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アフガン零年
  (2003年 アフガニスタン=日本=アイルランド)
  監督: セディク・バルマク
  原題: OSAMA
  主要舞台: アフガニスタン
    発売・販売:アップリンク

  しかし2004年は酷い年であった。自衛隊イラク派兵。ファルージャ大虐殺。「自己責任論」という名のいじめ。有事関連法成立。立川の反戦ビラ事件。自衛隊幹部の改憲論。特に、世界的に進行する弱い者いじめ、子供達の受難は、実に暗澹たる気分にさせられる(強い者を「いじめ」ろや!ホンマ)。もちろん音楽の現場は常に最高で、ソウル・フラワーの絶好調ぶりはいたって世の流れと関係なく俺を幸せにしてくれてもいるのだが(ええライヴが続いてるんよ、マジで。あんたも来なさい)。
  で、2005年といえば敗戦六十年。マスコミを跋扈するニセ右翼とアホ芸人のおかげで、随分この国も怪しい雰囲気に包まれてきている。憲法9条、24条、教育基本法の改悪も、このままでは権力による大衆操作の勝利が目に見えている。大体、憲法9条を変えたい輩の顔ぶれを見てみればいい。いまだ憲法を遵守したことのない悪党ばかりではないか。こんな連中に子ども達の未来を預けられる訳がない。フザケルナ。
  イラクであれ、アフガニスタンであれ、北朝鮮であれ、そこには無辜の市民がいる。しかも悩みもがきながらそこで生活しているのは、議会制民主主義のような選択肢すら与えられていない無力な人々である。想像力の欠如はなはだしい軍事オタク、イシハラやアベみたいな奴らにこそ「平和ボケ」の称号はふさわしいのだ!(ブッシュのペットになって嬉々としているコイズミあたりはもはや論外)

  「世界に見捨てられた国」アフガニスタンは、「911」以降、悲惨の上塗りによって一時的に世界から注目されることとなった(『カンダハール』の項参照)。タリバンがゲリラ化し、親米カルザイ政権がちゃくちゃくと組閣を進める中、この世界最貧国の現状は「イラク」の影に隠れて見えづらくなったままだ(『DAYS JAPAN』2004年12月号の「絶望のアフガニスタン〜死を選ぶ女性たち」は必見!)。
  そんな折、登場したのが本作『アフガン零年』。タリバン政権によってここ数年映画を観ることも作ることも出きなかったアフガニスタンにとって、本作はまさしく「復興第一弾」作品なのである。

  舞台は90年代後半、タリバン支配下のカブール。職を求める女性達のデモに、浴びせられる放水。タリバン政権下、女性達は男性を伴わない外出・就職を禁じられ、内戦などで夫や男手を奪われた家庭は極度の窮乏生活を強いられているのであった。
  タリバンから逃げまどう女性達の中には、偶然居合わせた十二歳の少女マリナと毋親の姿がある。マリナも、父や叔父を内戦で失っており、祖母と毋との三人の生活は窮乏を極めているのであった。
  ある日マリナの母は、マリナの髪を切り、少年と偽り働きに出すことを思い付く。当然ばれたら重罪である。泣きじゃくるマリナを、祖母は「虹をくぐると少年は少女に、少女は少年に変わり、悩みが消える」という昔話でなだめるのであった。
  「少年」になったマリナは知り合いの店で働きだすが、街のすべての少年がタリバンの学校へと召集されることになり、マリナも連行されてしまう。
  何とか「少年」に扮して学校生活をやり過ごすマリナだが、やがて学友に怪しまれ、問い詰められる。マリナが女であることを知るお香屋の少年は、「こいつの名前はオサマだ!」と助け舟。
  しかし、その騒ぎに気づいたタリバン兵が懲罰でマリナを井戸に吊るした際、恐怖による衝撃から、マリナに初潮が訪れるのであった。女であることがばれてしまったマリナは、ブルカを被せられ、牢獄へ。翌朝、宗教裁判の場へと引きずり出されるのであった……。

  この救いようのないストーリーをより際立たせているのが、主人公役のマリナ・ゴルバハーリの圧倒的な表情だ。実際彼女は、内戦時代に二人の姉と自宅を失い、障害者の父親と赤子を抱える母親を養う為に、五歳の頃から幼い弟と路上で物乞いをして生き延びてきた。撮影中、彼女は戦時下を思い出すたびに涙が止まらなかったらしい。「演技」に押し込めることの出来ない「現実」が、マリナの圧倒的な瞳に宿っているのである。
  アフガニスタンの自由と希望を作品に託したかったセディク・バルマク監督は、当初、『虹』というタイトルを置きハッピーエンドを予定していたのだが(実際、脚本通り、少女が希望の象徴である虹をくぐるラストシーンを撮影)、編集中、幾度もマリナの涙に触れ、悩んだ末に虹のシーンを全てカットしたそうだ。「アフガニスタンの悲劇はまだ終わっていない。今、虹を描くのは嘘になる」(バルマク)
  本作は、監督がタリバンを逃れパキスタンへと亡命中に新聞で読んだ「学校へ行く為に髪を切り、少年になったアフガンの少女」という記事の実話を元に制作されている。いわば監督の祈りと願いに詰まった、アフガニスタンの絶唱でもある。以下は監督からのメッセージだ。
  「アフガニスタンは現在、再生の狭間でもがいています。それは二十三年間続いた戦争の結果です。アフガン人、一人一人の人生には常に戦争が存在しています。私は、映画を通してこの国の人々だけでなく、世界の人々に知ってもらいたいと思いました。アフガニスタンの悲劇の深さを。人々の胸に秘められた悲しい思いを。振り返られることのない私達の心の内を。この痛みを伝えられるのはアフガン人である我々自身だけなのです。(中略)この映画の少女はアフガニスタンの悲劇そのものです。そして、世界がアフガニスタンを忘れれば、悲劇は再び繰り返されるかも知れません」(バルマク)
  マリナをその目に焼き付け記憶せよ!  敗戦六十年の「ニッポン零年」を非戦の誓いと共に刻む為にも。