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モーターサイクル・ダイアリーズ
  (2004年 イギリス=アメリカ)
  監督: ウォルター・サレス
  原題: THE MOTORCYCLE DIARIES
  主要舞台: アルゼンチン
    品番:ASBY-5265
発売元:日本ヘラルド映画株式会社
販売元:アミューズソフトエンタテインメント株式会社
コピーライト:(c)Film Four Limited 2004. All Rights Reserved.
製作年:2003
税込価格:3,990円

「大きな仕事を行うには、何ごとであれ情熱が必要です。革命には、多くの情熱と大胆さが求められるのです」(エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)

  20世紀、最も神話に近づいた伝説の男。生涯を理想の実現に捧げた男。階級の壁を打ち破った男。酷い喘息に打ち勝った男。アルゼンチンの呼びかけの語「チェ(おい)」を冠され、誰からも愛された男。しかし闘いに於いては非情に冷徹な判断が下せた男……。
  チェ・ゲバラほど、商業的イコンにされようとも、「第三世界」中で愛され続け、またその意志や信念が語り継がれ続けているカリスマは他にいないだろう。
  2002年5月、ソウル・フラワーが東ティモールへ行った際も、このポップ・イコンによって世界最貧国の庶民が勇気づけられているところを俺も目撃している。我々が出会った東ティモールの若き元山岳ゲリラ兵達が着ていたTシャツには、アルベルト・コーダが1960年に撮影した、かの有名なゲバラの顔があったのだ。そればかりか、東ティモールの至る所の壁という壁に、ゲバラの顔がペイントされてもいる(ゲバラの顔だらけの、通称「ゲバラ橋」もあるそうだ)。先進国に住む者達の慰みものとしてのポップ・イコンであるだけではなく、ゲバラのイメージは、しっかりと世界中の抑圧された人々にとっての希望のシンボルであり続けているのだ。
  ゲバラを殺したボリビア政府軍とCIAは、彼の両手を切り落とし、デス・マスクを作り、その死の証明によってゲバラのカリスマ性を失墜させようとしたらしいが、やはり権力というものは何も分かっていないものだ。世界の被抑圧状況におかれている人々にとって、「チェ・ゲバラ」という語のもつ響きは、夢や希望を語るように、躍動をもって迎えられる未来そのものなのだ。不屈の魂は決して死なず、人々の心の中で生き続けているのである。

  本作は、アルゼンチンの医学生エルネスト・ゲバラが、その人生を大きく変えるきっかけとなる最初の旅を綴った自著『モーターサイクル南米旅行日記』(現代企画室)の映画化だ。
  この『モーターサイクル南米旅行日記』は、1952年、二十三歳のエルネストが親友アルベルト・グラナードと「ポデローサ(怪力)2号」(1939年式ノートン500型のバイク)に跨がり、アルゼンチン、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラと、3000マイルに及ぶラテン・アメリカ南北縦断旅行に挑戦した際の日記を元に、のちにゲバラ自身が物語風に書き改めた冒険記である(俺は十年程前に半分ぐらい読んだままほったらかしにしていた。このたび読了)。
  何よりも、この『モーターサイクル南米旅行日記』の白眉は、「神話」時代以前の「英雄」の葛藤や試練を描いている点にある。おんぼろバイクによるこの南米縦断の苛酷な旅は、若きエルネストとアルベルトにとって、自己探索の旅であったのと同時に、ラテン・アメリカ人としてのアイデンティティを発見する旅でもあったのだ。アメリカを後ろ盾にした為政者による圧政。先住民族の苛酷な現状。ハンセン病患者の被差別状況などなど。エルネストの目前に広がるラテン・アメリカの深部の風景には、厳然たる階級社会の搾取構造があった。
  二人のこの旅は当初、「町ごとに女を作ろうぜ」という軽いノリで始まっている。二人の共通点は冒険心と情熱。しかし各地のあまたの出会いは、徐々に、エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナを「チェ・ゲバラ」に変えてゆくことになるのである。
  ロード・ムーヴィーの傑作『セントラル・ステーション』(1998年)をものにしたウォルター・サレスならではの人間主義、映像美が全編に冴え渡る、素晴らしい映画版『モーターサイクル・ダイアリーズ』の誕生だ。「必見!」と叫んでおこう。

  「舗装されていない道路を初めて走り、いきなり不安に襲われた。一日で九回転倒してしまったのだ。しかし、このとき以来唯一の寝床となった折りたたみ式ベッドを“ポデローサ”の脇にしつらえて横になると、未来への希望で胸が高鳴った。もっと自由で、もっとさわやかな、冒険精神に満ちた空気が吸えるような気がした。遥かな国々、英雄的行為、美しい女性達の姿が、僕達のとてつもない想像の中で、ぐるぐると渦を巻いていた」(エルネスト・ゲバラ)

