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カオス・シチリア物語
  (1984年 イタリア)
  監督: パオロ & ヴィットリオ・タヴィアーニ
  原題: KAOS
  主要舞台: イタリア
    発売元:IMAGICA
販売元:紀伊國屋書店
商品番号:KKDS-170
*「タヴィアーニ兄弟傑作選DVD-BOX」に収録
定価:¥14,280

  「地球一周の船旅」の途上にあるピースボート(トパーズ号)を、イタリアのシチリア島で下船(2005年6月22日)するという幸運。一度は訪れておきたいと思っていた、数々の名画を産み出してきたシチリアへ、こうもあっさりと行けることになろうとは、まったくもって予想外であった(『ペッピーノの百歩』の項参照)。とはいえ、与えられた時間は僅か一泊二日。下船した港も東海岸のカタニアなので、映画のロケで良く使われる西海岸の都市パレルモへ立ち寄るのはちょいと無理。という訳で、調べてみたところ、カタニア周辺で有名なロケ地のある映画といえば、『揺れる大地』(カタニア近郊の漁村)か『マレーナ』(シラクーサ)か『グラン・ブルー』(タオルミーナのイソラ・ベッラ)か。結局、ジャック・マイヨール気分を味わうことにした軽薄な我々は、カタニアから電車で一時間のタオルミーナ、イソラ・ベッラへと向かうことにしたのであった。
  息を呑む程のイオニア海の目映いマリン・ブルー。リゾート地のくせに妙に落ち着いた海岸。高台には西欧一の活火山エトナ山をバックに佇む古代ギリシャ劇場……。入り江にそびえる小島イソラ・ベッラの美しい絶景は、我々の期待に十二分にこたえてくれたのであった。イタリアきっての高級リゾート地である為、そこにいるのは、余裕をかます「大人な」白人ばかり。海岸で無邪気にはしゃぐ我々アジア人が「浮きまくった」のは言うまでもない。とりあえず『グラン・ブルー』の海ということで、1メートル程「素潜り」だけは一応やっておいた。

  そんな訳で、せっかくの「初シチリア」も「観光のシチリア」で終わってしまったのだが、ここでは「これぞシチリア!」な一本の映画を紹介しよう。『父 パードレ・パドローネ』『サン・ロレンツォの夜』『グッドモーニング・バビロン!』などで知られるタヴィアーニ兄弟の『カオス・シチリア物語』である。ややもすれば「マフィア」や「政治」で語られがちなシチリアだが、もう一つの側面、「階級対立」や「自然」に着目した本作は、ネオ・レアリズモに多大な影響を受けたタヴィアーニ兄弟ならではの、土から立ち上る民衆主義、寓話に託した叙情的なローカリズムが冴え渡る集大成的名作である。
  「我々は、トスカーナ地方のサン・ミニアートで生まれ育ち、農民文化と農民生活の意味を知っている。だから二人の作品で大地が繰り返し現れるのは決して偶然ではないのだ。我々イタリア人をうろたえさせるという形をとって繰り返し現れる。国家が抱える未決問題としての南部、いわゆる神話的遺産か、さもなければ叙事詩、我々の未来を左右する爆発力の凝固したもの……、それが南部だ。ある意味でそれは、二人の“モビー・ディック”と言えるだろう」(タヴィアーニ兄弟)
  原作は、シチリア出身の作家ルイジ・ピランデッロの短編集『一年間の物語』(全十五巻・二百数十篇)で、その中の六つの短編のオムニバス映画化である。タイトルはズバリ、シチリアの「混沌」を表しているが、ピランデッロの生誕の地の名もまたカオス(古代ギリシャ起源の村)なのであった。

