オンライン魂花時報WELCOME TO NAKAGAWA TAKASHI'S WORLD中川敬のシネマは自由をめざす!リスト > ぼくの国、パパの国
NAKAGAWA TAKASHI'S ALL CINEMAS GO FORWARD TO FREEDOM !
ぼくの国、パパの国
  (1999年 イギリス)
  監督: ダミアン・オドネル
  原題: EAST IS EAST
  主要舞台: イングランド
    発売元:キングレコード
販売元:キングレコード
商品番号:KIBF-78
定価:¥4,935

  2005年7月7日、ロンドンの地下鉄と路線バスの四カ所連続爆破事件で、五十人を越える多数の市民が殺傷された。G8サミットの真っ只中に起きた「アルカイダによるロンドン同時爆破テロ事件」である。「欧州の聖戦アルカイダ秘密組織」を名乗る犯行組織は「イギリスがイラクとアフガニスタンで行った虐殺への報復」との声明を出したが、惨劇の結果を見ての通り、今回の事件もニューヨークやマドリード同様に階級・宗教・人種を無視した「非人道的な無差別虐殺」でしかない。しかし、西洋社会で起きたことのみがあたかも「世界の中心の出来事」かのように語るマスコミ報道の酷さは、また別問題だ。アフガンで、バクダッドで、ファルージャで、ラマラで、ジェニンで行われた、国家という暴力組織による攻撃も「非人道的な無差別虐殺」以外の何ものでもないではないか。そちらも、事実に即してハッキリ「国家テロ」と報道すべきだ。
  いまだマドリードの地下鉄爆破事件の真相がうやむやなように(当局が絡んでいるとする説もある。「9・11」の謎も未解明だ。『911ボーイングを捜せ』の項参照)、今回の事件も、取り敢えず数名の容疑者(イスラム教徒)が逮捕され、一般ムスリムへの監視強化と宗教間対立の気分を放置したまま、ブッシュやブレアの「テロとの戦い」という論理に収斂されてゆくのだろう。大体「アルカイダ」「ビンラディン」「ザルカウィ」という、巷に蔓延している「記号」も良く分からない。一体全体、奴らはどこにいるというのだ?  実態は?  いずれにせよ、この「戦い」を終わらせたくない者達がいることだけは確かなようである。
  「9・11」以降、世界中で誰よりも迷惑を被っているのは一般ムスリム、イスラム教徒達である。世界は彼らの受難に思いを寄せるべきだ。現時点でも(7月27日)、イスラム教徒やアフリカ系住民が多く住むロンドンの西キルバーン地区などでは、当局による「テロ取り締まり」の名目の強圧的な家宅捜索や、イスラム教徒への嫌がらせ・脅迫が激増している。警官に銃口を突きつけられた女性もいる。信じられないことに「イスラム教徒である」というのがその理由だ。また、ふざけたことに、ロンドン南部の地下鉄ストックウェル駅で警官が射殺したブラジル人電気技師の男性は、7月21日(二度目)の「同時爆破テロ」とは無関係であった。ホンマ、ええかげんにせえよ!(ここ日本でも警察官による横暴な職務質問が増えている。以下のリンクは、渋谷で執拗な職務質問に遭遇した元国家公安委員長白川勝彦氏の興味深い文だ。www.liberal-shirakawa.net/idea/policestate.html
  この十日間だけでも、イラクでは「自爆テロ」によって二百名以上の命が奪われている。そして、アメリカやイギリスが「付随的被害」と呼ぶイラク市民の犠牲者は、この二年間で数万人にのぼる。イラク人は、いくら殺されても西欧社会(日本も含む)ではカウントされないのだ!
  何が世界をこうさせているのか?  我々は今一度立ち返らなくてはならない。「9・11」以降、アフガン空爆以降、イラク侵攻以降、一体世界で何が起こっているのか。我々日本人が選挙で選んだ現政権は、ブッシュやブレアの「テロとの戦い」に参加しているのだ。人ごとではない。
  今回も、「テロリストを利するのか」という常套句を前に、ここ日本でも多くの良心が沈黙するだろう。こうも立て続けに凄惨な事件が続くと、思考停止して言葉を失う、ということもある。
  もちろん、誰もが「非人道的な無差別虐殺」には反対である。しかし今、我々に求められているのは、事実を掴み取ろうとする姿勢、この流れを断ち切ろうとする強い意志に他ならない。状況は悪化の一途を辿っているが、原則が変わることはないのだから。

