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橋のない川<第二部>
  (1970年 日本)
  監督: 今井正
  原題: HASHI NO NAI KAWA-2
  主要舞台: 日本
    発売・販売:エースデュースエンタテインメント
価格:各4,935円(税込)
品番:〈第一部〉ADE0408 〈第二部〉ADE0409

  (『橋のない川<第一部>』の項からの続き)

  イタリアン・ネオ・レアリズモの名作群にも決して引けを取らない「今井版」の第一部ではあったが、残念ながら第二部の方は尻つぼみの感が拭えない。
  しかしそれにも理由があったようだ。今井監督自身の語るところによると、本来『橋のない川』の構成は第三部まで考えられていたのにも拘らず、解放同盟の制作妨害や上映阻止闘争によって、やむなく第二部に二部三部を詰め込まざるを得なくなったということだ。確かに、無理矢理詰め込んだ感の否めない性急な逸話の羅列や、第一部とは異なる妙に芝居がかった演出は、名作と言ってもいい第一部を作った同じ監督のものとは思えない。原作のもつ奥深い世界を知る者に言わせると、この超大作を映画化する為に最低三部構成(あるいはそれに相当するサイズ)が必要であることは良く分かる。もし第一部の調子のまま三部まで通して作ることが出来ていたら……と考えると、これはまったくもって残念な話だ。
  山田洋次監督が、生前の住井すゑに、是非次の機会があったら『橋のない川』を僕にやらせて欲しい、と語ったらしいが、今からでも遅くはない、「山田版」の実現に期待したいところだ。

  第二部のあらすじ。
  高等科を優等で卒業した十八歳の孝二は、度重なる就職差別ののち、故郷の小森で靴職人になっている。孝二は、小森で教師になったまちえと卒業後初めて再会し、長い苛酷な差別の歴史と酷い現実を語り合うのであった。
  そんな中、大阪で身売りをしていた藤作の娘お夏は、世を果無んだ末に部落出身の清一と心中自殺を遂げ、妹しげみはお夏の前借りの肩代りと口減らしの為に自ら身売りを望むのであった。
  一方、大阪の米問屋へ奉公に出ている兄誠太郎。主人の徳三郎は、誠太郎のことを気に入っていたが、娘あさ子が誠太郎との結婚を望んでいることを知るやいなや態度急変、誠太郎をクビにし、二人の仲を引き裂いてしまうのであった。
  時はシベリア出兵の時代、軍国主義への道をひたすら突き進む日本。
  米価の異常な高騰も、米問屋は政府と結託して買占めを始め、部落民には一握りの米すらわたらない。そして遂に、富山を皮切りに始まった米騒動は大阪にも波及するのであった。
  官憲に追われながら東京から帰郷した寺の息子秀昭は、融和団体「平等会」の創立大会で部落改善運動の先頭に立ち、「部落民は自らの手で差別と貧困を追放せよ」とのビラを撒く。飛び交う怒号。紛糾する会場。被差別者による世界初の人間宣言といわれる水平社創立への第一歩は、かくして始まったのであった……。

  さて、「差別映画」の烙印を押されたこの第二部、どこが問題にされたのか。良く知られているのは、飲んべえの永井藤作(伊藤雄之助)が列車で席を横取りするシーンと、藤作の娘しげみが孝二に蛇を投げるシーンだ。当時の解放同盟が、「結局部落民はああなんだ」と取られることを恐れ、差別の助長を憂慮したシーンであることも今となっては分かるが、しかしこれは、言いがかりと取られても仕方のない過剰反応である(それぐらい差別が苛酷であったことも良く分かる)。我々が子供の頃に学校で良く観た「同和啓発映画」では決して考えられない、「弱さ」も「非行」も暴露してしまう人間味溢れる描写こそが、映画という表現形態に於ける差別構造への真摯な態度であると、俺は考えるからだ。当時の解放同盟が望んだような、現実を克服してゆく不屈の部落民ばかり描いても、観る者に壮絶な部落差別の本質は伝わらないであろう。そう、むしろ永井藤作の存在がたたえているユーモラスな深みは「今井版」の強みなのである。
  ちなみに、一気に大ファンになってしまった藤作役の伊藤雄之助(彼が出演している作品ならなんでも観てみたい、と思わせる程の熱演だ)。撮影の直前の1968年に脳溢血で下半身不随になっていたが、撮影に病院から通う程の、本作への熱の入れようであったそうだ。伊藤雄之助のみならず、監督、スタッフ、出演者の、並々ならぬ熱意と決意によって本作の成立していることが、制作された時代を鑑みても良く分かる。「今井版」『橋のない川』の全編に流れる荘厳な義憤は、(原作との比較上の)少々の「弱点」をも補って余り有る、とここでハッキリ断言しておきたい。とにかく必見、の「今井版」『橋のない川』である

  地球上の全生物の中で、ひとり人間のみが行なう摩訶不思議な営為である「差別」。その荒唐無稽さを看破した、人類史に燦然と輝く素晴らしい文章をここに引いておこう。1922年(大正11年)3月3日、京都・岡崎公会堂で行なわれた全国水平社創立大会で採択された「水平社宣言」だ。有史以来初めての、被差別者が自ら解放を勝ち取らんとする、感動的な宣言文である。

  全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。
  長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を斎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間をいたはるかの如き運動は、かえつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬することによつて自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは、寧ろ必然である。
  兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業の殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、温かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢のうちにも、なほ誇りうる人間の血は涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
  吾々がエタであることを誇りうる時が来たのだ。
  吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間をいたはる事が何であるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
  水平社は、かくして生まれた。
  人の世に熱あれ、人間に光あれ。

  「そもそも私が『橋のない川』をなぜ書いたかと言えば、人間はすべて平等であるということを訴えたいと思ったからです。私達はたまたま日本に生まれただけのことで、自分から志願して日本に生まれた訳じゃない。中国に生まれた人も、たまたま中国に生まれたのであり、イギリス人もたまたまイギリスに生まれただけのことである。誰一人として、ここに生まれたいと思って生まれてこれる人間はいないんです。だとすれば、みんな知らずに生まれてきたという意味では、どんなとこに生まれようと、それはすべて、たまたまそこに生まれたというだけに過ぎず、その意味では人間はみんな、同じじゃないか、平等じゃないかということが言いたかったのです」「私は人間の歴史として、人間が同じ人間を差別した事実と、そのことで差別された人間がどれほど苦しい思いをしたのか、今もどれほど悲しい思いをしているのかを、これからの人達にも知って欲しいと思っています。それが分からなければ、人間の歴史が分からない、人間そのものも分からないということになりますから。私は、これから五十年、百年と経った時に、人々が『橋のない川』を、どういう思いで読んでくれるのか、今から楽しみなんです」(住井すゑ)