  プロローグ。一羽のカラスが、オスであるのにも関わらず、卵を温めている。羊飼い達は、このカラスに卵を投げつけ、首に鈴をつけて空へ放すのであった。鈴の音を響かせながら空へと飛び立つカラス。このカラスこそが、本作の狂言廻しの役割を果たし、以降の四つの物語を繋いでゆく。
  第一話『もう一人の息子』。窮乏を極める19世紀半ばのシチリア。精神を患っている一人の老母マラグラーツィアが、十四年前にアメリカへ旅立ち消息を絶った二人の息子の帰りを待ち続けている。届く当てのない息子への手紙を移民団に託そうとするマラグラーツィア。やがて、彼女にはもう一人の息子……ガリバルディの「シチリア解放」の際、盗賊に犯されて生んだ子……がいることが明らかにされる。彼女は、盗賊の顔に似たこの息子を受け入れることが出来ないでいるが、この息子こそが「母親思い」の息子なのであった……。
  第二話『月の病』。バタとシドーラは新婚生活二十日目の夫婦だが、夫のバタは「狼憑き」で、満月の晩になると「発病」してしまう(シチリアでは「癲癇」を意味する)。愛想を尽かし実家へ帰るシドーラを追い、バタは「月の病」の告白をする。満月の晩、シドーラと秘めた恋仲にあった漁師サロと、シドーラの母は、「付き添い」としてやって来る。シドーラはサロとの密通を期待するが、友人思いのサロは、戸外で苦しむバタを助けにゆくのであった……。
  第三話『甕』。専横な地主ドン・ロロは、オリーブ油を入れる為の特大の甕を造らせたが、翌朝、甕は真っ二つに壊されている。ニカワ職人ディーマがそれを直しに来るも、彼自身が背中のコブが引っ掛かって直した甕から出られなくなる。ドン・ロロとディーマの間抜けなやり取りが続く……。
  第四話『レクイエム』。男爵の領地であるマルガリ村では、村民による墓地建造を禁じている。村人は、死を待つ長老の為、墓地建設の許可を求めて町へ繰り出すが、憲兵に追い立てられる。しかし、長老は死んだふりをして憲兵を騙し、村人は墓を造ることに成功するのであった……。
  エピローグ『母との対話』。1915年、原作者ピランデッロが疲れ果てて故郷ジルジェントへ帰郷する。駅から家までの帰路を馬車で送るのはサロ(第二話に登場)だ。海岸の道を抜け(第三話に登場)、ドゥオーモ前の広場を通り(第四話に登場)、ピランデッロは家へ到着する。故郷の家で彼を迎えたのは、死んだ母。母は息子に告げる。「既にものを見ることが出来なくなった人の目でものを見るようにしなさい。その方が辛いだろうけど、そのおかげで、ものごとがずっと美しく、尊いものに思えてきます」。そして母は、自身が十三歳の時のマルタ島への船旅のことを語る。真っ白な軽石の島。コバルト・ブルーの海。少女であった母は、兄弟達と、白砂の傾斜を海へと滑り降りる。ラストの、オールを漕ぐ少女の、未来を見据えた力強いシークェンスは、ヴィスコンティの『揺れる大地』へのオマージュである。

  一見何の繋がりもないかのように進行するこの全六話からなる短編集は、封建社会に呻吟するシチリア民衆の抵抗の気概や、タヴィアーニ兄弟の描く清濁合わせ飲んだ人間主義に貫かれている。プロローグの、シチリア人を象徴するかのような一羽のカラス。第一話の、荒野を走る一本道にころがるカボチャ。第二話の、月明りの下、落ち穂拾いをするバタの母。第三話の、満月の晩、宴会で瓶を囲み力強く踊る小作人達……。通奏低音のように、何度踏みつけられようとも立ち上がる民衆の圧倒的な生命力がここにはある。
  1914〜15年、原作者ピランデッロは、妻が精神病を患い、息子がドイツ軍の捕虜となり、最愛の母カテリーナを亡くしている。エピローグで精神的にも肉体的にも疲れ果てて帰郷するのはその為だが、ピランデッロの、故郷シチリアへ対する深い愛が急浮上するのもむべなるかな。そこにタヴィアーニ兄弟特有の叙情的ローカリズムと寓話性が重ね合わされることによって、本作を比類なき映像詩に高めている圧倒的な自然美が、人々の暮らしを、魂を、柔らかく包むのである。世界中の、封建制の残滓に喘ぐマージナルな地に共通してある、自由をめざす魂の詩がここにも息づいてある。大地に根を張った逞しい野性の交響詩である。