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活きる
  (1994年 中国)
  監督: チャン・イーモウ(張芸謀)
  原題: 活着(TO LIVE)
  主要舞台: 中国
   

  中国の映画作家にとって、激動の中国現代史は、避けて通ることの出来ない重い命題である。この数十年の時代の表層を辿るだけでも、日帝の侵略、抗日運動、国共合作、解放、内戦、革命、建国、土地改革、反右派闘争、大躍進、文化大革命(文革)、開放政策、天安門事件といった具合に、人々の生活、人生を翻弄する出来事が絶えまなく続き、時代の変遷と共にその都度変わる政府の論説が、市井に生きる人々の言動を大きく圧迫し続けているのだ。例えば、80年代に入り、文革を批判することは出来てもそれ以前の反右派闘争や大躍進は批判出来ない(毛沢東個人崇拝の根幹に関わるからだ)、といったようなことがある訳なのである。よって、映画作家や小説家、ミュージシャンなどのような表現者達は、違う時代を主題にして遠回しに触れたり、暗喩によってぼやかしたりしながら、各々の苦い記憶や想いをその作品に刻むことになる。でなければ、中国国内での公開(発表)を諦め、当局の要注意人物になるかだ。
  今や名匠のチャン・イーモウが1994年に発表した本作『活きる』も、激動の中国現代史を率直に描いたが故に、中国国内での公開が果たせずにいる名品である(1994年カンヌ映画祭審査員特別賞&主演男優賞。しかし日本初公開は2002年)。80年代、『黄色い大地』のカメラワークや『紅いコーリャン』の初監督仕事、または『古井戸』での熱演(撮影も)などで、一躍世界の注目を浴びることになったチャン・イーモウだが、自身も文革期の青春時代に下放(『小さな中国のお針子』の項参照)の体験を持ち、いつかは庶民の目線で描こうと決めていた毛沢東主義との対峙を、この一大歴史叙事詩に見事結実させたのである。
  1940年代(内戦時代)から1970年代(文革期)までの中国を悲喜こもごもに活写する本作は、政治的な時代考証をするでもなく、ただひたすら一家族の悲喜劇を切り取ることによってむしろ中国現代史が浮き上がって来るという仕掛けであり、その戦略は見事に成功していると言えるだろう。チャン・イーモウの、当時の公私にわたるパートナーであったコン・リー(鞏俐)と、ユーモラスな存在感が光るグォ・ヨウ(葛優)の演技は圧倒的で、俺はこの131分の秀逸なエンターテイメントの中で、見事に三度(!)泣かされることになるのであった(一本で三度、は最高記録かも)。嗚呼疲れた、目腫れてるやん。

