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灰とダイヤモンド
  (1958年 ポーランド)
  監督: アンジェイ・ワイダ
  原題: POPIOL I DIAMONT
(ASHES AND DIAMONDS)
  主要舞台: ポーランド

  イデオロギーによって抹殺された魂どもの復権。『約束の土地』『大理石の男』『鉄の男』『尋問』『コルチャック先生』『鷲の指輪』『聖週間』と、1970年代以降も素晴らしい仕事を続ける巨匠アンジェイ・ワイダ(『地下水道』の項参照)は、一進一退しながら厳しい冬の時代を幾度も乗り越え、政府の厳しい検閲と粘り強く闘いながら、一貫して体制批判の手を緩めずに「人間」を撮り続けた。
  そして何よりも若きワイダの最初の頂点は、レジスタンス映画の名作『地下水道』に続き発表された、傑作青春映画の誉れも高い本作『灰とダイヤモンド』だ。「東欧のジェームス・ディーン」とも称されたズビグニェフ・チブルスキーのカリスマ性もさることながら、恋愛と政治活動の間を揺れる一人の青春を、魂の深淵に触れるかのような繊細な筆致で描いた脚本の素晴らしさに、本作の永遠性はある。制作されたのが事実上のソ連支配下にあるスターリニズム体制のポーランドである、ということを差し引いても、『灰とダイヤモンド』が珠玉の名画であることに変わりはない。

  舞台は、ソ連赤軍のワルシャワ入城によりナチス・ドイツ軍の降伏が決まったポーランドの解放記念日、1945年5月7日のとある地方都市。ナチスによる占領の悪夢が去り、平和が到来したかにみえた、ポーランド人にとっての新しい時代の夜明けでもある。
  主人公のマチェク(ズビグニェフ・チブルスキー)は、祖国ポーランドの自主独立を目指し、共産党による新政府に抵抗する組織のテロ実行員として、共産党指導者シチューカの暗殺という任務を遂行しようとしている二十四歳の青年。ナチスと闘った多くの仲間の死を弔う為には新たな死を捧げることだ、と信じて疑わない、死に汚染された青春の熱狂がそこにはあった。
  シチューカの乗用車を襲撃した筈のマチェクらであったが、戦勝祝賀会が行われているホテルのロビーでシチューカを発見し、暗殺が失敗であったことを知る。そこでマチェクは、シチューカの隣の部屋に投宿し、監視を続けるのであった。
  マチェクと行動を共にする右派のワーガ少佐は、敵意と敬意を持ってしてシチューカを語る。「彼は知識階級に属すだろう。合理的な工学者で自分のことを理性的に把握している。長年モスクワに亡命していて党書記として帰国したが、どんな権限が与えられているか想像がつこう。彼を処置出来れば、我が方にとって政治的また宣伝上の効果が非常に大きい」
  マチェクは、ホテルのバーのカウンターで働くクリスチーナ(エバ・クジジェフスカ)と出会い、二人は瞬く間に一夜の恋に落ちる。マチェク「恋はしないの?」。クリスチーナ「したくないわ」。マチェク「何故そう決めてるの?」。クリスチーナ「毎日をこれ以上難しくしたくないの……」
  とりとめなく続く二人の会話から、どちらもがナチス占領下に家族を失った孤独な身であることなどが仄めかされる。クリスチーナ「ねえ、あなたはどうしていつも黒眼鏡をかけてるの?」。マチェク「記念さ。祖国ポーランドへの大いなる、そして不幸な愛を記念してね。つまらんことさ、気にするな。まあ、本当のことを言えば、蜂起の時にあまりに長く下水道の汚水に浸かり過ぎていたので……」
  街を彷徨う二人は、雨宿りの為に駆け込んだ教会の古い墓碑名に出くわす。若い二人にとっての希望に満ちた明日を暗示する詩でもある。「持てるものは失わるべきさだめにあるを/残るはただ灰と嵐のごと深淵に落ちゆく昏迷のみなるを/永遠の勝利の暁に灰の底深く/燦然たるダイヤモンドの残らんことを……」(19世紀のポーランドの詩人ツィプリアン・カミル・ノルビッドの弔詩)。
  廃墟になった教会を歩く二人。逆さに吊り下げられたキリスト像。マチェクの閉ざされた心がクリスチーナへの愛によって解放されてゆく。そして目前には、冒頭でマチェクが誤殺した労働者の遺体が……。シチューカ暗殺とクリスチーナへの愛との間で逡巡する、揺れるマチェクの心があった。
  しかしマチェクは仕事を完遂する。夜闇に上がる戦勝祝賀の花火を背に、シチューカに弾丸を撃ち込むマチェク。マチェクに抱きつくように息絶えるシチューカ。実はシチューカの一人息子も白色テロ組織の一員として逮捕され銃殺刑が決まったところであった。マチェクと親子のように抱き合うシチューカの絶命シーンは、親子ですら敵対する、当時の相剋するポーランドの悲劇そのものである。
  クリスチーナに別れを告げ、仲間達と旅立とうとするマチェク。しかしポーランド警備兵に見つかってしまったマチェクは、虫ケラのように弾丸を浴び、路傍の巨大なゴミ捨て場の中で、喘ぎながら息絶えるのであった。

  戦中は対独レジスタンスとして活動し、(ワルシャワ蜂起の「地下水道」を生き延びた)戦後は対ソ連テロリストとして活動する青年の悲劇。ここにあるのは、イデオロギーや国家に翻弄され続けたあまたの「一人」の、壮絶な難死である。苦悩する青春である。
  相反する立場になってしまったマチェクとシチューカも、夥しい数の抵抗者同様、灰に帰してしまった魂であることに変わりはない。そして、灰の底深くに残されたダイヤモンドとはクリスチーナであり、また、新時代を照らす希望そのものでもあったのだ。マチェクがゴミ捨て場で悶死した時、まさにポーランドの戦後が始まったのである。
  黒眼鏡。壊れたマグカップ。散っていった仲間を弔う為、ウォッカ・グラスに灯される火。壁に映し出される蛾の影。二人のベッドの会話。古い墓碑の弔詩。吊り下げられたキリスト像。花火。夜明けのホテル・ロビーに掲げられるポーランド国旗。洗濯物ともども弾丸を浴びるマチェク。ゴミ捨て場の壮絶な悶死……。ワイダの丁寧な描写の一つ一つが、戦中、祖国ポーランドの為に散った魂どもへの鎮魂歌のように美しく映えるのである。
  「彼(マチェク)は、例えそれが苦渋に満ちた決断であろうとも、武器を捨てるよりは殺人を選ぶのだ。自分自身を、そして人目につかぬよう隠し持たれた必殺必中のピストルだけを頼りにした世代に典型的な振る舞いだ。私は彼らのような不撓不屈の若者達を愛する。彼らを理解する。私のささやかな映画は、彼らの世代(私もそこに属する)が生きた複雑で困難な世界を、観客の前に開示しようとするものである」(アンジェイ・ワイダ、1958年)
  なお、ポーランドのある世代の伝説を具現化した男、マチェクを演じたチブルスキーは、1967年、四十歳の若さで早逝。汽車に飛び乗ろうとした末の轢死であった。ロマン・ポランスキーからの電話でチブルスキーの死を知ったワイダは語る。「ズビシェク(チブルスキーの愛称)は、特定の世代、すなわち私達の属す世代の凝縮だ。彼が死んでから、それが増々はっきりとしてきた。彼は『灰とダイヤモンド』の中で、その歴史という強迫観念に取り憑かれた青年を、最も完全に体現してみせた」