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旅芸人の記録
  (1974年 ギリシャ)
  監督: テオ・アンゲロプロス
  原題: O THIASSOS(THE TRAVELLING PLAYERS)
  主要舞台: ギリシャ
    *「テオ・アンゲロブロス全集DVD-BOX I」に収録
発売元:IMAGICA・紀伊國屋書店
販売元:紀伊國屋書店
商品番号:KKDS-130
価格:¥18,270(税込)

テレビや本で見聞する通り、ギリシャ・アテネの空はどこまでも青く澄み渡り、訪れたパルテノン神殿や古代アゴラ遺跡群の勇壮な美は、「デモクラシーの故郷」が「文明のクロスロード」であったことをも如実に語っていた。今回は船旅であった為に二日しか滞在出来なかった「初ギリシャ」であったが(『スーパーサイズ・ミー』の項参照)、マージナルなギリシャの魅力を表層だけでも感じ取ることが出来たと思う。
ギリシャといえば一般的には「オリンピック」「神話」「エーゲ海」「世界遺産」といったイメージになるのだろう。しかし俺の場合、何と言っても巨匠テオ・アンゲロプロスである。となると、古代ギリシャのデモクラシーよりも、バルカン半島の先端で呻吟するギリシャ現代史、メタクサスの独裁やパパドプロスの軍事政権の方が、悲しいかなイメージさせるギリシャ像なのである。
もちろん、澄み渡る青空はそこにはない。ひたすら続く沈鬱な曇天。アンゲロプロスがその劇中で手法として多用する「省略」や「暗示」に反して、常に彼の作品には明快な曇り空があるのである。
そのアンゲロプロスの初期のマスターピースに、ギリシャ現代史の壮大な叙事詩『旅芸人の記録』がある。十年程前、クラリネットの大熊ワタル(シカラムータ)にベスト・シネマを問うたところ、フェリーニの『道』とともに上がったタイトルで、232分という長さに怯えながら当時言われるがままに観た本作の感動は、俺の胸に突き刺さったままずっとあった。
去年(2004年)、池澤夏樹氏らによる入魂の『テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX』(全12作)が刊行されたことによって、我々はこの名作をいつでもどこでも観ることが出来るようになった(解説パンフレットも秀逸)。当然、この度の「初ギリシャ」の出発前、久しぶりにこの『旅芸人の記録』をジックリと堪能したのは言うまでもない。そして、本作の圧倒的な脚本と演出、愛と復讐の人間模様の深みに、またもや完全ノックアウトされてしまったのであった。
本作『旅芸人の記録』は、独裁制の到来を描いた前作『1936年の日々』(1972年)に続く、「ギリシャ現代史三部作」の「第二幕」ということになる(『1936年の日々』の項参照)。ギリシャ中の村から村へ、1939年から1952年の、旅回りの一座が「目撃」する激動の時代。メタクサス将軍の独裁に始まり、ナチスの侵攻、イギリス軍の進駐、内戦、パパゴス元帥の右翼独裁政権の登場……。あくまでアンゲロプロスは、国際政治の動向を「歴史映画」として俯瞰するのではなく、ひたすら旅芸人の一座からの視点でギリシャ現代史を横断してゆく。先に書いた通り、まさに「目撃」する、というスタイルだ。
そして特筆すべきは、登場人物にアトレウス家の古代ギリシャ神話を重ね合わせている点にある。父アガメムノン、母クリュタイムネストラ、長女エレクトラ、息子オレステス、そして母の愛人アイギストス……。家族構成や人物関係にみられる神話の既存の構造をモチーフに、激動の時代を駆け抜けてゆく一座の、愛憎や復讐、反動や抵抗を描いてゆく。
メタクサスの独裁からパパゴスの独裁までの、占領と抵抗の十三年間。そしてアンゲロプロスが本作に取りかかった時(1973年)もまたギリシャは軍事政権の圧政下にあった。当局を騙しながら完成させたこの超大作には、アンゲロプロスの並々ならない執念と義憤、集合的記憶の痛恨が込められているのである。
「ギリシャで公開される見込みが全くない映画を撮るだけの価値があるだろうか? そのような決心はどのような意味を持つだろうか? プロデューサーのパパリオスとも議論しました。例え禁じられても、この作品は海外での上映がもたらす反響を通じてその目的を果たすだろうという点で私達は一致しました。こうして私達は、1974年の1月から2月にかけて、圧政が頂点に達していた時期(イオアニディス准将のクーデターなど)に、この作品に取りかかる決心をしました。私達は検閲のいかなる脅威も無視して、映画作りをする覚悟が出来ていました」(アンゲロプロス)

