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ピエロの赤い鼻
  (2003年 フランス)
  監督: ジャン・ベッケル
  原題: EFFROYABLES JARDINS(STRANGE GARDENS)
  主要舞台: フランス
    発売元:ハピネット・ピクチャーズ
販売元:パピネット・ピクチャーズ
DVD:¥3,990
品番:BIBF-5557

  戦争責任を曖昧なまま放置してきた日本と異なり、ドイツの近隣諸国からの信頼回復は、物心両面の交流の中に具体的な形となって表れてきているようだ。勿論、EU発足も大きいだろう(『スパニッシュ・アパートメント』の項参照)。そしてそれはヨーロッパ映画に於ける第二次大戦描写の微妙な変化にもみてとれる。
  例えば、以前のヨーロッパ映画で「人間味のあるナチス・ドイツ兵」の描写はありえなかったし、特に「レジスタンス神話」が今も息づくフランスでは、親ナチ派か抵抗者か、というような極端な人間描写が一般的であった(それでもハリウッドの勧善懲悪映画よりはずっとマシ)。しかし当り前の話だが、そこには市井の雑多な人々がさまざまな感情を抱えて生きてもいたし、ただ静かに平和に暮らしたいと戦況の推移を客観視する多くの「臆病者」もいた訳である。
  社会主義リアリズムだけでは割り切れない、個人の内包する葛藤・矛盾にこそ着目せんとする思潮の傾向は、間違いなくヨーロッパに於ける旧国家主義の衰退と歩みをともにしている(EUという巨大な国家が新たに出来た、という問題は、ここでは置く)。そして、少なくとも日本よりは戦争責任に真摯に取り組んできたドイツの信頼回復が、反日に湧きかえる東アジアの現状とは正反対の、ヨーロッパの現在を作り出してもいるのだ。

  本作『ピエロの赤い鼻』は、ドイツ占領下のフランスの、まさに「市井の雑多な人々」を描いた悲喜劇である。英雄でも何でもない、むしろ情けない男達の有り様が、しかしそこにこそ人間の愛すべき本質があるのではないか、といった調子で展開してゆく。
  監督は前作『クリクリのいた夏』でも庶民の心の推移を見事に活写してみせたジャン・ベッケル(名匠ジャック・ベッケルの息子)。『クリクリのいた夏』で名演をみせたジャック・ヴィユレ(『奇人たちの晩餐会』)、アンドレ・デュソリエ(『恋するシャンソン』)がここでもいい味を出している。
  ちなみに本作は、ジャン・ベッケルの盟友セバスチャン・ジャプリゾ(2003年逝去)の言葉「笑いは最高の武器だ」にオマージュが捧げられているが、残念なことに、その言葉を地で行く名優ジャック・ヴィユレ(2005年1月逝去)の遺作になってしまった。
  原題は「恐るべき庭」の意。元ピエロのドイツ兵が赤い鼻をつけて捕虜を和ませる、という物語をそのまま表した邦題も悪くない。

