フランス映画などにしばしばみられる、壮年期・老年期の男女(同性愛者も含む)が繰り広げる恋愛喜劇には、人生を高らかに謳い上げる積極思考の絶品が数多くある。恋愛やセックスは若者だけの特権とでも言いたげな、ただひたすら利潤追求に忙しいハリウッドや日本映画の貧困な人生観が情けない。
そこに現れたのが本作『ファストフード・ファストウーマン』。アメリカ映画には珍しく、ジョン・カサヴェテスの諸作やウェイン・ワンの『スモーク』(1995年)などにみられるような、どこか冴えない登場人物達のさりげない人間模様に心を砕く、心温まる人生讃歌である。
実際、監督アモス・コレックと主演女優アンナ・トムソンの名コンビ(本作がコンビ三作目)は、カサヴェテスとジーナ・ローランズの再来と称され、本作の「ありえない結末」へと誘う卓越した演出と軽妙なユーモア・センスが実に小気味いい。まさに俺好みのラヴ・コメディ。珍重に値するアンナ・トムソン(元ストリッパー!)の希有な魅力が、俺を完全ノックアウトしたのであった。これぞいい女! 本作で彼女は、2000年のカンヌ映画祭最優秀女優賞を『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のビョークと最後まで争っている(俺ならアンナ・トムソンの方に軍配を上げる)。
舞台はニューヨーク。三十五歳になるベラ(アンナ・トムソン)は、マンハッタンにあるダイナー・カフェでウエイトレスをしている。キャリアウーマンの退屈な日常にウンザリして始めたウエイトレスではあったが、舞台演出家ジョージとの十年以上にわたる不倫関係も倦怠気味で、彼女の奇抜な行動が周囲をハラハラさせてもいる。
そんなある日、ベラは、母親の紹介で、作家志望のタクシー運転手ブルノ(ジェイミー・ハリス)と出会う。ブルノは、愛人と高飛びした浮気性の元妻に子供二人の世話を押し付けられ、期せずして子育ての毎日だ。しかし、初デートの際にベラが嫌われないよう放った嘘「子供嫌い」を信じたブルノは、子供達と暮らしていることをひたすら隠すのであった。当然、多忙の上、部屋に入れないブルノの態度に不信感を抱くベラ。
ベラの働くカフェに、頻繁にやって来る三人の初老の男達がいる。孤独な常連三人組の内の一人、ポールは、人生の再出発や新たな恋愛を信じるクソ真面目人間で、他の二人に小馬鹿にされながらも、新聞広告の交際募集で知り合った六十歳の未亡人エミリー(ルイーズ・ラサー)とプラトニックなデートを重ねる。容姿や魅力にもはや自信のない二人の老年の出会い、恥じらいを伴った「臆病な恋愛」が、微細に瑞々しく描かれていて、実にいい。
常連三人組のもう一人、ポールの親友シーモアは、偶然入った「のぞき部屋」で、ストリッパー(兼カウンセラー)のワンダに恋してしまう。頻繁に通いつめる「のぞき部屋」。やっとのことで食事デートにこぎ着けたシーモアとワンダの会話もいい。
ベラとブルノにエミリーとポール、ワンダとシーモア。吃音の娼婦シェリーや、ベラが暴漢から助けた老女メアリーなどのエピソードを絡ませながら、物語は急展開してゆく……。
積み上げられた人生経験の上で、ある種の諦観を抱えながら生きる者達の、情けなくも洒落た恋愛。監督のアモス・コレックは、恋の仕方も人の愛し方も忘れてしまった者達の「臆病な恋愛」に、優しくスポットライトを当てる。そして、絡み合った人間模様を紐解いてゆく内に、社会にうずもれてしまっていた冴えない個々の素敵な個性的魅力が、劇中、静かに立ち上るのだ。加齢を、人生を、そのまま受け止める積極思考の人生観こそが、本作の最大の魅力なのである。
都市生活者達のおとぎ話。そして、それは人の数だけある。さあ、恋をしよう!
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