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太白山脈
  (1994年 韓国)
  監督: イム・グォンテク(林權澤)
  原題: テベクサンメク(TAEBAEK MOUNTAINS )
  主要舞台: コリア
    発売元:シネカノン
販売元:アップリンク
商品番号:ULD-040
税込価格:¥5,880

  1945年8月15日。それは、皇国日本の苛酷な圧政下に置かれていたアジアの人々にとって、「解放」を意味する抵抗の勝利の日であるのと同時に、米ソ対立の新秩序への新たな闘争の始まりを意味する日でもあった。
  特に、朝鮮民族にとってこの「解放」はのちの歴史が示す通り「分断」の時代への突入を意味し、その後、南北両政府や米ソの都合によって、当時の無数の虐殺や粛清がタブーにされ、闇に葬られている。三十六年にわたる日帝支配の終焉と同時に、新たなハイエナ・米ソが、まさに独り立ちせんとする朝鮮人民の頭上に襲い掛かって来たわけだ。つまるところ、米ソにとっての極東アジアは、軍事戦略上の要衝でしかなかったということである。
  大国によって利権を食い物にされ尽くした朝鮮民族の受難史の中でも、「解放」から「分断」に至る数年間(1945年〜1953年)の流れはとりわけ重要だ。長年アメリカと軍事独裁政権(親日派)がひたすら隠蔽してきた無数の左派弾圧(今ではズバリ「民間人虐殺」と総称されている)の解明は、南北統一への通過儀礼としても、日韓の歴史認識の共有に於いても、避けて通ることの出来ないかなめにある(勿論その逆もだ。北の「反動分子」「反逆分子」への粛清は熾烈を極めた)。
  「分断」に至る概略はこうだ。1945年9月、呂運亭(ヨ・ウンヒョン)らによって朝鮮人民共和国が樹立されるも、自主独立を無視した米ソはそれぞれ南北を占領。同年12月、米英ソ外相会議で五年間の信託統治決定(連合国は解放直後の朝鮮に独立の能力は無いと判断!)。1946年2月、北で金日成(キム・イルソン)を中心に朝鮮臨時人民委員会が設立。1947年6月、南で南朝鮮過渡政府が建てられる。1948年2月、金日成、朝鮮人民軍を結成。同年8月、アメリカ、李承晩(イ・スンマン)に大韓民国を建国させる。9月には、ソ連の援護を受けた朝鮮民主主義人民共和国が建国。そして遂に、1950年6月25日、数百万人が犠牲となる朝鮮戦争が勃発するのである。
  アメリカが占領した南朝鮮はとりわけ悲劇的状況にあった。米軍政は、独立運動勢力を弾圧する為に、植民地時代に日本の協力者として活動していた親日派や、地主、右翼勢力を存分に利用した。日帝支配下の民族解放運動勢力が弾圧され、親日派が「反共」の一字をもってして米軍政と結びつくという、「解放」から程遠い状況が出現することになるのであった。反米闘争は激化し、同胞同士の血で血を洗う報復の連鎖が始まるのである。
  米軍政による左派弾圧の中で良く知られているものに、慶尚北道大邱(テグ)の「10月抗争」(1946年)、「3・1節示威発砲事件」(1947年)、「済州島(チェジュド)4・3事件」(1948年)、全羅南道の「麗水順天(ヨススンチョン)反乱事件」(1948年)、「慶北聞慶(ムンギョン)虐殺事件」(1949年)、「老斤里(ノグンリ)虐殺事件」(1950年)などがあり、特に「4・3事件」以降の六年にわたる済州島での弾圧は熾烈を極め、一説によると八万人もの島民が虐殺されたということだ(島民の三分の一!)。また、朝鮮戦争開戦以降、米軍による民間人虐殺事件は日常茶飯事となり、闇に葬られたままの事件は無数にあるという(建国当初からアメリカの方針が変わったことはない。先住民に始まり、太平洋の島々、フィリピン、極東アジア、ベトナム、イラク、アフガンと、同じ論理で殺戮、侵略を続けている。「やり方」の相似性にも着目したい)。