  舞台は、日本の侵略から解放されて間もなくの1940年代半ば、ある中国の小都市。サイコロ賭博に明け暮れる資産家の若旦那フークイ・福貴(グォ・ヨウ)は、身重の妻チアチェン・家珍(コン・リー)の制止も聞かず、茶館(社交場)から朝帰りの毎日だ。
  ある日、フークイに見切りをつけたチアチェンは、娘のフォンシア・鳳霞を引き連れ、実家へ帰ってしまう。しかも、賭博で作った莫大な借金の為に、ロンアル・龍二にすべての家財を明け渡さなくてはならない始末。
  全財産を失ったフークイは、自らのだらしなさを悔い改め、半年後に帰って来たチアチェン、フォンシア、そして産まれたばかりの息子ヨウチン・有慶と、慎ましい新生活を始めるのであった。
  根っからの遊び人であったフークイは唄(講談)の名人。食い繋ぐ為に、旧友のチュンション・春生と影絵講談の巡業を始め、各地の村々で大盛況だ。しかし時は内戦の時代。巡演中の二人は、無理矢理蒋介石率いる国民党軍に駆り出されるも、命からがら八路軍(共産党軍)の捕虜となり、やはりそこでも影絵講談の芸が役に立つのであった。
  戦火をかいくぐり、奇跡的に故郷の町へ帰って来たフークイを、チアチェンら家族は温かく迎える。娘のフォンシアは病気で声を失い、チアチェンはお湯の配達で家族の窮乏生活を支えていた。世は、革命に沸く、毛沢東全盛期の共産党政権。戦場で革命運動に協力したことになっているフークイは、反革命地主として粛清されてゆくロンアルらを尻目に、貧乏な労働者として、家族と幸せな日々を送るのであった。部屋の壁には護符のように「革命軍証明書」が貼られる。
  1950年代。「台湾解放」のスローガン。大躍進運動。鉄の供出(錬鉄運動)。人民公社の食糧大増産計画。共同食堂。影絵芝居……。貧しくも希望と夢に溢れた楽しい生活だ(物語は触れないが、この時期中国は数千万人の餓死者を出している。大躍進は大失敗に終わったのである)。
  ヨウチンをおんぶしながらフークイは言う。「いい子にしていれば餃子も肉も毎日食べられる。家は今ヒヨコのようなものだが、いつかはガチョウになる。ガチョウが大きくなり羊になる。羊の次は牛だ」。ヨウチン「牛の次は?」。フークイ「次は共産主義さ。毎日、餃子や肉が食えるようになるぞ」
  しかし、悲劇は訪れる。息子のヨウチンが、就任したばかりの区長のジープに轢かれて死んでしまうのであった。しかも区長とは、フークイが戦場で苦労を共にしたチュンションではないか!  ヨウチンの墓前、悲しく厳しい再会を果たす二人であった。
  1960年代。街中に溢れる毛沢東の肖像画、赤旗、人民服。個人崇拝の気運は高まり、世は文革という名の粛清の時代を迎えていた。チュンションや町長らが走資派として糾弾されるような時代ではあるが、毛沢東賛美の唄はいまだ人々の心に希望の唄として響いてもいる。そんな中、大人になった聾唖の娘フォンシアは工場の造反派リーダー、アルシー・二喜と結婚して子供を身籠り、一家には再び幸せが訪れている(本作に於ける紅衛兵アルシー達の描写は重要だ。何も紅衛兵といえばそのすべてが暴力的存在であった訳ではない。あらゆる人間がそこにはいた、という「政治的余裕」が本作にはある)。
  しかしその幸せも束の間のものであった。文革のさなか、紅衛兵となった学生達が権威主義の反動分子として医者を病院から追い出しており、フォンシアのお産に本当の医者が立ち会えないのである。素人の紅衛兵の女の子達に、体の弱いフォンシアのお産は無理がある。元気な男の子マントウを残し、フォンシアは合併症で死んでしまうのであった。
  数年が経ち、年老いたフークイとチアチェンは、孫息子マントウの面倒を見ながら暮らしている。今日はアルシーを呼び出し、四人で墓参りだ。墓の中にはヨウチンとフォンシアが眠っている。苦難の日々を回想する家族。
  ヒヨコを買ってきたマントウにフークイは言う。「このヒヨコが大きくなったら、鶏からガチョウになる。ガチョウは羊になって、羊は牛になるのさ」。マントウ「牛の次は?」。フークイ「牛の次は……」。チアチェン「つぎはマントウが大きくなる番よ」。マントウ「大きくなったら牛に乗る」。フークイ「牛ばかりじゃない。汽車や飛行機にも乗れる。その頃は今よりもっといい世の中だ……」

  本作の持つ圧倒的な力強さは、大躍進や文革を単なる恨み節で捉えるのではなく、人々が革命に夢と希望を見い出していた時代を、底辺からの眼差しで捉え直そうとしている点にある。チャン・イーモウの毛沢東主義に対する複雑な感情の中には、そこで艱難辛苦の人生を生き抜いた一人一人に対する温かい敬意が含まれているのだ。子供の為に、次世代の為に、時代に翻弄されながらも苦難を生き抜いた人々への、尊敬の念である。
  チャン・イーモウが描きたかった(であろう)中国民衆の楽観主義的有り様は、時にユーモラスに描かれるフークイとチアチェンのしたたかで逞しい生きざまの中に見事に凝縮されている。人生の泣き笑いを通して、続きゆく生の美しさをてらいもなく表現し切っているのだ。
  どんなに悲しいことが起きようとも、きっと今よりもいい世の中がやって来るはずだ、という希望。時代とともに移り変わる「大義」を、巧妙にすり抜けてゆく本能的な個人主義。コン・リーは言う。「チアチェンは、映画のタイトルの化身ですね。決して絶望することなく、どんな時でも苦難を乗り越えようと、力と忍耐力を振り絞ります。彼女に、家族を生き延びさせる力はありませんが、彼女なしに、救いはないのです。彼女こそが魂であり、生命の根幹。中国の、貧しい人々の魂なのです」
  妻に先立たれ(自殺か粛清か?)生きる気力をなくしたチュンションに、チアチェンが叫ぶシーンがある。「あなたは私達に借りがあるのよ!生き抜きなさい!」。チャン・イーモウがこの映画で言いたかったことは、この言葉に凝縮してあるように思うのだ。我々は一人ではない。一人一人の人生の絡み合いが、時に笑い、時に泣きながら、能動的に、また受動的にこの社会を形成している……。そんな気恥ずかしいメッセージが本作を、単なる恨み節にしない、力強いものにしているのである。そう、明日は明日の太陽が昇る、しかしそれでも人生は続きゆくのである。

  「フークイの人生は手の平のように狭い。しかし、それはまた大地のように広いとも言えるのではないか?」(原作者ユイ・ホア)