  1951年の年の瀬のブエノス・アイレス。二十三歳の喘息持ちの医学生エルネスト・ゲバラ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、学業もほぼ修了ということで、二十九歳の生化学者の親友アルベルト・グラナード(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)と、南米大陸を縦断するバイク旅行を計画、年始の声とともに出発する。「足」はアルベルト所有のおんぼろバイク「ポデローサ2号」。青春の熱狂と夢に身を任せた、無鉄砲な自己探索の旅である。「惨めな生活とも退屈な講義ともおさらばだ!」(エルネスト・ゲバラ)
  しかし金のない二人が選んだ旅のコースは、あまりに大胆なルートであった。ブエノス・アイレスをパタゴニアへ一旦南下、険しい6000メートルのアンデス山脈を抜け、チリの海岸線に沿って北上、アタカマ砂漠を通り抜けてペルーのアマゾン川上流へ出る、というもの。予定ではアルベルトの三十歳の誕生日には南米北端のベネズエラ、グアヒラ半島へ到着することになっている。
  まずエルネストは、恋人チチーナとのしばしの別れの為、ミラマールへ立ち寄る。そしていよいよ旅の本番に突入だ。しかし、胸高ぶらせて夢に見た旅路ではあったが、苛酷な自然状況が容赦なく二人に襲いかかる。加えて「ポデローサ2号」のおんぼろ具合が予定を大きく狂わせるのだ。幾度となく、ご機嫌斜めな「ポデローサ2号」は、二人を振り落とすのである。
  フリアス湖を渡りチリへ入国。苛酷な雪山。度重なる「ポデローサ2号」の故障、転倒。テムーコでの酒難、女難……。金欠の二人は、寝食を手に入れる為、あの手この手を使い、口八丁で現地の人々に交渉。チリの地方紙、アウストラル新聞に大きく「アルゼンチンのハンセン病専門医二人、オートバイで南米の旅」と取り上げられ、その記事を「武器」に旅を続けるのであった。
  ロス・アンヘレスで、遂に「ポデローサ2号」の修理が不可能であることを、機械工に宣告される。落ち込むアルベルト。
  ヒッチハイク。パブロ・ネルーダの町バルパライソ。チチーナからの別れの手紙。徒歩のアタカマ砂漠。チュキカマタ銅山。ペルー入国。アルベルト三十歳の誕生日。クスコ、マチュ・ピチュのインカ遺跡……。極度の疲労と空腹を抱えた二人は、逃亡中の共産主義者や極貧の移民労働者、苛酷な生活を強いられるインディオ(先住民族)らと出会い、今まで知らなかったラテン・アメリカの真の姿をそこに見るのであった。
  リマに到着した二人は、連絡をつけていたペッシェ博士(グスターボ・ブエノ)と会い、彼の紹介により、アマゾン川奥地のサン・パブロにある南米最大のハンセン病療養所で働き始める。修道女達はスタッフと病人を隔離する方針で施設を運営していたが、二人はそれを無視して、ハンセン病患者達と自由に交流しながら過ごすのであった。当然、偏見と差別に苦しめられてきた患者達は喜んだ。エルネストとアルベルトは、頑迷な迷信のあったこの時代にあって、ハンセン病が伝染しない病であることを直感的に悟っていたのだ。
  二十四歳になったエルネスト。施設から贈られた筏「マンボ・タンゴ号」に乗り、サン・パブロをあとにする二人は、もはや旅の前の二人ではなかった。この八ヶ月の無鉄砲な旅は二人の人生を大きく変えたのだ。アルベルトは、ハンセン病施設で働く為、ベネズエラのカラカスに残り、エルネストは、帰国して医学部を卒業することに決めるのであった……。
  「これは偉業の物語ではない。同じ大志と夢を持った二つの人生がしばし並走した物語である」(エルネスト・ゲバラ)

  その後、医師資格を取得したエルネストは、1953年7月に二度目の旅を敢行。グアテマラで毛沢東やサルトルを学び、多くの亡命キューバ革命活動家と接触。1954年9月にはメキシコシティで医師として働き、1955年7月、遂にエルネストの人生を大きく変える男、フィデル・カストロと出会うのである。革命家「チェ・ゲバラ」の誕生だ。
  なお、アルベルトがエルネストに再会するのは、旅から八年後の1960年。名高き指導者となっていたエルネストによってキューバへ招かれたアルベルトは、キューバ医大を設立し、以降、ハバナで教鞭を執りながら、妻、子、孫らと暮らしている。

  「混血のアメリカ大陸の名もなき人々。憂鬱で寡黙な人々。彼らは皆、同じ悲しみの唄を歌っている。しかし今、彼らは自らの歴史を記し始めた。自らの血をインクに、死と苦しみの歴史を記す。今まさにこの大陸の野原や山で、山のふもとや密林で、街の孤独の中で、川や海の岸辺で、無数の心が動き出した。自らのものを守るため、死をも恐れずに。500年もの間、奪われてきた権利を取り戻そうとしている。歴史もこれ以上この大陸の貧困を無視できまい。搾取と侮辱に耐えてきた人々は今、自らの歴史を自らの手で記し始めたのである」(エルネスト・ゲバラ)

(『トラベリング・ウィズ・ゲバラ』の項へ続く)