  親日派の地主や警察、青年団を装った極右テロ集団は、植民地時代の支配者であり、「解放」後の朝鮮人民にとって、本来であれば「民族の敵」。アメリカは朝鮮半島を支配する為に彼らをそのまま利用したのだ。そうしてみると、日本が責任を取るべきは、侵略の三十六年だけではなく戦後の「分断」の背景にもある。朝鮮戦争ののち、軍事独裁体制を許すことになった韓国社会の不幸は、アメリカの援助によって息を吹き返した親日派達が執権を握ったことにこそあったのだ。

  1990年代にようやくそうしたタブーへの接近が可能になった韓国で、「麗水順天反乱事件」から朝鮮戦争(1950年)までの、全羅南道に於ける左右の壮絶な武装闘争を描いた「一大叙事詩」が登場した。巨匠イム・グォンテク監督の実体験を元にした大作『太白山脈』である。それでも、当局のクレームや右派マスコミの攻撃の為に本作の制作は一年間の延期を余儀なくされ(「アカ(赤化分子)にそんな映画を作らせて良いのか!」)、その期間、契約の為にやむなく同じスタッフで撮影したのがあの名作『風の丘を越えて<西便制>』であった(それもスゴイ!)。
  『風の丘を越えて<西便制>』で圧倒的なパンソリを聴かせてくれたオ・ジョンヘが、本作でもムーダン(巫女)役で、儀式シーンの中、その素晴らしい唄声を披露している。

  舞台は全羅南道の小さな町ポルギョ(筏橋)。物語は、1948年10月、「済州島4・3事件」の鎮圧に向かうはずであった国軍第十四連隊が、同胞を殺したくないと鎮圧任務を拒否、ヨス(麗水)で反乱を起こし、ポルギョの左派勢力とともに町を占拠するところから始まる。しかし国軍の鎮圧部隊は直ぐさまこれに反撃、左派勢力は山中に逃れてゲリラ(パルチザン)となる。
  逆に町を占拠した国軍と警察、加えて右派の青年団は、気にくわない連中やその家族にアカのレッテルを貼り、弾圧・襲撃を繰り返す。北朝鮮や米占領下の日本のように農地改革が容易に進まない南では、地主と小作人の対立が激化し、民衆は心情的に南韓労働党や左派勢力の側に立っているのである。
  物語は、四人の主要人物を中心に進行する。左派のリーダー、ヨム・サンジン(キム・ミョンゴン)は、山に籠りパルチザンとして抵抗する不屈の闘士。ヨム・サンジンの弟、ヨム・サング(キム・ガプス)は、出来のいい兄への反撥からチンピラになった筋金入りの反共主義者。ムーダンのソファ(オ・ジョンヘ)は、左派ゲリラのチョン・ハソブ(シン・ヒョンジュン)と恋に落ちるが、あくまでもシャーマンの立場にいる。高校教師で民族主義者のキム・ボヌ(アン・ソンギ)は、左右両者の誤りを説く良心の人(「人を道具にしか見ない思想は人を救えない!」)。彼ら四人を狂言回しに、小さな町ポルギョでの報復の連鎖の悲劇がリアルに描かれてゆくのだ。昼は国軍、夜はパルチザンが支配するポルギョ。なりゆき上、立場を問われることになる民衆が、次々と武装闘争の名目の中、殺されてゆくのであった。横行する弾圧、粛清、密告。
  そんなある日、国軍の掃討でその八割方を失ったヨム・サンジンら山岳パルチザンに、待ち望んだ「朗報」が入る。1950年6月、遂に北朝鮮人民軍が38度線を突破、南進、一気に全羅南道までを支配下に入れるのであった。