  今回のロンドン爆破事件で思い至るのは、やはり、数多くの在英ムスリム、在英アフリカ人・アジア人達のことだ。そして、以前に観た、パキスタン移民の在英ムスリムの家庭内騒動を軽やかに描いた喜劇映画『ぼくの国、パパの国』のことを思い出した。ロンドンの下町で生き抜く、パキスタン人の父とイギリス人の母、そして七人の子供達の家庭内文化衝突がテーマである。

  本作の舞台は1971年、マンチェスターのソルフォード。フィッシュ・アンド・チップスの店を経営する父ジョージ・カーンは、1937年に渡英してきた在英パキスタン人一世だ。苛酷な差別を乗り越えてきた苦労人で、誇り高きイスラム教徒。イスラムの伝統を家族に強要する、家父長制の権化みたいな男でもある(とはいえ、彼なりに家族の未来を案じてのことだ)。
  対する七人の子供達は、移民二世なので、イギリス生まれのイギリス育ち。父ジョージに隠れてベーコンを食い、ロックを聴き、夜遊び、サッカーも大好き。イギリス流の生活習慣や文化に馴染んでいる。当然、親子の間には熾烈な内戦状態が用意されている。
  ジョージに隠れて参加する復活祭。長男ナジルの結婚式。末っ子サジの割礼。第二夫人扱いされる妻エラ。近隣の蔑視……。牧師が挨拶に「神のお恵みを」と声を掛けると、ジョージは「アッラーのお守りを」と返すのだ。そんな具合に日常的エピソードを絡めながら、イギリスの白人社会で逞しく生き抜く移民達の営みがコミカルに描写されてゆく。
  しかし、ジョージが次男アブドゥルと三男タリクの縁談を勝手に決めるに至って、我慢に我慢を重ねてきたエラや子供達は、反撃に打って出る。見合いの席で相手方の夫人が偉そうな態度を取り、遂にエラの怒りが爆発するのだ。見合い決裂にジョージはカンカン。エラに怒りの矛先を向けるが、子供達はみんなでエラをかばい、ジョージは打ち負かされたように家を出る。そして、自らが経営する店のカウンターで一人寂しく座り込むのであった……。

  あまりに極端なイスラム父親像をおいた為、本作に「蔑視を感じる」という微妙な意見もあったが、唯一惜しむらくは、移民一世である父ジョージの艱難辛苦が説明されないことだろう。ジョージは、白人中心主義の社会の中、自分のように苦労して欲しくない一心で、子供達にイスラムの伝統と誇りを「押し付ける」のであった。行き過ぎているように見えるイスラム父親像の描写も、監督のオドネルがアイリッシュであることから、なるほどと頷ける。これは在日コリアン一世を描いた映画にもしばしば見受けられるリアリズムなのである。そもそも、「ぼくの国」と「パパの国」を巡る問題の根源は、「ぼくの国」の植民地主義にある。史実に思いを馳せるべきだ。同化を迫る「旧宗主国イギリス」に対する、ジョージの複雑な感情こそが重要なのだ。
  「彼の地」で生き抜くことのしんどさ。「世代間闘争」を繰り返しながら、移民達は、本質的なインターナショナルの意味を世界に問うているのだ。今も。この国でも。

  こうして原稿を書いている今、またもや「同時爆破テロ」のニュースが飛び込んで来た。エジプトの高級リゾート地シャルムエルシェイク(シナイ半島の南端。こないだ船ですぐそばを通った!)で、ホテルなど三カ所が爆破されたという。現時点で、死亡者は少なくとも八十八人、負傷者は二百人以上に上っており、アルカイダ系「アブドラ・アッザム旅団」なる組織が「イラクやアフガニスタンでの犯罪への報復」だとする犯行声明を出している(現時点で、その他にも二つのグループが声明を出している)。
  解決の方法?  それはある。アメリカやイスラエルが、不法に進駐するイラクやアフガニスタンやパレスチナから、速やかに撤退することだ。それしかないではないか。