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ひろしま
  (1953年 日本)
  監督: 関川秀雄
  原題: HIROSHIMA
  主要舞台: 日本
    発売元:新日本映画社
販売元:エースデュース・エンタテインメント
商品番号:ADE-458
定価:¥4,935

  実に当り前のことだが、戦闘機による空爆で虫ケラのごとく瞬時にして殺され、また、虫ケラのごとく逃げ惑う市井の人々にとっての戦争は、声高に政治力学上の戦争論をぶつ連中にとっての戦争と、大きくかけ離れてある。そこにあるのは阿鼻叫喚の地獄絵図。誰もが容易に想像し得る「即死」だけではない、苦しみ悶えながらの修羅場、あまたの「難死」である。
  多くの「戦争映画」(特にハリウッド映画)は、往々にして、空爆をする側の論理、戦闘機から市街地を見下ろす側の論理で貫かれている為、戦争を伝える媒体として、常に一方的な主観をまき散らしているに過ぎない。「戦争は良くないが、兵士達も悩み苦しんでいるのだ」といった類いの、ある種の誤摩化し、「加害者としての戦争」を一切顧みない傲慢さに終始しているのだ。
  勿論、あまりの惨劇はエンターテイメントにそぐわない、高揚感こそがエンターテイメントだ、といった意見もあるだろう。しかし、多くの「戦争映画」が観客の戦争観に与える「教育的効果」のことを思えば、虫ケラのように殺された側の「戦争映画」がもっと作られて然るべきだ。時にそれは、目を覆いたくなるような、壮絶な場面の連続になるかも知れないが。例えばイラク戦争以降、有名無名問わず「戦争映画」のソフトが山のように復刻されてはいるが、その殆どが勧善懲悪の英雄ものであり、侵略した側が弁明に終始する類の回顧ものである。
  先の太平洋戦争は、アジアの市民からすれば、如何なる論理をもってしても天皇の軍隊による侵略戦争でしかないのだが、こと銃後の日本人にとっては、米軍の空襲で印象づけられた「被害者としての戦争」ということになってしまっている。よって当然、戦後の日本映画にみられる「反戦」も、そのほとんどが「被害者としての戦争」を描く、まるで天災の犠牲者かのような、戦争の原因そのものを問わない描写になるのである。いわば、我々もまた戦争の犠牲者であった、とする弁明的な戦争観である。そして結果的に日本の侵略性は不問にされてしまうのだ(戦地に赴いた者達もまた然りだ。兵士達もまた上官の残虐性や軍国主義による被害者であった、とする戦争観が「反戦映画」に広く見受けられる。我々は主体的ではなかった、とするアリバイ作りかのように)。
  しかもそこで描かれるのは、当時日本列島にあまたいた朝鮮人や中国人、ウチナンチューやアイヌではなく、ほとんど日本人。ある意味、戦後日本の一般的気運としての平和思想の脆弱さは、そういった被害者意識的戦争観によって培われてきたと言っても過言ではないだろう。放置されたままになった天皇ヒロヒトの戦争責任の問題も、根は同じところにある。
  そこのところを踏まえた上で、日本人こそが中国や朝鮮半島などで製作される「抗日戦争映画」を観るべきだし、アメリカ人こそが日本で製作される「原爆映画」を観るべきなのだ。「戦争怖い」は当り前。何故戦争が引き起こされるのかをみない限り、馬鹿馬鹿しい人間の愚かな所業に歯止めを掛けることなど出来ようもない(『原爆の子』の項参照)。

  最近、独立プロ(www.espace-sarou.co.jp/df/)の名作映画のDVD化が進んでいるが、『きけ、わだつみの声』(1950年)で知られる関川秀雄の本作『ひろしま』は、同時期に製作された新藤兼人の『原爆の子』同様、全人類必見の「原爆映画」だ。
  1950年に勃発した朝鮮戦争によって広まった危機感が、この時期の日本の映画人に多くの「反戦映画」を作らせたのだろう。『真空地帯』(1952年)、『嵐の中の母』(1952年)、『ひめゆりの塔』(1953年)、『雲ながるる果てに』(1953年)、『二十四の瞳』(1954年)、『ビルマの竪琴』(1956年)などなど。しかし、やはり加害者として戦争を見つめ直す姿勢はこれらの作品にみられず、どれもが戦争体験を感傷的に回顧するにとどまっている。軍国主義への反省はするが、侵略や戦争犯罪のことなどを忘れて、日本人の死者のみを鎮魂し、安心して泣く、といった具合である。
  その中にあって、何より本作『ひろしま』のもつ凄みは、原爆の記憶浅かりし時期(原爆投下から七年)の製作である点にある。原爆投下時の、広島市民の直面した惨禍がこれでもかとリアルに描かれているのだ(漫画『はだしのゲン』の「実写版」だと思えばいい)。観る者は、「悲しい」とかいう類の情緒を遥かに越えて、ただ慄然と言葉を失う。原爆の惨禍の情報を隠蔽していたGHQの映画検閲からようやく解放され、「これが原爆なんだ! しっかりとその目を見開いて見てくれ!」という製作者達の憤怒の声が聞こえてきそうな、そんな圧倒的映像の連続なのである(実際、主演の月丘夢路は、本作への出演によって、後年渡米の許可が下りなかったそうだ)。

