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パッチギ!
  (2005年 日本)
  監督: 井筒和幸
  原題: PACHIGI
  主要舞台: 日本
    (c)2004「パッチギ!」製作委員会

  いい!  昨今話題の青春映画、井筒和幸監督の『パッチギ!』である。
  執拗に登場する喧嘩シーンや強調される時代再現の滑稽さに、時に興醒めさせられたりもするのだが、過去を描きながらも現在の闇を討たんとする強い意志が作中終始みなぎるように貫かれていて、昨今の日本映画にもはや期待出来なかった「ポジティヴな爽快感」を本作は十二分に与えてくれる。陰湿な日本の差別社会の中、在日コリアンが日常抱く痛みや怒りを、日本人とのダイレクトな関わり合いをもってして示そうという気概に溢れているのだ。
  2002年9月18日、北朝鮮による拉致事件発覚以降の、主流マスコミ挙げての北朝鮮バッシングは、近過去にあった日本の加害や南北分断を巡る在日の苦悶を、瞬時にしてスポイルしてしまった。余りにも露骨な日本社会の閉鎖性。日朝両国の犯した罪は、そのどちらもが議論の俎上に乗せられて然るべきなのだが、周知の通り、主流マスコミは一切日本側の過去の加害に口を閉ざすのである。
  「拉致」であれ「強制連行」であれ、その規模に関わらず、国家の犯した重大な犯罪であることに変わりはない。ただ「拉致」を語るなら、「強制連行」も「従軍慰安婦」も語られるべきだということ。自らの過去に真摯に向き合い、その上で北朝鮮政府に対して毅然とした態度を取ることだ。自慰史観のマザコン右翼が歴史改竄に執心しようとも、百万人を越す朝鮮人が日本に「強制連行」(まさしく「拉致」)された事実は消しようがない。
  大体にして北朝鮮に対しては、一切謝罪も戦後補償もしないのが日本政府の一貫した態度である。両国が各々の自らの加害に誠実に向き合い、希望ある未来を切り開こうとする積極的な姿勢を見せない限り、極東アジアに真の意味での平和など望むべくもない(順序として、まず日本側からだ。向こうは独裁国家。こちらは一応議会制民主主義国家のはずだ)。
  マスコミや右派が好んで言うところの「国益」も、まさにそこ、アジアの平和・安定あってこそのもの。イラク戦争に傀儡軍まで差し出す日本政府の対米隷属型外交は、真の意味の「国益」を損なう売国的行為でしかない。アジアで最も「危険」な国は、北朝鮮を北朝鮮たらしめている国、アメリカなのだ。

  そこにもってきてこの『パッチギ!』、一人一人の泣き笑いに照準を合わせながらも、時空を超えて、在日コリアンの艱難辛苦がきっちりとあぶり出される仕掛けになっている。DVDのパッケージに「WE SHALL OVERCOME SOMEDAY」とある通り、愛や友情が世界を変える、という愚直なまでに明快なテーマがあっけらかんと置かれてはいるが、簡単な和解などあり得ない、という、途上にある人間達の叫びや溜息をしっかりとカメラは押さえている。そこがいい。

