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クローズ・アップ
  (1990年 イラン)
  監督: アッバス・キアロスタミ
  原題: NEMA-YE NAZDIK (CLOSE-UP)
  主要舞台: イラン
    『クローズ・アップ』
DVD発売中:¥4,935(税込)
発売元:IMAGICA
販売元:ジェネオン エンタテインメント

  世界にイラン映画の素晴らしさを知らしめた第一人者といえば、やはりこの男、アッバス・キアロスタミ(『友だちのうちはどこ?』の項参照)だ。いわゆる「ジグザグ道三部作」で魂を鷲掴みにされた俺のような多くのキアロスタミ・ファンは、その後の『桜桃の味』(1997年)、『風が吹くまま』(1999年)に於いても、より深みを増す彼の作劇術にやられっぱなしなのである。
  本作『クローズ・アップ』は、「ジグザグ道三部作」の狭間に制作された、隠れた重要作。なにぶん特異な制作秘話が話題先行する為、彼の代表作に上らない傾向があるのだが、俺は大好きな作品だ。キアロスタミ自身も、「私が演出したというより、ひとりでに出来た映画だから監督したことを忘れてしまえる」為に、自作の中で一番好きな作品に挙げている。
  イラン映画には、キアロスタミの諸作同様、アボルファズル・ジャリリの『トゥルー・ストーリー』(1996年)やサミラ・マフマルバフの『りんご』(1998年)のように、どこからが実話でどこからがドラマなのか分からない、セミ・ドキュメンタリーの特徴をもった作品が多くある。その中でも本作は、イランで実際に起こった詐欺事件を題材に、その事件当時者(加害者も被害者も)を総出演させ、実際の刑務所面会シーンや裁判シーンに(当時者による)事件再現シーンをミックスさせるという、前代未聞のサスペンス・タッチのセミ・ドキュメンタリーなのである。
  キアロスタミは、人間の内面に巣食う「弱さ」を浮上させ、誰の心の中にも「主人公サブジアン」がいることを観る者に示す。特有の温かい眼差しをもってして、社会の底辺に生きる者達の抱える心の闇を照らしてゆくのだ。そんな魂のマッサージのような映画が本作『クローズ・アップ』だ。クローズ・アップされるのは、誰の心の中にもある「痛み」である。

  舞台は大都市テヘランの閑静な住宅地。高名な映画監督モフセン・マフマルバフ(『サイクリスト』『カンダハール』の項参照)の名を勝手に名乗り、映画好きの一家を騙している男の情報を掴んだ雑誌記者が、憲兵二人とタクシーへ乗り込み、逮捕現場のスクープの為に犯人のところへ向かうシーンから始まる。
  犯人の名はサブジアン。罪状は詐欺罪。サブジアンはあっさりと被害者のアーハンハー宅で御用となるのであった。
  刑務所のサブジアンを面会するキアロスタミ。驚くサブジアン。そしてキアロスタミは、許可を取り、法廷の裁判にもカメラを持ち込む。実際の裁判シーンに事件の回想(再現)シーンを織りまぜ物語は進行してゆく。
  次第に、被告のサブジアンの陳述、原告のアーハンハー家の人々の陳述によって、事件に至る経過が解明されてゆく。サブジアンは言う。「人を騙すつもりなどなかったのです。僕の映画への愛がこの事件を引き起こしてしまったのです……」
  そして、決して金銭欲からなどではなく、失業中のサブジアンの心の痛み、孤独感が事件を引き起こさせたということが分かるにつれ、当初は告訴を取り下げる気のなかったアーハンハー家の人々の心もほぐされてゆく。実際、架空の映画制作に巻き込まれたアーハンハー家の長男メフルダードも失業中の身である。サブジアンの心の闇は、一旦はチャンスに喜んだメフルダードの心の闇と繋がっている筈だ。
  五日間という短い期間ではあったが、サブジアンは、モフセン・マフマルバフになりすますことによって、シンドイ日常では考えられない「尊敬」と「解放」を得ることが出来たのであった。
  娑婆に出たサブジアンを出向かえたのは、本物のマフマルバフ。マフマルバフに抱きかかえられながら泣くサブジアン。バイクに跨がり、鉢植えの花を携え、二人はアーハンハー家へと向かうのであった……。

  貧困を理由に妻と別れ、老いた母と子供を養わなければならない失業者のサブジアン。諦観を抱えながら底辺を生きるサブジアンにとって、自分の痛みを代弁し、解放してくれたのが、マフマルバフの『サイクリスト』(1989年)であった。
  バスの中でさりげなく立ち現れた強い憧れが生んだ妄想によって、サブジアンはバレることが分かっているヘタな芝居を演じることになる。しかし視点を変えれば、映画に憧れるアーハンハー家の人々にひとときの夢を与え、その夢を中断出来なくなったサブジアンの優しさがそこにはあった、ともいえるのではないか。
  片方には、映画を作るチャンスを得た者達。片方には、なけなしの金で映画を見ることによってしか心の平穏を得れない者達。キアロスタミは(マフマルバフとともに)、サブジアンの心をクローズ・アップすることによって、階級社会の矛盾をあぶり出してもいるのである。
  キアロスタミは語る。「誰の中にもサブジアンはいる。自分に不満がある時、人は別の人物になりたいと願う。彼を見ていて、愛の持つ力を測り知ることが出来た。人が何かをとても強く愛する時、信じがたいような勇気と力を発揮するものだ。『クローズ・アップ』は、人間にとって最も必要なのは敬意や尊厳なのだということを示している。彼は80%の可能性で逮捕されることを知っていながら、自分の尊厳を守る為に20%の可能性に賭けてこの家庭を訪れたのだ」「想像したり、夢を見たりすることはなにも芸術家だけに与えられた特権ではない。誰もが芸術家と同じように夢を抱くし、夢想もする。しかし、自分の夢をほかの人々と分かち合えるのはおそらく芸術家だけだ。ほかの人々には夢を分け合うという場所がないのかもしれない。(中略)<夢見ること>、それはたぶん誰にとっても必要なことだろう。もし、ある日“君は<夢見ること>と<見ること>のどちらかを選ばねばならない”と言われたら、私は間違いなく<夢見ること>を選ぶだろう」
  この事件を新聞で知り、急遽、別の映画を撮る為に組んでいたクルーを法廷へ引き連れたキアロスタミは、きっと「詐欺師サブジアン」に、共鳴する魂を見い出したのであろう。ラスト・シーンの、アーハンハーの優しさに戸惑うサブジアンのクローズ・アップは、映画史に残る最高の「はにかみ」だ。
  ちなみに、その後転職を重ねたサブジアンは、現在、バスの運転手をしているそうだ。

  「自分を名乗ったニセモノをホンモノの監督がいとしく思って、思わずこのニセモノの味方をする。このニセモノを見つめるホンモノ、この愛には思わず笑いながら涙をこぼした」(淀川長治)
  「人生に於ける“真実が啓示される瞬間”がちりばめられている」(ミシェル・ピコリ)