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マイライフ・アズ・ア・ドッグ
  (1985年 スウェーデン)
  監督: ラッセ・ハルストレム
  原題: MITT LIV SOM HUND
(MY LIFE AS A DOG)
  主要舞台: スウェーデン
    DVD『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』
¥4,700(¥4,935/税込)
発売:アスミック
品番:AEBF-10016

  子供心の内奥に秘めた孤独感や喪失感は、表現力の未熟さや子供独特の気遣いもあり、往々にして周囲の大人に気付かれないものだ。日々の忙しさにかまける大人の曇ってしまった眼には、もはや映らないものがあるのである。親を代表とする大人達の勝手な都合により、日々子供は、友人や「大事なもの」と無造作に引き裂かれたりしているのだ。
  今や巨匠のラッセ・ハルストレム(『ギルバート・グレイプ』『サイダーハウス・ルール』)の、スウェーデン時代の名作『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』は、子供が秘かに抱えた深い悲しみを、美しい映像と温かいユーモアで包んだ珠玉の人間讃歌である。まさに何度でも観たくなる名画というやつだ。
  豊かな自然。笑いに富んだ古き良き共同体。十二歳の主人公イングラム(アントン・グランセリウス)の、不条理な現実に揉まれながら成長してゆく一年間の軌跡を、丁寧に描写された逸話の積み重ねによって淡々と綴ってゆく。少年の人生への目覚め、優しさ、思いやりが本作のキーワードだ。

  舞台は1958年。スウェーデンのある小さな町に住む十二歳の少年イングラムによる独白から物語は始まる。「良く考えてみれば、僕は運が良かった。例えばボストンで腎臓移植手術を受けたあの男。新聞に名は出たが死んでしまった。あるいは宇宙を飛んだあのライカ犬。スプートニクに積まれて宇宙へ。心臓と脳には反応を調べるためのワイヤー。さぞいやだったろう。食べ物がなくなるまで地球を五か月回って、餓死した。僕はそれよりマシだ」

  パパは南洋貿易商でほとんど家を空け、ママは結核で闘病中。兄とは喧嘩ばかりの毎日で、愛犬シッカンこそがイングラムの大親友である。悲しい毎日を誤摩化す為に、あらゆる「不幸な例」を脳裏に思い描き、元気になろうとする健気なイングラムであった。
  以下は、劇中、イングラムが思い描いた数々の「不幸な例」だ。「エチオピアに行った女性の宣教師の例もある。神の教えを説いてて、棍棒で殴り殺された。僕はそれよりマシだ」「ターザンの映画を見た男が、つるの代わりに高圧電線を掴んで飛ぼうとして即死。ターザンのマネは危険だ」「運が良かったと考えるようにしよう。新聞で読んだ列車事故。汽車がバスに突っ込んで、六人死んで、十四人がケガ。それよりマシだ。今度からバスに乗る時は気をつけよう」「比較すれば僕は運がいい。比較すると、距離を置いてものを見られる。ライカ犬は物事が良く見えたはずだ。距離を置くことが大切だ」「オートバイでバスを飛び越え、記録に挑んで死んだ男がいる。バスを三十一台並べたが、三十台なら助かっていたかも知れない。一台バスが多くて記録を作りそこねた。後輪を引っ掛けた」などなど……。
  夏休み。ママの結核が悪化し、イングラムはママの弟、グンネル叔父さんの許へ預けられることになる。叔父さんの住む山間の村は、村人の殆どが一つのガラス工場で働くような寒村のオーフェルシュ村。雑多で個性に富んだ村人達との出会いは、イングラムにとって、忘れがたい夏の到来でもあった。
  ファンキーで優しいグンネル叔父さん。女性下着雑誌が好きな寝たきりのアルビドソン爺さん。屋根の修理ばかりしているフランソン。グラマー美人のベリット。偏屈の画家。一輪車の綱渡り名人。そして、女の子であることを隠しながら男の子に混ざりサッカーやボクシングをするガキ大将、サガ。物語は、イングラムとサガの間に芽生えた恋ごころや、生きることを楽しむ村人達の心温まるエピソードを、季節の移り変わりとともに、繊細に描写してゆく。
  夏が終わり、自宅へ帰ったイングラムは、増々病状が悪化する一方のママと再会。心配な愛犬シッカンは犬の保管所に預けたままである。冬になり、ママは病院に入院。またもや、グンネル叔父さんの許へ預けられるイングラムだった。
  そしてイングラムを襲う、ママの死、愛犬シッカンの死。イングラムは悲しい現実を前に、共同体の優しさに包まれながら成長してゆくのである……。

  本来悲しい物語であるはずの本作は、観る者を、爽やかな幸福感で包んでゆく。ここにあるのは積極的な生の躍動だ。
  劇中イングラムは決して悲しみを外に出さない。悲しい時や孤独な時は、頻繁に独白するのだ。一つは「ライカ犬」の不幸話。そしてもう一つは「ママが元気なうちに話しておけばよかった」という悔恨である。
  何度も回想される、淡い光線の中、湖辺で戯れるイングマルとママ。イングマルは一日の出来事をママに話し、ママが元気に笑ってくれることをただ夢想するのである。胸詰まる切ないシーンだ。イングラムにとって、湖辺の映像は、最も幸福な瞬間として心に深く残っているものなのだろう。イングラムはもっともっとママと話がしたかったのだ!!
  すすり泣きながらグンネル叔父さんに語るイングマルの台詞は圧倒的だ。「僕はシッカンに言ってやりたかった。僕が殺したんじゃないと……」。子供と大人では、ここまで悲しみに対する視点が違うのである。愛犬シッカンを殺したのは、ほったらかしにした自分なのではないか?  大人が忘れてしまった関係性に於ける想像力を、いまだ子供の方に属する、思春期直前のイングラムは有しているのである。
  大人にとって、子供の内奥に向き合うこととは?  喜怒哀楽に溢れたオーフェルシュ村の「変人」達の表情が答えだ。
  素晴らしいユーモア。心に響くペーソス。そしてエンディング・ロールでやって来る、えも言われぬ幸福感。これぞまさしく名画である!