  舞台は1968年、グループ・サウンズのOXが女の子を失神させ、フォーク・クルセダーズの<帰ってきたヨッパライ>が話題をかっさらい、学生達が異議申し立てに立ち上がる、そんな熱い季節の京都。
  朝鮮高校の番長アンソン(高岡蒼佑)の一派と府立東高校の空手部は、押さえ切れない青春の熱狂が日本社会の陰湿な差別構造を暴露するかのごとく、激しく対立している。喧嘩と報復の日々。そう、日常的な差別によるフラストレーションが彼ら在日の青春を暴力に駆り立ててもいるのだ。
  府立東高校の二年生松山康介(塩谷瞬)は、ある日、担任の布川(光石研)から、敵対する朝鮮高校とのサッカー親善試合を申し込みに行くよう申し渡される。恐る恐る朝高に出向いた康介は、しかしそこで、偶然<イムジン河>の旋律をフルートで吹くアンソンの妹キョンジャ(沢尻エリカ)に一目惚れしてしまうのであった。康介は、キョンジャと親しくなりたい一心で朝鮮語の辞書を買い、<イムジン河>をギターで弾く為に酒屋の坂崎(オダギリジョー)からギターと唄を教えてもらう。
  円山公園。帰国船で祖国北朝鮮へ戻ることを決意したアンソンを祝う宴会が開かれている。そこへ現れた康介は、自身のギターと唄、キョンジャのフルートで<イムジン河>を合奏し、キョンジャやみんなとすっかり仲良くなるのであった。
  ある夜、康介は、キョンジャに「付き合ってくれへんか?」と告白するが、キョンジャの返答、「もしも結婚することになったら、朝鮮人になれる?」という言葉を前に、無言で立ちすくむしかない。
  アンソン達と東高校空手部との抗争は続いている。そんな日々の中、アンソンの彼女桃子(楊原京子)は妊娠し、弟分チェドキ(尾上寛之)は無惨にも事故死してしまう。
  チェドキの葬式。焼香に来た康介に、チェドキの伯父(笹野高史)は激昂して言う。「帰れ!」「お前、淀川のしじみ喰ったことあるか?  土手の野草喰うたことあるか?  ……ウリナラ(祖国)で田植えしとった。紙切れ突き付けられて、トラック放り込まれたんよ!  ハラモニ(祖母)泣いとった、田んぼひっくり返って泣いとったよ!  プサン(釜山)から船で、海、飛び降りて死んだろうか思った!  国、空っぽなる程、連れて来られたよ!  お前らニッポンのガキ、何知ってる?  知らんかったらこの先もずーっと知らんやろ、バカタレ!  ワシらはお前らと違うんやぞ!」。伯母(加藤小夜子)も言う。「生駒トンネル、誰掘ったか知ってるか?  請け負ったんは大林組か小林組か知らんけど。国会議事堂の大理石、どっから持って来て、誰が積み上げたか知ってるか?」。泣き喚きながら伯父が続ける。「お前は何知ってる?  一つも知らんやろ!  なら出て行ってくれ!  四畳半に五人も六人もブチ込まれ、足も伸ばせんと寝たよ。豆粕とションベン汁だけで、朝から晩まで働かされた。日本人が食べ残した豚のエサ盗み食いして、見張りのヤクザにどつかれ、……足曲がってるんどー!!!」。
  康介は、茫然自失で、チェドキの家を出てゆくのであった……。