  しかし、ポルギョの町が「解放」されるも、北の人民軍は南のパルチザンや南韓労働党を冷酷に見下す始末。同志である(はずの)人民軍の援護を待ち望んでいた左派勢力は、人民軍の傲岸な教条主義的態度に幻滅を感じながら、国軍と国連軍(アメリカ)の反撃ののち、北朝鮮軍とポルギョの町から敗退するのであった。
  再び山岳パルチザンとなる決意をしたヨム・サンジンが、去り際に、キム・ボヌへ吐露する言葉は重い。「マルクスを初めて読んだ時の感動が忘れられない。搾取も抑圧もない平等社会を築くのだ。その為にすべてを捧げてもいいと思った。しかしいつの間にどこが間違ったのか?」
  ラスト・シーン。ムーダンのソファによる、死者を慰霊する唄声が、内戦の町に響きわたるのであった。

  全羅南道出身のイム・グォンテク自身(1936年生まれ)、「解放」から「分断」に至るこの時代、左派の両親や親族が弾圧の憂き目に遭っている。きっと、彼を捉え続ける、少年時代の痛恨から来る呪縛こそが本作の制作動機にあるのだろう。なにせ長年韓国映画での左翼の人物像は、常に悪魔のように描かれなくてはならなかったのだから、当初本作が画期的であったことも理解出来よう。そうみると、「そこには左右に二元化出来ない多くの悩み苦しむ人間がいた」という少年時代の記憶と事実の刻印こそが、イム・グォンテクにとっての重い命題なのではなかったか。左右両派の過激な暴力を否定する為に「日和見主義者」の烙印を押されたキム・ボヌや、その他多くの思想的中間的立場の存在こそが、未来を見据えたイム・グォンテクの嘆きを体現する「分身」なのであろう。
  劇中、キム・ボヌが国軍の中尉にポルギョの状況を説明するシーンがあるが、ここは監督による観客への情勢解説ともいえるシーンなので引いておこう。
  「左翼と右翼の葛藤は、すべて土地をめぐって起きています。土地問題は日帝の侵略から始まりました。朝鮮半島を植民地にした日本は、八年にわたって農民の土地を略奪し、八割の農民が小作人になってしまいました。そしてその小作人の八割が飢えに苦しむ貧農と呼ばれる人達です。日本人と手を組んで土地を買い、大地主となったいわゆる親日地主も多くいます。彼らは農民を搾取し、植民統治に協力しました。地主が収穫の七割を吸い取る為、農民はいつも飢えに喘いでいました。このような悲惨な状況は南部地方に集中し、最もひどいのがここ全羅道でした。そして解放後は米ソに占領され、北が無償分配の農地改革を断行したのに対し、南では財産を奪われまいとする地主が強く反発して農地改革が遅れたのです。地主への失望と怒りを爆発させた小作人は葛藤を深め、そこへ左翼が割り込んだのです。左翼が主張する無償分配と、土地を欲しがる小作人の考えが合致し、多くの小作人が思想も知らぬまま左翼に同調し加担しました。多くの小作人がパルチザンに参加して山に入って行ったのもその為です」
  心情的にも立場的にも右往左往させられ、実際にも激しい南北移動を伴ったこの朝鮮戦争のことを、かの地の人々は「アコーディオン戦争」とも呼んだそうだ(南北の死者総数460万人。当時の総人口の23%!)。そういえば、冒頭タイトルバックの左右に飛び交う鳥の大群の舞は、朝鮮人民の受難史そのものではないか。
  壮絶な時代を懸命に生き抜いた多くの人々。虫けらのように殺された、「恨(ハン)」を抱えたままのあまたの魂。本作は、人間不在のイデオロギーなるものによってその人生を翻弄された多くの魂への、時空を越えて響き渡る鎮魂歌、であるのと同時に、平和な未来、民族統一への祈りと願いに詰まった、魂の深遠から立ち上る民族の絶唱でもあるのだ。
  近隣諸国の不信を増大させる、歴史改竄主義者の極右政権を許し続ける日本人こそが、今こそ向き合うべき映画だ。必見!