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小さな中国のお針子
  (2003年 フランス=中国)
  監督: ダイ・シージエ(戴思傑)
  原題: BALZAC ET PETITE TAILLEUSE CHINOISE
  主要舞台: 中国
   

  1966年夏から十年間、中国を大きく揺るがしたプロレタリア文化大革命(文革)。文革の詳しい説明はその筋の卓見に譲るが、要するに文革とは、表向き、共産党指導部内に発生した実権派や修正主義分子を打倒する為の、大衆による「下から上への」政治大革命であった。革命政権もまた腐敗する、永久革命こそが真髄である、とする考え方の極端な発露である。
  学生達は当初この革命を熱烈に支持し、紅衛兵となって、旧文化の徹底した破壊、ブルジョア的文化の一掃を行った。毛沢東に支持された青年学生による紅衛兵運動はまさに文革の象徴である。
  また文革は世界中のあらゆる闘争にも刺激を与え、世界中のスチューデント・パワーが、程度の差こそあれ、文革によって鼓舞されていた側面もあった。「造反有理」というスローガンは世界中の闘争現場を駆け巡ったのだ。しかし、当初はスターリン型社会主義に絶望し毛沢東の追求する中国モデルに希望を持った西側の学生・知識人達も、その実態が洩れ伝わるにつれ、行き過ぎた革命が実は文化弾圧、迫害であることを徐々に知るのであった。「正しさ」による、吊るし上げの時代である。
  結局、十年間にわたって数千万人の被害を出した文革は、マオイストによる、中国国外の世界の動向を無視した、極端な共産主義の失政であったのだ。

  1980年代以降の多くの中国映画は、変動するその時々の政府見解による論説・検閲を横目で見ながらも、ありとあらゆる角度から文革を描いてきている。『芙蓉鎮』『小城之春』『活きる』『子どもたちの王様』『青い凧』『延安の娘』『太陽の少年』『シュウシュウの季節』etc……。もちろん中国国内で公開する為には、正面切った文革批判など出来ようもないが、強烈な文革体験を持つ多くの作家達が、その表現に於いて、文革を無視することなど到底不可能なのである(開放路線の中国共産党が正式に否定したのは文革のみであって、それ以前の運動、反右派闘争や大躍進などについては、誤りであったと認めていない)。
  文革当時、中国共産党の宣伝用書籍以外の出版禁止、知識人・資産家らの「傾向」をチェックする運動は苛烈を極めた。そして、共産主義を支える農民による「再教育」を受けさせるという名目で、多くの青年達は僻地の山村へと送り込まれたのであった(「下放政策」と呼ばれる。一説によると、「再教育」を受けた中国人は二千万人!ともいわれている)。
  本作『小さな中国のお針子』も、第五世代の監督(『黄色い大地』の項参照)達同様に「下放」を体験したフランス在住の中国人監督ダイ・シージエの、実体験を元にしたいわゆる「文革もの」である。両親が医者である為に権威主義的だとみなされたダイ・シージエは、十七歳の時、「再教育」を受ける為に四川省の山岳地帯へ送られ、三年間(1971年〜1974年)をそこで過ごしている。本作は、フランスでベストセラー(四十万部!)になった彼の自伝的小説『バルザックと小さな中国のお針子』(2000年)の映画化である(中国未公開)。
  「それが我々の青春だったのです。厳しい経験でしたが、労働や人間関係、 世渡りのコツといった多くを学びました。小説家、映画監督にとっては発想の宝庫です」(ダイ・シージエ)

