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ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ
  (1976年 フランス)
  監督: セルジュ・ゲンズブール
  原題: JE T'AIME MOI NON PLUS
  主要舞台: フランス
    廃盤 (2005.4.10時点)

  主人公の女は、ショート・カットにペチャパイの少年美、ジェーン・バーキン。監督、脚本、音楽は、奇才セルジュ・ゲンズブール。とくれば、当然これは「愛の物語」である。
  しかしそれにしても、本作に於ける、通俗的エロチシズムから程遠いバーキンの、なんと目映い美しさ。俳優の輝きが監督の「愛」によって磨き出される好例は、映画の世界にあまたあるが、バーキンが単にゲンズブールの「バービー人形」であったならば、こうはいかない。ここにあるのは、彼女が後年、『ラ・ピラート』(三人目の夫ジャック・ドワイヨンが監督)や『カンフー・マスター』でみせた円熟名演の萌芽である。
  ゲンズブールにとって本作は、初の映画監督作品。彼は、十年強の時間を私生活のパートナーとして共にしたバーキンの、内奥に秘めたる輝きを、銀幕狭しとちりばめた。彼女は言う。「あんなに美しく撮られたことはない。そして、あんなに幸せだったこともない」。この一言が全ての「言葉」を粉砕してゆく。
  ある日、バスルームで鼻唄を歌っていたバーキンの擦れ声に、ゲンズブールは、以前、当時の恋人ブリジット・バルドーの為に作ったお蔵入り曲の存在を思い出す。<ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ>。ゲンスブールとバーキンによるエロティックな歌詞と喘ぎ声が物議を醸した、あの大ヒット・チューンがモチーフだ。
  「愛してる(Je t'aime)」「俺?  さあね(Moi non plus)」

  本作は、無防備な女と、男しか愛せない男の、居場所のない者同士による「連れション」のような物語だ。
  カラスの死骸。使い古された便器。ゴミの山。立ち小便の立ち上る湯気。埃舞う大地。マッチョな男同士のカップル。「醜女」のストリップ。アナル・セックス。ゲンスブールの美意識は、活写する対象を選ばない。映写幕には、ただそこにあるものが映し出されるのだ。
  ゴミ収集のゲイ・カップルが立ち寄った田舎町のカフェ。殺風景な店内を一人取り仕切るのは、痩せこけた少年のような美女(ジェーン・バーキン)だ。
  男の内の一人クラスキー(ジョー・ダレッサンドロ)は女と恋に落ち、同性愛の恋人パドヴァンは激しく嫉妬する。クラスキーは、女の外見のみならず、彼女に内包する「少年性」と恋に落ちるのであった。
  いざ抱こうとしても不能になる男。「私を男だと思って」と尻を差し出す女。アナル・セックスの悲痛な叫びは生々しく「痛い」が、観る者は、愛し合う若い二人の無邪気な無軌道を祝福するのである。満ち溢れゆく微妙な幸福感がいい。
  ハイライトでもあるダンス・シーンの、永遠に続くかと思わせる官能的なキス・シーンを導き出すのは、ゲンズブールの食い入るような視線(カメラ)だ。
  しかし幸福は続かない。彼女の中の「女」が剥き出しになる瞬間、勝手なクラスキーは、女を拒否し、同性愛の恋人パドヴァンと立ち去るしかないのであった。

  このあっけない幕切れに「意味」を求めようとは思わない。この美しいフィルムに記録されたものが「愛」に他ならないからだ。
  やはり、と言うべきか、当時、露悪趣味と酷評を浴びた本作を絶賛したのはフランソワ・トリュフォー。「私の映画なんかわざわざ観に来る必要はない。暇があったらゲンズブールの映画を観ろ。あれこそ芸術だ!」
  バーキンの小動物のような躍動美は、稀代のナルシスト、ゲンスブールとの関係に於いてのみ見い出されたものであったろうし、逆に、バーキンなくしてはゲンスブールもこの魅力的な名品を作り得なかったであろう。ラヴ・アンサンブルの完全勝利だ。
  ゲンスブールの没後(1991年没)も、彼の作品のみを歌い続けるジェーン・バーキン。アラビックにリアレンジされたゲンスブール曲を歌う彼女の、瑞々しさに溢れた逞しい唄声に、連続する人生の再生と唄の強さを思う(2003年発表のライヴ・アルバム『アラベスク』)。