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1936年の日々
  (1972年 ギリシャ)
  監督: テオ・アンゲロプロス
  原題: MEPES TOY '36(DAYS OF '36)
  主要舞台: ギリシャ
    「テオ・アンゲロブロス全集DVD-BOX I」に収録
発売元:IMAGICA・紀伊國屋書店
販売元:紀伊國屋書店
DVD BOX:¥18,270
品番:KKDS-130

  海外で、特にヨーロッパ人に、「日本人」であることを告げると、「トヨタ」の次ぐらいに「クロサワ」と返されることになる。実際アイルランドやフランスの音楽人の何人かは熱心な『七人の侍』ファンでもあった(最近は「ヴェネチア」のせいでどこへ行っても残念なことに「キタノ」の名が出てくる。しかし、評価が高い訳ではない)。
  例えば、去年レコーディングの為に来日したデンマーク人のミュージシャンに「カール・ドライヤー」「ラース・フォン・トリアー」の名を出すと、やはり場はなごんだ。とまれ、何処へ行っても「民謡」と「映画」は便利なのである。
  同じ意味で、ギリシャ人は世界中どこへ行っても「テオ・アンゲロプロス」の名を聞くことになっている。いやでも、だ。ポーランドのアンジェイ・ワイダ同様、体制の検閲をくぐり抜け、祖国にとどまりその映画人生を貫いているという点で、やはりギリシャといえば巨匠アンゲロプロスということになるのである。
  アンゲロプロスの代名詞ともいえる代表作は、メタクサス独裁やヨーロッパを席巻するファシズムの波に巻き込まれてゆく、ある旅回りの一座を描いた、四時間弱の超大作『旅芸人の記録』(1975年)。そして、『旅芸人の記録』を挟み込む形で発表された『1936年の日々』(1972年)と『狩人』(1977年)との三作が、若きアンゲロプロスの誉れ高き「ギリシャ現代史三部作」ということになる。

  本作『1936年の日々』は、アンゲロプロスにとっての長篇第二作目。彼は、1936年の断片的事柄をフィクションとして取りまとめ描くことによって、四十年弱もの間続くギリシャの軍事独裁政権の検閲をかいくぐり、作品中「メタクサス」の名や固有名詞に触れずして今(1970年代初頭)のギリシャの体制を撃つ、という「戦術」を取っている(暗喩的にギリシャの軍政を撃つ、という意味で、フランスに亡命したギリシャ人監督コスタ・ガヴラスの『Z』が思い出される)。
  「(『1936年の日々』は)観客と左翼政党には熱狂的に受け入れられました。本当に怒っていたのは、中道の諸政党です。彼らは、私の描いた1936年当時の議会の姿に、現在の(パパドプロス)大佐達の政権の姿が、困惑するほどに暗示されていると感じたのです。(中略)リベラルでも中道左派でもない。大佐達が権力を握ってから、それまで持っていた特権をすべて失った人達で、右翼の人々の一部も含まれます」(アンゲロプロス)
  本作は、メタクサスの軍事独裁政権が如何にして誕生したのかを、クーデター(1936年8月4日)の数カ月前という舞台設定の中で、苛烈に、またユーモラスに描き出す。実際の組合指導者暗殺や右翼議員人質事件などの幾つかの出来事を組み合わせフィクション化することによって、より当時の危うい政治風土を、権力の腐敗の普遍性を、浮かび上がらせるのである。

  舞台は、1936年の初夏のアテネ。組合集会。白昼衆目の中、ある組合系野党政治家が暗殺される。容疑者として逮捕されたソフィアノスは、否認するも、重刑犯の特別監獄に収監されるのであった。
  右翼大物議員クリエジスは、彼の運転手がソフィアノスの弟アネステスであった為、アネステスと共に獄中のソフィアノスを面会する。
  そして事件は起こる。ソフィアノスがクリエジスを銃で脅し人質に取るのであった。要求は釈放だ。
  激震走る政界。囚人の集団脱走未遂事件などが起こる中、ソフィアノスが麻薬密売の常習であることや政界要人と関係を持つ同性愛者であること、警察のスパイであること、などが明かされてゆく。
  ソフィアノスを助け出そうと、弟アネステスや弁護士マヴロイデスらが証人探しに奔走するが、アネステスは毒殺を企てられ、証人になるはずであったルカスは溺死体で発見され、マヴロイデスは暴漢に襲われる。
  政界、法曹界挙げてのクリエジス救出作戦は続く……。

  難解な推理仕立てのストーリーは、まさに「分かる者には分かる」という作りになっており、制作当時のギリシャの厳重な検閲をかいくぐる工夫に溢れている(検閲には難解すぎて理解出来なかったという笑い話がある)。制作当時のパパドプロス軍事独裁体制を描くことなどもちろん論外であって、戦前のメタクサス独裁を描くことすら出来ない苛酷な状況で作られたのが、本作『1936年の日々』なのである。
  暗殺される演説者。失敗する囚人の脱走。処刑。そして、権力によって「処分」されるソフィアネス。アンゲロプロスは、さりげなく「敗北」を描きながら、権力の腐敗構造が一筋縄ではいかない重層的なものであることを暗示するのだ。そして、オリンピック競技場や囚人脱獄のシーン、要人の低レベルな議論の末に導きだされたコーヒー毒殺案などなど、アンゲロプロスの深い怒りを含み込んだ辛辣なユーモアによって、権力の間抜けさが皮肉たっぷりに立ち現れるのである。
  アンゲロプロスのギリシャ現代史解体は、1939年から1952年までの占領と抵抗の時代を描いた次作、『旅芸人の記録』に引き継がれる。