オンライン魂花時報WELCOME TO NAKAGAWA TAKASHI'S WORLD中川敬のシネマは自由をめざす!リスト > トーク・トゥ・ハー
NAKAGAWA TAKASHI'S ALL CINEMAS GO FORWARD TO FREEDOM !
トーク・トゥ・ハー
  (2002年 スペイン)
  監督: ペドロ・アルモドバル
  原題: HABLE CON ELLA(TALK TO HER)
  主要舞台: スペイン
    DVD:¥3,800(税別)
品番:DVF-59
©EL DESEO,S.A,-2002
発売元・販売元:日活

  スペインの鬼才アルモドバルを世界的に認知させたのは、御存じ一大傑作である前作『オール・アバウト・マイ・マザー』だ。
  とかくキッチュでビザールなディテールにばかりスポットが当てられ、「変態性」をうんぬんされがちなアルモドバル。角が取れ丸くなったことによる前作のヒットだと揶揄する者もいるが、ストーリーテリングの飛躍に加え、ようやく世間の価値観が追い付いてきたということもいえるだろう(とはいえマラソンに例えるなら、後ろ姿が見えた、程度に過ぎない)。
  信じがたい話だが、映画に勧善懲悪を求め、主人公に対してある種の都合良い倫理を求める大半の人々は、各作品に散見するタブーを恐れて、アルモドバルを悪趣味と切り捨てる。ゲイ、レズビアン、女装趣味、ドラッグクイーン、近親相姦、レイプ、サディズム、マゾヒズムなどなど。アルモドバルは、恐れずひるまず、底辺に生きる者達の漆黒の闇を、愛をもって照らし出すのだ。
  「愛」と一口にいえども、人の数だけ「愛」のカタチもあろうというもの。アルモドバルは、闘いながらも受容する積極思考の生き方を、「常識人」にぶつけ、問うのである。果たしてあなたはそれで幸せなのか?と。そして、観る者が「無傷」ではいられないのがアルモドバルの映画なのである。
  「闘うことも大切だけれど、全てを受け入れることにおいても、人は幸せになることが出来るのでは?」(アルモドバル)
  本作『トーク・トゥ・ハー』も例にもれず賛否両論。主人公の極端なストーカー的偏愛を恐れての否定意見が目立つ。しかしアルモドバルは、万人に好かれるキャラクターなどハナから設定する気はないのだ。そこには崇高なメッセージなどなく、鑑賞後に愛、生、死について語り合う人々の魂の共振をこそ望んでいるアルモドバルがいるのである。
  ブニュエルに、ビリー・ワイルダーとヒッチコックを掛け合わせたハイブリッド。完璧主義者アルモドバルの風狂エンターテイメントはここでも全開である。

  舞台はスペイン・マドリード。病室のベッドで昏睡状態のアリシア(レオノール・ワトリング)は、看護士のベニグノ(ハヴィエル・カマラ)により四年間、献身的介護を受けている。十五年もの間、毋親の世話のみに青春を捧げてきたベニグノは、自宅の窓から見えるバレエ・スタジオへ通うアリシアの美しさに魅了され、彼女が交通事故に会って以来、自ら介護を志願。愛する人のそばにいれる、人生で最も充実した時間を過ごしている。