  舞台は1960年代前半、フランスのとある田舎町。生徒に愛されている小学校教師のジャック(ジャック・ヴィユレ)は、毎週日曜日、赤い鼻をつけたピエロ芸人になり、公民館の村祭りで人々を笑わせている。しかし14歳の息子リュシアンは、大好きな父のそんなピエロ姿がいやでいやでしょうがない。この日も、町の人々を前におどけたピエロを演じて大喝采を浴びている父を見て、やりきれない気持ちだ。
  不機嫌なリュシアンに、ジャックの古くからの無二の親友アンドレ(アンドレ・デュソリエ)は、ジャックがピエロになったその本当の理由を語って聞かせる。それは、子供のリュシアンには思いもよらなかった、あまりにも悲しいドイツ占領下の記憶であった。
  回想。時は1944年。ジャックとアンドレは、連合軍の反撃情報やレジスタンスの地下放送を耳にし、二人のあこがれの女性ルイーズ(イザベル・カンディエ)にいいとこを見せる為、にわかレジスタンス活動を始める。それは、ドイツ軍物資運搬路線のポイント切り替え施設の爆破であった。
  爆破作戦は成功し、アンドレの知り合いの鉄道員フェリクス(ヴィクトール・ガリヴィエ)が重傷を負うも、そのことを知らない二人は、突如踏み込んで来たドイツ兵によって身柄を拘束されてしまう。この逮捕は、バレたからでなく、真犯人が名乗り出るまでの人質ということである。
  ぬかるんだ劣悪な環境の穴倉へ閉じ込められたジャック、アンドレ、それにティエリー(ティエリー・レルミット)とエミール(ブノワ・マジメル)。真犯人が名乗り出なければ処刑されてしまう四人だが、人質も何も、ジャックとアンドレ自身が真犯人。激しい雨が容赦なく降り注ぎ、恐怖と空腹と寒さの苛酷な状況下で途方に暮れるしかないジャックとアンドレであった。ここでは、死の恐怖と裏腹に、間抜けな会話しか出来ない四人が描かれる(この辺のひきつった笑いもいい)。
  そんな追い詰められてゆく四人の前に(穴底にいるから厳密には「上に」だ)、突然ドイツ兵ベルント(ベルナルド・コリンズ)が姿を現す。元ピエロ芸人であったベルントは哀れな四人に道化芝居を披露し、思わず四人は笑い出してしまう。そして彼は、こっそりパンやりんごを投げ入れ、シャルル・トレネのシャンソン<よろこびのうた>を歌い、絶望の淵にある四人に「生きている限り希望がある」と語りかけるのであった。
  いよいよ処刑が迫る。しかし、上官の射殺命令を拒否してピエロの赤い鼻をおもむろに付けたベルントが、上官の逆鱗に触れ射殺されてしまう。そしてそこに「真犯人自供」の報が。何と重体のフェリクスが、「どうせ自分はもうすぐ死ぬ身」と、四人を救う為に「真犯人」の名乗りを上げるのであった……。

  戦時下の絶望的状況にユーモアとペーソスを絡ませる手法なら、『ライフ・イズ・ビューティフル』『ノー・マンズ・ランド』『バティニョールおじさん』などの方が一枚上手ではあるが、本作の白眉は、シャルル・トレネの<よろこびのうた>が現在(1960年代前半)と過去(1944年)を繋げる積極的人間讃歌として観る者の心を打つ、そのストレートなメッセージ性にある。そう、キャプラの『素晴らしき哉、人生!』にみるような、気恥ずかしい程の開けっ広げな人間愛の表出だ。人生の素晴らしさを教えてくれるのは、えてして、人生を心から謳歌しているちょっと間の抜けた人々の素朴な物語であったりするのだ。
  そして、さりげなく<よろこびのうた>は、ベルントからジャックへ、ジャックからリュシアンへ、リュシアンから観客へ、遺志を継ぐように、魂を継ぐように、歌い継がれることになる。個人が国家や戦争に勝利を収めるその「瞬間」がここにはあるのだ。
  さあ、赤い鼻を付けよう!  ピエロに扮して<よろこびのうた>を歌おう!

  「心が弾む/こんにちは、ツバメ達/屋根の上に広がる空は喜びに輝く/路地には太陽が降り注ぎ、心も明るく/世界は喜びに包まれてる/いつも僕の胸はときめき、揺れ動く/何かを連れてやってくるのは愛/それは愛/こんにちは、お嬢さん/世界は喜びに包まれてる/パン屋は極上のパンを焼く/おいしそうで食べたくなる/郵便屋は空に飛び立つ/青い天使みたいに/ジャヴェル駅で奇跡が起こる/トンネルから出たメトロが/青空と唄にうっとりし/森の方へ走っていく/エッフェル塔が散歩する/セーヌ河を飛び越えて/私が変ですって?/いえ、違う/独りぼっちで退屈だったの/税務署のお役人は帰り支度/仕事をやめて優しい声で/今日はこれでさようなら/皆さん払わなくても結構/ふいに僕はベットで目覚める/全て夢だったんだ/空は灰色/起きて身支度しなければ/もう歌えない/夢は終わり/でも、この夢を見て幸せだ/だって僕は唄を作れたから/春の唄、愛の唄を/青春の唄、永遠の唄を」(シャルル・トレネ<よろこびのうた>)