  舞台は、原子爆弾投下から七年、1952年の広島。GHQの要請により警察予備隊(のちの自衛隊)が発足、日米安全保障条約が調印され、被爆地広島の街頭でも軍艦マーチが高らかに鳴り響いている。
  高校三年生の大庭みち子は、被爆による白血病(原爆症)に罹り、原爆投下当時のラジオを聞く授業中に突然鼻血を出して気を失ってしまう。他所の地から赴任してきた担任教師の北川(岡田英次)がとった統計では、当時小学生だったクラスの三分の一が被爆者だ。
  回想。1945年8月6日の朝、一度発令された警戒警報が解除され、人々はいつものようにそれぞれの朝支度を始めている。人々が口々に「あれ? B(B29)の音だぞ」「おかしいな、空襲警報は出てないのに」などと言い合っていたまさにその直後、辺り一面を覆う熾烈な閃光と大爆音が。午前八時十五分十七秒。B29爆撃機エノラ・ゲイによる原爆投下だ。アジア大陸への兵站基地であり軍事的要衝であった広島の街は、一瞬にして火の海と化すのであった。
  みち子は爆風で吹き飛ばされ、姉の町子も弟の明男も死んでしまう。クラスメートの遠藤幸夫の父秀雄は、妻よし子が倒壊した梁の下敷きになるも、助け出すことが出来ない。陸軍病院へ次々と負傷者が運ばれて来るが、医者も手当の施しようがなく、街中累々たる死体の転がる中を被爆者達が苦しみのたうつ様は、まさに阿鼻叫喚の修羅場である……。

  ここにあるのは、同時代のイタリアン・ネオ・レアリズモの作品群同様(『自転車泥棒』『靴みがき』の項参照)、製作者達の「我々が新しい映画を産み出すのだ!」「映画に現実を映し出すのだ!」という気概である。
  先述したように、本作も数多くの「戦後日本反戦映画」の例に漏れず「加害者としての戦争」を描いたものではないが、しかしそれでも、核の時代にあって、ここにあるあまたの「難死」を見ずして戦争を語ることはもはや出来ない。
  広島と長崎で殺された二十万人の命は、トルーマンによると、戦争を早く終わらせる為にはやむを得なかった犠牲だということになる。この明らかに国際法を違反した非戦闘員大虐殺が、である(原爆投下に対して、アジア中の抑圧された市民が快哉を叫んだことは、また別問題である。天皇日本はそれだけのことをやっている)。しかし原爆投下の真の目的は、周知の通り、別のところにあった。「原爆投下なくとも日本の降伏は時間の問題であった」とのちのマッカーサーやアイゼンハワーが証言した通り、戦後日本の分割統治を要求するとみられたスターリンや毛沢東への軍事的威嚇であったのだ。
  アメリカは、六十年を経た今も同じ論理で、イラクやアフガニスタンに劣化ウラン弾をバラまいている。そして唯一実戦で被爆した国「平和日本」は、そのアメリカの侵略戦争に傀儡軍としての兵を差し出すところまで落ちぶれてしまっている。

  「日本人はいまだに、圧倒的に自らを歴史的に犠牲者とみなし、加害者の役割を果たしたとはみなしていない。小泉が原爆記念日に広島と長崎に行こうが、靖国神社で戦没兵士を追悼しようが、それは同じことなのだ。彼は、自らの苦難だけを認め、自らの戦争責任は免責して見逃すという、集団的で日本的な歴史の盲目性に忠誠を誓っている。口先で平和を誓っても、このことはごまかせない」(南ドイツ新聞)