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靴みがき
  (1946年 イタリア)
  監督: ヴィットリオ・デ・シーカ
  原題: SCIUSCIA
  主要舞台: イタリア
    発売元:日本ヘラルド映画
販売元:ポニーキャニオン
品番:PCBH-50099
¥3,990(税抜価格¥3,800)

  戦争による貧困を背景にしたやむにやまれぬ敗戦国の映画制作事情は、自然光による廃墟でのオール・ロケ撮影、素人俳優起用などの、今となっては常道の新しい作劇術を期せずして産み出した。イタリアン・ネオ・レアリズモ。現実をストレートに投影し、観る者の魂を激しく揺さぶる、それまでの映画にはなかったラジカルな作品群がイタリアから登場したのであった(『無防備都市』『揺れる大地』『自転車泥棒』の項参照)。
  何故ドイツでも日本でもなくイタリアであったのか?  それは、ムッソリーニを追い落としたのち、パルチザン(レジスタンス)としてナチス・ドイツとも闘ったイタリア新世代の誇りと躍動が、この映画革命にも反映しているのかもしれない。自ら解放を勝ち取ったという意識の昂揚、民衆の中へ入ってゆかんとする思潮の反映である。天皇の戦争犯罪をうやむやにしたままの、漠然とした被害者意識に覆われたあまたの日本反戦映画群(もちろん名作もある)と比較してみればいい。鮮烈な底辺群像のリアリズムがこれらイタリア映画の作品群に息づいているのも納得出来るというものだ。
  そのネオ・レアリスモのウルトラ級の名作『自転車泥棒』と並ぶデ・シーカの初期最重要作が、本作『靴みがき』だ(やっとDVD化!)。焦土と化したイタリアの戦災孤児を主題に、戦争で傷付いた子供達の心を踏みにじる大人社会の身勝手さがこれでもかと描かれる。

  舞台は廃墟も生々しい戦後間もなくのローマ。戦災孤児や貧民窟の子供達は、生き抜く為、家族を養う為、GIや金持ちを相手に靴みがきで生計を立てている。戦後日本にもあまたあった光景だろう。戦災孤児パスクアーレとジュゼッペも、靴みがきで日銭を稼ぎ、貸馬屋の馬を買い取ることを夢見ている親友二人組だ。
  二人は、あと一歩のところまで来ている夢の為に、ジュゼッペの兄から請け負った駐留軍物資の横流しを手伝う。念願の馬を手に入れた二人であったが、結果的にジュゼッペの兄達の強盗を手伝ったことになり、少年刑務所へ入れられてしまう。
  執拗な追求にも決して口を割らない二人。しかし、取調官の策略(ジュゼッペへの拷問の芝居)に引っ掛かったパスクアーレは、遂にジュゼッペの兄達のことを自供してしまう。結果、ジュゼッペの兄は検挙され、それがパスクアーレの裏切りだと思い込んだジュゼッペは、パスクアーレを憎み、二人の厚い友情は引き裂かれてゆくのであった。
  パスクアーレを裏切り者と固く信じるジュゼッペは、同じ房の少年達にそそのかされ、パスクアーレを無実の罪に陥れる。無実の罪により鞭打たれるパスクアーレ。絶叫を聴き涙するジュゼッペ。
  裁判。ジュゼッペとパスクアーレへの判決は、それぞれ一年と二年の禁固刑だ。そして、ジュゼッペは同じ房の少年達と脱走を計り実行する。
  脱走したジュゼッペが馬屋にいることを悟ったパスクアーレは、刑務所長の案内役を自ら買って出、再会を果たすのだが、そこには悲劇が待ちうけているのであった……。

  イタリアン・ネオ・レアリズモといえば「素人俳優の起用」だが、この主役の二人も当時ローマの街頭で実際に靴みがきをしていた少年達だ。極度の貧困に喘ぐ敗戦国の生々しい息遣いと、戦争から解放された民衆の躍動が、映写幕をはみ出さんばかりに全編を覆う。同時代の『ドイツ零年』や『はだしのゲン』などでも描かれていた、戦争を引き起こした大人達の身勝手さ、いやらしさが、否応なく子供達の心を踏みにじり傷つけてゆくのである。戦争を体験した子供達が心の内奥に抱え持った闇はとてつもなく深い。
  当節のイラクやアフガニスタンにもあまたいるであろうジュゼッペやパスクアーレ達に思いを馳せ、ラストシーンの泣き叫ぶパスクアーレをしっかりと記憶すること。『アフガン零年』のマリナの眼差しをこの胸に刻印すること。我々は、そこから戦争を語り、平和を語らなくてはならない。子供達の受難などどこ吹く風の、政治力学を得々とぶつ馬鹿どもの「知ったかぶり」はもういい。