない、清吉、志保、和江の「その後」。ラストの風葬場に佇む清吉のシーンは、それぞれの続きゆく人生の予感と、解決のない不穏な余韻だけを残し、観る者に重要な問いを投げかけているようでもある。そう、俺は「ナイフと万年筆はここにまだあるよ!」と言われたような気がしたのだ。
  凡百とある「戦争映画」にしばしば見受ける「美しい戦争」はここにはない。特攻兵の眞一の肉体は、膨張し、腐乱し、蟹やヤドカリに食われるのだ。特攻を美化する言説が決して触れない、無惨な死の具体性がここにはある。
  ちょっとした驚きすら与えてくれたこの秀作の静かなメッセージを、今俺はゆっくりと噛み締めたいと思っている。
  惜しむらくは、今や「辺境もの」にありがちな異化効果としてのロマ・ミュージック(タラフ・ドゥ・ハイドゥークス)の安易な挿入だ。否応なく本作の芸術臭を強調し、俺みたいなひねくれ者には時に耳障りなのだ。癒しの象徴としての沖縄音楽を使いたくなかったという目取真俊の考えは勿論理解出来るが、本作のような作品でこそ登川(誠二)さんのようなホンモノの唄者(うたじゃ)の音楽が使われるべきであったと、俺は思う。ヤマトンチュにとっての都合の良い「癒しの沖縄音楽」といった解釈など大いに無視して、清濁合わせ呑んだ逞しい沖縄音楽の懐の深さをむしろ「攻撃的に」使うべきなのだ。勿論タラフの音楽は相変わらずいいし、平安(隆)さんとのセッション風味の三線曲も良かった(こちらは「アリ」だ)。これはあくまで作品との相性の話である。
  タラフには悪いが、本作を見終わったあと、幸運にもレコーディング現場に立ち会うことの出来た登川さんの<戦後の嘆き>(その時のテイクはアルバム『スピリチュアル・ユニティ』に収録されている)を大音量で聴いた。そこには沖縄の絶唱と溜息が確実にあった。
  米軍機が轟音をたてながら行き交う光景を、空が血を流す光景を、頭蓋骨は今日も静かに見据えている。「見守っている」のではない。怒りを込めて睨みつけているのである。