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17歳の風景〜少年は何を見たのか
  (2005年 日本)
  監督: 若松孝二
  原題: JYUNANASAI NO HUKEI
  主要舞台: 日本
   

  冒頭の海。「生」を拒絶するかのごとき客観的な海。いきなりしょっぱなから、嗚呼若松孝二やなあ、と思ったのは、以前の彼とのコラボレーションを思い出したからだ。
  1998年11月、ソウル・フラワー・ユニオンは、プローモーション・ビデオの制作の為、若松監督と一緒にアイルランドの海岸へ行った。雨風吹きすさぶ劣悪な天候の中、我々四人のメンバーに「走れ!」と指示を出し、自身も砂浜に足を取られ転げそうになりながら、嗚呼やっぱ映画監督やなあ、という熱い姿をまざまざと見せつけてくれたのであった。
  そして冒頭の海である。若松孝二の原風景としての海は、大西洋であれ日本海であれ、同じ色をしているのであった。
  ロック・バンドのプローモーション・ビデオなんて作ったことがない若松監督に、何故そんな仕事を依頼したのか、これは実に行き当たりバッタリな我々のノリでしかないのだが、確か、ソウル・フラワーのライヴにあの巨匠若松孝二が来てたらしいぞ、という情報をスタッフから聞いたことに話は始まる。あとで聞くと、『痴人の愛』(谷崎潤一郎原作)の劇中で朝鮮民謡<アリラン>を演奏する楽団を探していてソウル・フラワーに注目した、ということらしいが、残念ながら「松竹クーデター」によって『痴人の愛』映画化の話は流れてしまい、俺の頭の中には若松孝二の名前だけがインプットされたのであった。
  依頼後、信濃町ソニーのスタジオで実際に会った若松監督は、しゃべるしゃべる、とにかくしゃべる。聞きもしないのに、パレスチナから南京大虐殺、果てはガサ入れの話まで、堰を切ったように語るオヤジ。何や分からんけどこのオッサンおもろそうやぞ、ということになり、ユーラシア大陸の端っこ、アイルランドくんだりまで道中を共にすることになるのであった(来年あたり、この時の二曲<イーチ・リトル・シング><風の市>を収録したベストDVDを出そう)。

  本作は、そんな我らが若松孝二の最新作。自衛隊のイラク出兵に憲法改悪論議と、待ったなしのジレンマ・ゾーンに立つ当節の日本に於いて、この国の映画人は何をやっとるんや(音楽人も同様)!  いざ若松孝二!  との思いも実際あった中での、最新作の知らせであった。
  俺が知っている若松作品はその殆どが初期のものなのだが、それらの作風は、基本的に饒舌で、作者の苛立ちを隠さない攻撃的なものが多かった。しかし本作は違う。主人公の少年をひたすら黙らせることによって、観る者は冷厳な風景と対峙しながら少年と並走することを強いられるのだ。しかも、解説を無視すると、この少年が何処から来て何処へ行くのか、観る者は自由に考えを巡らせることが出来る。そう、「生」への問いかけがここにはあるのだ。いわば、ヤポネシアに浮遊する現在の「日本人」にとっての、リトマス紙のような映画なのである。

  舞台はユーラシア大陸の東端、ヤポネシア(日本列島)。十七歳の少年は、マウンテン・バイクに跨がり、ひたすら北を目指す。何処から来たのか、物語は明かさないが、フラッシュ・バックされる毋親殺しのシーンから、やんごとなき理由がそこにあることは分かる。
  渋谷の通勤ラッシュ。ラーメン屋で毋親殺しの事件を語る高校生達。三国峠を越え、六日町、柏崎、男鹿半島……日本海岸を北へ、北へ。
  招き入れられた雪洞での地元民の会話。駅の待合室で出会った元軍国少年(針生一郎)の戦争体験談。先行きを案じる漁師達。強制連行の過去を持つ在日コリアンのハルモニ(関えつ子)が歌う<恨五百年>……。
  チェーンの切れたマウンテン・バイクを担ぎ、津軽半島の先端、竜飛岬へ辿り着いた少年は、息を切らしながら岸壁の頂上へ。目前は津軽海峡である。
  少年が出会い、語りかけてくる者達から否応なく受け取る、「生」の鈍い光は、絶望の淵に立つ孤独な少年を一体何処へ連れてゆくのだろう……。

  2000年、岡山県で起きた十七歳の少年による毋親殺しの事件から着想を得た本作ということだが、「暴力と死」を描いた(はずの)本作から俺が受け取ったのは、監督の狙いがどうであれ、積極的「生」そのものだ。勿論何度も繰り返される毋親殺しのフラッシュ・バックをまともに受け取ると、当然少年は、毋親を殺したのち北へと死場所を探しているということになるのだろうが、しかし、実際観客はいまだ「殺人」を見てはいない。これは重要だ。
  父親のメタファとしての富士山を無視し(権威をちらつかせる父親を無視することは、時に重要だ)、毋親のメタファとしてのマウンテン・バイクを最終的に岸壁へ叩き付けた少年。こうも言える。旅の途上で出会った「死ぬまで生きる者達」との会話は、少年の毋親殺しという願望的「空想」を粉砕したのではなかったか。コミュニケーション・ブレイクダウンの「マザコン・ニッポン」は、ママに買って貰ったマウンテン・バイクを津軽海峡の波間へと投げ捨てなければならなかったのではないか。そう、津軽海峡のその先はアイヌ・モシリだ!
  実際の事件の岡山の少年は、毋親殺しの十六日後、秋田で逮捕されている。若松監督が主人公の少年に竜飛岬まで行かせたことからも、少年の積極的「生」の物語を描こう、という監督の内なる意志を読み取ることが出来るのである。
  劇中、ぎこちなく戦争体験を語る針生一郎や関えつ子に仮託した若松監督のメッセージも重要だ。怒りの方法を忘れた日本男児は、すぐにキレる。怒りまくるがキレない男、若松孝二が世に放つ入魂の自伝的青春劇が本作なのである。
  68歳の風景。オヤジは何を見たのか?
  今夏ロードショー公開。