  本作がいいのは、あくまで在日コリアンのべっぴんさんと関係を持ちたいだけの日本人高校生、康介の視点で描かれている点にある。朝鮮人の女の子と恋をしたことによって、自分が何も知らなかったことに気づいてゆくその過程。いわば康介は、<イムジン河>に日本語詞をつけた松山猛(※)、或は井筒監督の分身であり、我々日本人一人一人の分身でもある。
  「お前は何知ってる?  一つも知らんやろ!」というチェドキの伯父の憤怒の叫びは、今の我々日本人にこそ突きつけられているのだ。北朝鮮の拉致犯罪に対する一方的な断罪が異常進行する今、過去の日本の加害を「知らない」ということは、それこそ犯罪である(日本政府が北朝鮮の拉致犯罪に対して毅然と怒ることが出来ないのは、まさにそこに原因がある。また、一方の独裁国家北朝鮮の民衆は自らの加害の事実を知る術がない)。
  確かに本作、ディテールの甘さや、南北分断の悲劇を<イムジン河>に頼り過ぎる傾向が少々鼻に付く。まあ簡単に言うと、音楽の使い方がクサイのである。しかし、この程度(失礼!)の異議申し立てに対して「北朝鮮擁護映画」と罵詈雑言を浴びせる昨今の日本社会の現実をみると、この入魂の井筒流異議申し立てはかなり重要だ。
  崔洋一監督の『血と骨』や金守珍監督の『夜を賭けて』もそれぞれに制作者の意気伝わる力作ではあったが(どちらも原作は梁石日)、「当事者」でないからこその気兼ねのなさが本作の大きな魅力なのだ。井筒監督は本気である。
  自衛隊に撮影協力を仰ぎ、特攻や皇軍の美化に邁進する悲しき日本映画界(「兵士もまた、悩み苦しんだのだ」とする、日本の加害に目を塞ぐ弁明映画ばかり)。恥にまみれた顔の居並ぶ、CMタレントのおままごとのような昨今の日本映画界にあって、本作の、新人俳優を大挙起用したセンス・努力も見上げたものだ。こうなったら、奴らの「その後」が観たい。70年代以降の奴らの人生だ。監督、続編頼むで〜。
  「冒頭の朝高生達がバスをひっくり返す話、ラストの夜の鴨川での大決戦の場面。差別からくる喧嘩があの時代は絶えなかった。差別や貧しさに負けない強さが朝高生達にはあった。その煮えたぎる怒りと悲しみを日本人は分かろうとしない。そこをきっちりと描きたかった。英国人はアイルランド問題について関心が高く、いつも熱く語り合っている。ところが、日本人は政府も含めて、朝鮮問題について長い間全然意識もせずにいた。当然、朝鮮を植民地にして、分断の根本原因を作ったことにも目を背けてきた。なのに拉致問題をきっかけに“ある日、平和な日本から人が北に連れ去られた”という物語を作り上げ、日々それを塗り替え、挙げ句に国交交渉どころか、経済制裁論にまでエスカレートさせてしまった」(井筒和幸)
  なお、タイトルの「パッチギ」とは、「突き破る、乗り越える」という意味を持つ朝鮮語で、「頭突き」の意味でもある。確かに子供の頃、喧嘩になると、必殺技が「頭突き」であった俺も、意味分からずに「パチキかますぞ!」とか言っていた。そうか、朝鮮語が語源やったんか。

「“在日”というシリアスなテーマを涙と笑いと音楽で包んだ青春映画の王道的傑作。清々しい未来への希望を多くの人に受け取って欲しい」(姜尚中/東京大学教授)

  (※)イムジン河(ハングルで“イムジンガン/臨津江”)は朝鮮半島を分断する38度線を北から南へ流れる川であり、この川をモチーフに南北分断の悲しみを歌った曲(詞:朴 世永/作曲:高 宗漢)の名前でもある。日本では1968年に松山猛の訳詞でザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)が発売を予定してシングル盤13万枚がプレスされたが、レコード会社が直前に発売中止を決定した。関係者全員が朝鮮民謡だと思っていた為に作者名の明示がないのと日本語詞が忠実でないなどの抗議を受け、政治的な配慮をした為だ。ラジオやテレビも自主規制をしてこの曲が放送されることは殆どなかったが、その後もコンサートではフォークルは勿論多くの歌手に歌い継がれてきた。そして2000年の南北首脳会談を機に“統一を願う唄”として再び脚光を浴び、34年の時を経て、2002年遂に“幻の唄”はフォークルのオリジナル盤が発売された。
  松山は中学生の時に、朝鮮中級学校の友人からこの美しい曲を教えてもらう。十代の終わり頃にフォークルのメンバーと親しくなり、この曲をフォークルのメンバーに紹介すると、感銘を受けた彼らはレパートリーに加えることになる。2002年に松山は<イムジン河>との出会いを『少年Mのイムジン河』として、当時の純情な気持ちと共に詩情豊かに綴った。そしてこの本を手にしたプロデューサー李鳳宇が井筒監督に紹介することによって、『パッチギ!』の種がまかれる。井筒が『ゲロッパ!』の脚本で頭を悩ませていた、2002年の冬のことだった。その後『ゲロッパ!』を撮り終えた井筒は、『少年Mのイムジン河」』に真剣に取り組み始める。青春時代をまさに京都で過ごした李と奈良で過ごした井筒は、当時の自分達の経験を盛り込みながら推敲を重ねていく。こうして『少年Mのイムジン河』に書かれた<イムジン河>のエピソードを軸に、若者達の青春を熱く描いたオリジナル脚本が完成する。(公式サイトのプロダクション・ノーツより転載)