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こころの湯
  (1999年 中国)
  監督: チャン・ヤン(張揚)
  原題: SHOWER(洗澡)
  主要舞台: 中国
    発売元:東京テアトル、ポニーキャニオン
販売元:ポニーキャニオン
品番:PCBG-50568
¥3,990(税抜価格 ¥3,800)

  感動を押し売る奇麗な言辞に溢れかえる昨今。「心の芯まであったまる。世界中が泣いた」(本作の日本公開時のキャッキコピー)とか言われると、まず俺のような擦れっ枯らしは「ホンマか?  ホンマに心の芯までか?  ホンマに世界中か?」ということになる。しかし、安直なコピーのせいで期待せず観たメロドラマに、逆に「裏切られ」ノックアウトされる、というような嬉しい誤算も、ごくたまにではあるが、ある。
  もちろん「いい映画」の最低条件は、監督の演出や俳優陣の魅力に追う所が大きいのだが、何と言ってもそこには、数々の日常的逸話にちりばめられたユーモアとペーソスの絶妙なブレンドがあり、さりげなく描かれた美しい共同体小宇宙を潤す人間主義の充溢がある。「まあ人生ボチボチいきまひょ」とやんわり語りかけてくるような映画だ。時に、俺にとっての至福の映画時間は、本作『こころの湯』のようなメロドラマ的小品が与えてくれるのである。
  とにもかくにも、微妙な演出のさじ加減を間違えるな、「キャラ立ち」を勘違いするな、ということだ。いいシナリオにいい人選、そして的確な演出があれば、「こけおどし」や巨額な制作費などなくとも名品は生まれうる、という見事な好例が本作なのである。
  中国映画界では「第六世代」にあたる若手監督チャン・ヤン(『スパイシー・ラブスープ』)の第二作目は、北京の下町で繰り広げられる「銭湯物語」だ。とはいえ、当節、改革開放政策真っ只中の激変する中国、ほのぼのと湯に浸かるだけではすまされない。チャン・イーモウ監督の『至福のとき』(2002年)やコン・リー主演の『きれいなおかあさん』(2001年)が指し示した、貧富の格差や共同体の解体が本作でもみて取れるからだ。ただし、本作にある、時代の移り変わりが滲ませる哀感は、決して郷愁に終わらない。何故なら、主人公達の畳み掛ける逸話の連射があまりに馬鹿馬鹿しくて、心の底から笑わせてくれるからだ。泣き笑いながら前進するしかない底辺に生きる者達の群像劇。これぞ映画である。さあ、銭湯へ行こう!

  舞台は、北京の下町の銭湯「清水池」。経営する初老の男リュウ(チュウ・シュイ=朱旭。『變面』のあのオヤジ)の人柄もあり、連日常連で賑わっている。
  囲碁や将棋を指す者。マッサージをする者。コオロギを闘わせて遊ぶ老人達。シャワーを浴びながら唄(<オー・ソレ・ミヨ>)の練習をする精神障害の青年。その歌声を黙らせようとする者。女房子供の愚痴。たわいもない地元民の会話……。連日連夜、何年も変わることなく同じ光景があるのであろうことの分かる日常の描写だ。リュウの仕事を手伝うのは、知的障害の次男アミン(ジャン・ウー=姜武。『活きる』の娘の夫)である。
  ある日、華南の経済特区でビジネスマンとして働く長男ターミン(プー・ツンシン)が突然、不義理を続けてきた実家へ帰郷する。ターミンはアミンの送った葉書に描かれた横たわる父リュウの絵を見て、もしや父が病に倒れたのではないか、と心配して帰って来たのである。しかしアミンは、絵葉書に、単にベッドで寝ている父を描いただけ(笑)。多分銭湯の跡継ぎを拒否し家を出たのであろうターミンと、男手一つで知的障害のアミンと暮らしてきた父の、微妙な確執がここでは描かれる(毋不在の理由は明かされないが、おそらく死別だろう)。
  アミンが迷子になったり、台風が来たり、リュウが風邪をひいたり、そんなこんなで、帰る機会を失ってゆくターミンは、銭湯の仕事を手伝いながら、お客さん達との交流の中、初めて、仕事に対する父の誇りを理解し始めるのだ。
  借金取りに追われる常連の一人に金を貸してやったり、喧嘩の絶えない夫婦の仲を取り持ってやったり……、以前の若かりし頃のターミンにとって退屈この上ないはずであったいまいましい銭湯稼業が、実は共同体の社交場、コミュニティ・サロンとして人々から愛され存在するものであることを、ターミンは思い知らされるのであった。
  そんな中、地域再開発の為、清水池が取り壊されることになる……。

  閉店後の日課であるリュウとアミンのジョギング。<オー・ソレ・ミヨ>を歌う精神障害の青年とアミンの友情。監督のチャン・ヤンは、日常に転がっているはずの人間模様の滑稽をセンス良く掬い上げ、観る者を破顔のまま泣かせるのだ。これぞあるべき喜劇の姿。嗚呼、今も<オー・ソレ・ミヨ>が耳から離れないではないか(落涙必至の<オー・ソレ・ミヨ>。観れば分かる)。
  つい今しがた、本原稿を書く為、久方ぶりに銭湯へ行ってきたのだが、やはり広い湯舟はいい。西洋人には、確かに理解不能な、滑稽な「絵」ではある。なんらためらうことなくフルチンでほうける猿の末裔達。この動物達は、年とともに急所をタオルで隠すことすらしなくなるのである。そして時に、ワンマン・ショーよろしく、唄も歌う。堂々たるものだ。
  しかし、東アジア人達は、自宅に風呂があろうが、その名が「スーパー銭湯」なる名に変わろうが、最後の社交場として、これからも広い湯舟を求め続けるはずだ。銭湯好き必見!の本作が、まさにその証明なのである。チンタマブラリ。
  そういえば2001年9月11日、俺は、まさに「スーパー銭湯」なる施設のサウナ室で、急所をタオルで隠すことなく、テレビジョンの画面をボケーっと眺めていた。いきなり飛び込んできたのは、ビルディングに突っ込むエアプレインの映像。崩れ落ちる世界貿易センタービルと「フルチンでほうける猿の末裔達」との恐ろしいギャップがそこにはあった。
  世界が巨大な銭湯なら良かったのに。