  舞台は1971年。文革の嵐が吹き荒れる真っ只中、医者を親に持つ十七歳のマー(リィウ・イエ)と十八歳のルオ(チュン・コン)は、反革命分子の子息として「再教育」の為、四川省の山奥(実際のロケ地は湖南省)深くへ送り込まれる。
  そびえる剣山。渓谷をゆく長い石段。静けさをたたえる湖。仙境のような深山幽谷の神秘は、まさしく文明から隔離された山水画の世界である。時間が止まったかのような空間で暮らす、時計すら見たことがない素朴な村人達のその殆どは文盲で、党員の村長を中心に、貧乏ながら原始的で平和な日々を送っていた。
  マーとルオの「再教育」生活は、都会に住む医者の子息である彼らにとって、苛酷な肉体労働の毎日であった。畑仕事。鉱山作業。娯楽はもちろん、「革命的」な書籍以外の本を読むことも出来ない。村人から「反革命分子」と揶揄される屈辱的な日々である。
  そんなある日、二人は、年老いた仕立て屋とその孫娘、自称「お針子」(ジョウ・シュン)に出会う。たちまち恋に落ちた二人は、文盲のお針子に「まだ見ぬ世界」の物語を語り聞かせてあげたいと思い立つのであった。
  お針子から、やはり「再教育」で村へ来ているある若者(あだ名は「めがね」)が外国小説を鞄一杯に隠している、と聞いたマーとルオは、ある晩、めがねの家へ忍び入り、その鞄を盗み出す。鞄を開けてみるとまさに宝の山。スタンダール。フロベール。ユーゴー。トルストイ。ディケンズ。ロマン・ロラン。デュマ。ルソー。バルザック……。当局にとっては堕落した西欧ブルジョアの焚書に過ぎないこれら書物も、文学に飢えた彼らにとっては自由をめざす光そのものである。毎晩二人は、誰にも見つからないように読書に耽り、秘密の隠し場所である洞窟や家で、こっそりとお針子に物語を話して聞かしてやるのであった。
  愛し合うルオとお針子。それを遠くから見つめるマー。危険を共有する三人の間に、揺れ動く恋情と友情が交錯する。
  村人達の「まだ見ぬ世界」への好奇心も止めようがない。マーとルオの二人は、村長の指示で、麓の町へやって来る外国映画(ここでは北朝鮮の映画)を観にゆき、文盲の村人達に物語を話して聞かす役目を担う。二人の話には『ユルシュール・ミルエ』や『モンテ・クリスト伯』の冒険譚が巧妙に「革命的に」織り込まれ、村人達を魅了するのであった。
  バルザックの小説から自由の息吹きを感じ取った三人の青春。自由に学び、自由に夢を抱き、自由に恋愛する歓び。バルザックによって新しい地平を知ったお針子は、もはや山々の向こう側への好奇心の芽生えを押さえることが出来ない。一人、村を出る決意をするお針子であった……。
  二十七年の歳月が過ぎ、世紀も変わり、現在パリで有名なヴァイオリン奏者となったマーは、ある日、「再教育」を受けたあの村がダム建設の為、間もなく水に沈むというニュースを知り、急いで中国へ帰国する。
  懐かしい村人達との再会。上海で名医となったルオとの再会。揚子江の川底に沈んでゆく村。そして、今どこにいるのか誰にも分からない、二人の愛したお針子の思い出が揺れる……。

  この美しくも切ない物語は、文革を背景にしているものの、あくまで三人の心の揺れ動きに射程を置き、「まだ見ぬ世界」への通過儀礼、まさしく青春を活写する。「一冊」「一曲」との出会いが、目にする風景を一変してしまう青春の革命的瞬間。本作は観る者に、そんな淡い甘酸っぱい記憶を思い起こさせることだろう。
  映画の中、マーとルオが村人達に九日間かけて『モンテ・クリスト伯』を語る美しいシーンがあるが、下放されたダイ・シージエ監督自身の体験に即した実話だそうだ。
  「多くの人々が文革について既に語っています。非難をする人もいれば、 思い出に浸る人もいる。私は文学史を語る為にこの時代を選んだに過ぎません。 作品のテーマは、再教育を受けた青年の人生ではなく、いかに一冊の本が一人の人間の一生を変えるか、文盲の人しかいない土地でいかに文化が受け入れられるかという点にあります。文革は背景であり、テーマではないのです」(ダイ・シージエ)
  「日中戦争の折、沿海地方が日本軍に占領された為、私の家族は四川省へ逃げました。(中略)爆撃の間は授業がなくなるのですが、 そんな時は山の中腹の洞穴に避難して読書をしたものです。こうして警報が鳴り響く中、私は野外でアンドレ・ジッドやロマン・ロランを発見したのです」(中国系フランス人作家フランソワ・チャン)
  石段から見下ろす渓谷。温泉ではしゃぐ少女達。木陰で寝そべる三人。物語を聞き感動する村人。水にのまれて沈んでゆくミシンと香水……。美しい数々のシークェンスが、それぞれの記憶の風景とともに「今ここにいる理由」を浮上させ、観る者の草臥れた心を静かにマッサージしてくれる、本作はそんな素敵な一遍なのである。