  一方、アルゼンチン人ジャーナリスト、マルコ(ダリオ・グランディネッティ)も、恋人の女闘牛士リディア(ロサリオ・フローレス)が競技中の事故によって昏睡状態で入院している為、病院に泊まり込みで世話をしている。
  脳死状態、深い眠りにつく二人の女性に、介護する二人の男。絶望に陥っていたマルコは、ベニグノとお互いの境遇を語り合う内に、厚い友情を感じ、心を開いてゆくのであった。
  ベニグノは、アリシアが好きだった無声映画や舞台を週に一度観劇し、ひたすら眠り続ける彼女にあらすじや感想を語って聞かせる。そして、ただ嘆き悲しむマルコにも、リディアへ語りかけることを進言するのであった。「彼女に話しかけてごらん。注意深く見つめ、話し、愛撫してあげる。そして、大事な存在だと伝えてあげるんだ」「話しかけてみて。女性の脳は神秘的だから」
  リディアの元恋人が現れ、旅立つマルコ。ヨルダンの地でたまたま読んだ新聞に女闘牛士リディアの死を伝える記事が……。
  しかしある日、事件は起こる。昏睡状態のアリシアが妊娠しているのだ。盲目的な愛が高じて、ベニグノはアリシアと性交に及んでしまうのであった。これではレイプである。投獄されたベニグノを助ける為に、マルコは帰国。アリシアの近況を知る術のないベニグノの為にマルコは動くが、なんと死産の末、アリシアが奇跡的に回復しているのだ。
  知らされないベニグノは、アリシアと同じ世界へゆく為に大量の睡眠薬を飲み、命を落とす。そして、劇場には孤独なマルコと、蘇ったアリシアがいるのであった……。

  物語は、孤独な者達の悲劇と再生、コミュニケーションへの渇望を描く。刑務所へ面会に来たマルコにベニグノが泣きながら「寂しい人生だった」と語り、ガラス越しに手を合わせ二人で泣くシーンは、俺の胸を深く刺した。
  一線を越えた「愛」から立ち上る優しさ、痛み、美しさ(コクトーは言う。「美は痛みたりうる」)。そして、悲壮なのに滑稽な筆致は、まさにアルモドバルの成せる技だ。特に、挿入される無声映画『縮んみゆく恋人』の馬鹿馬鹿しさは絶品。ベニグノとマルコの言動にもみられる滑稽は、観る者にシリアスなストーリーを忘れさせ、「すべてが人生」であることを思い起こさせてくれるのだ(本作の試写会にいた小泉純一郎が「人生いろいろ、愛もいろいろ」とは言わなかったが)。
  アルモドバル自身によるこの素晴らしい脚本は、彼を驚かせた実話に着想を得ている。十六年振りに昏睡から目覚めたアメリカ人女性の奇跡。そして、ルーマニアの死体安置所で若い女性の死体を犯した夜警の男の話。彼女は、実はカタレプシーという病気で死んでいなかった為に息を吹き返し、なんとレイプ犯の男は家族に感謝されたという。
  劇中、冒頭とラストを飾るのは、ドイツの前衛舞踏家ピナ・パウシュの舞台。闘牛場シーンに挿入される曲はエリス・レジーナ<ポル・トーダ・ミーニャ・ヴィーダ〜私の人生のすべて>(名盤『エリス&トム』収録)。カエターノ・ヴェローゾ(本人出演)が歌う<ククルクク・パロマ>も印象的だ。
  「夜が来るたび、ただ泣くだけだったという/何も食べようとせず、ただ酒を浴びていたという/その叫びを聞いて、空さえ震えたという/彼女を想って苦しみ、死の床についても彼女を呼んでいた/彼は歌っていた、彼はうめいていた/心を焼きつくし、彼は死んだ/哀しみにくれた鳩が朝早くから彼の為に歌うだろう/扉から扉へと、孤独な彼の家へ向かって/きっとその鳩は彼の魂そのものなのだ/いまだに彼女が戻ってくるのを待っている/ククルクク、鳩よ/ククルクク、もう泣かないで」(トマス・メンデス作<ククルクク・パロマ>)
  ちなみに、眠れるバレリーナを演じたレオノール・ワトリングの、言葉よりも雄弁な白い肌。俺は久々に恋をしたぞ!
  トーク・トゥ・ハー。言葉にはいつも「意味」がある。さあ、愛する人に語りかけよう。

  「愛はすべてのモラルに関するジレンマを一掃してしまう。 “どう愛するか”というより、“愛すること”それ自体、そして、“誰かを愛する勇気を持つこと” の方が大事なのだと、アルモドバルは気づかせてくれる」(ワシントン・ポスト紙)
  「『トーク・トゥ・ハー』は、私から皆さんに贈る抱擁です。皆さん一人一人の胸で抱きとめて欲しい抱擁なのです。そして抱擁というものは、温かくなければなりません」(アルモドバル)