冒頭の舞台は1952年の晩秋。ギリシャ南部ペロポネ半島の町エギオンに、疲れ切った風情の十一人の旅芸人一座が到着する。大統領選挙を数日前に控えた町では、選挙の街宣車がしきりに叫んでいる。「赤い売国奴からギリシャを救った救国の英雄パパゴス元帥に投票せよ!」
そして時は遡り、1939年の晩秋のエギオンに十一人の旅芸人一座が降り立つ。座長の父アガメムノン、母クリュタイムネストラ、長女エレクトラ、次女クリュソテミと子供の五人の一家に、ピュラデス、詩人(呼び名)、老男優、老女優、老アコーディオン奏者、そしてアイギストス……。通り過がりの自転車の男が一行に告げる。「明日の午後、ドイツ第三帝国情報相ゲッペルス閣下が、わがメタクサス大統領閣下のご先導により、エギオンを通ってオリンピア見物に向かわれる……」
一座の演目はペレシアドスの田園詩劇『羊飼いの少女ゴルフォ』である。この悲恋物語のヒロイン・ゴルフォ役は、母から受け継いだエレクトラ。恋人タソス役は父から息子オレステスが受け継ぎ、オレステスが兵役の為、今はピュラデスに任されている。
母とアイギストスの情事を目撃してしまうエレクトラ。前線から休暇で帰ってきたオレステス。秘密警察により、要注意人物であったピュラデスが島送りにされる。
1940年10月、ムッソリーニのイタリア軍がギリシャに侵攻。公演中の空襲。補充兵に合格するアガメムノン。ファランギの下士官に襲われそうになるエレクトラ……。
1941年、ドイツ軍がギリシャ全土を占領。イギリス救援軍兵士やゲリラ兵を探すドイツ軍が一座の宿舎を急襲する。アイギストスの密告によって、オレステスがゲリラ兵であることがバレ、身代わりにアガメムノンが銃殺される(結局、ピュラデスの時もアイギストスの密告があったのだ。アイギストスは、メタクサスの支持者で対独協力者でもあった!)。
1943年〜1944年。長引くドイツ軍占領。恒常化する食料不足。ピュラデスやオレステスはゲリラ兵に、一座はアイギストスを座長に巡業を続けている。
遂にある日、市民とともに一座はドイツ軍に捕まる。哀願するアイギストス。そしてまさに処刑されようとしていたその時、遠くから銃声が。ゲリラ軍の襲撃だ。
1944年秋、ドイツ軍は撤退し、一時、ギリシャに国民統一政府(共産党系の国民解放戦線と、ロンドン亡命王党派の民主国民同盟との連立政府)が成立するも、再び国土は左右両派の内線状態に陥る。
1945年の年始、エレクトラは、ゲリラ闘争を続けるオレステス、ピュラデス、詩人らと再会、三人を連れて劇場へ戻る。一座の劇の最中、復讐に燃えるオレステスは、アイギストスと母を舞台上で射殺し、演出だと思った観客に拍手喝采を浴びる。その晩、秘密警察に強姦されるエレクトラ。
1949年〜1950年。最後のゲリラ達も捕らえられ、オレステスやピュラデス、詩人らも牢獄へ。苛酷な拷問の末、反共宣誓書に署名したピュラデス、精神錯乱で廃人同然の詩人は釈放される。
1951年。エレクトラとオレステスの再会。しかしそれは処刑されたオレステスの亡骸との面会であった……。

本作の登場人物は、古代ギリシャ神話のアトレウス家の物語を下敷きにしており、実のところ、作中でオレステス以外の人物の名前が語られることはない。不必要な説明は一切排除された形で、静かに物語は進行してゆくのだ。神話の浸透しているギリシャでは人物説明が不要なのだろう。実際のところ、初めて本作を観た時、俺も誰が誰なのか理解に苦しむ場面があった(多用されるロング・パンに、徹底したワンシーン・ワンショット。同じ場面で時空を飛んだりもする)。これから観る人は、DVD付属のパンフレットや上記のあらすじにある主要人物を理解した上で観るといい。
歴史的転換点も、政府の決定の瞬間を詳述するのではなく、徹底して人々の反応やミクロな出来事によって示される。これぞアンゲロプロス。「記念碑的歴史」なんてクソくらえ! 不気味に立ち上る、不条理な歴史の連続性に着目せよ。旅芸人一座は時代に翻弄される人々を「目撃」し、我々観る者は「記憶」を「目撃」するのだ。
「私が描きたかったのは“レジスタンスの世代”です。つまり、メタクサスの独裁に反対し、第二次世界大戦を闘い、民族解放戦線(EAM)に入って、山に籠って抵抗した人々です。出来事の圧力によって立場をはっきりとさせざるを得なくなり、その為、勿論左翼の立場から“レジスタンスの世代”とみなされたあらゆる人々です」「すべてはごく普通の民衆の視点から示されます。その同じ民衆が、出来事の諸々の帰結を背負わなければならないのです。この作品は、近年のギリシャ史の一分析である以上に、民衆的な叙事詩なのです」(アンゲロプロス)
物語に引き込まれてしまえば、あっという間の四時間である。この圧倒的なブレヒト的叙事詩、じっくり堪能あれ。
なお、アンゲロプロスの「ギリシャ現代史三部作」は、次作の『狩人』(1977年)に引き継がれる。

「この映画の登場は『戦艦ポチョムキン』や『無防備都市』のそれに匹敵する!」(シュッドドイッチェ・ツァイトゥング)