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パリ空港の人々
  (1993年 フランス)
  監督: フィリップ・リオレ
  原題: TOMBES DU CIEL
(LOST IN TRANSIT)
  主要舞台: フランス
    定価(税込) 3,990円
商品番号 ALC-0068
発売元 エプコット
販売元 エプコット

  海外へ頻繁に行く者なら誰しもが、いまいましい税関で不快な思いをした経験があることだろう。とりわけ悪名高いのがイギリスのヒースロー空港。こちらがアジア人だからなのか、はたまた怪しい風貌だからなのか、俺だからなのか、とにかく入国管理局の役人の態度が高圧的なのだ(もちろん当たり前の話だが、親切な者もいる。結局はその「人間」だ)。友人のミュージシャンには、長時間足止めを食らい、パンツまで脱がされた者までいる。
  その点、フランスのシャルル・ド・ゴール空港は、さすが移民の国フランスと言うべきか、あるいは呑気と言うべきか、あまりにすんなりと入国出来るものだから、肩透かしを食らい呆気にとられた覚えがある。「9・11」以降であった為、それはなおさらだ(例えばアイルランド・ダブリン空港の税関には、ギャグを言う為にひたすら虎視眈々と「餌物」を待つ役人もいたりする。まあ民族性もある訳だ)。
  本作『パリ空港の人々』は、そのシャルル・ド・ゴール空港のトランジット・ゾーン(外国人用処理区域)に、やんごとなき事情で留まらざるを得なくなった者達の、心温まる交流を描いた人情喜劇である。あまりに現実味を欠いた荒唐無稽なシークェンスも多々あるが、そこは「おとぎ話」、ユーモアもペーソスも丸ごと受け入れて、この名作ヒューマン・コメディに身を委ねてしまおう。
  本作はシャルル・ド・ゴール空港でのオール・ロケ。脚本はヒースロー空港での監督自身の経験した実話に基づき(多分相当に鬱陶しいことがあったんやろうね)、なんと本当にシャルル・ド・ゴール空港に実在する人々をモデルにしている。

  舞台は、年末の慌ただしい、パリのシャルル・ド・ゴール空港。図像学者のアルチュロ(ジャン・ロシュフォール)は、出発のカナダ・モントリオール空港で仮眠中、不覚にもパスポートや財布の入った鞄と靴を盗まれ、入国管理局で足止めを食らっている。ロビーでは迎えの妻スサーナ(マリサ・パレデス)が待っているものの、パスポートがなければ当然入国は出来ない。
  アルチュロはフランスとカナダの二重国籍。そして、居住地がイタリアで妻がスペイン人というややこしい身上に加えて、12月30日、日曜日の深夜という状況では、コンピュータによる大使館への身上確認も取れず、結局朝までトランジット・ゾーンに留まらざるを得なくなってしまうのであった。
  諦めて長イスで寝ようとするアルチェロに、親し気に話し掛けてくる黒人少年ゾラ。ギニア人の彼は、一週間以上も入国が認められず、パリにいるはずの父親が迎えに来るのを待っているのだ。
  そして次々に登場するのが、彼ら同様、入国が認められない奇妙な連中だ。国外追放の為に国籍を剥奪されたラテン・アメリカ系の女性アンジェラ。あらゆる国で入国拒否されてきた自称元軍人のセルジュ。どこの言語か分からない言葉を話す、国籍不詳の黒人ナック。彼らは数カ月以上、フランス入国を拒否され、トランジット・ゾーンに放置されているのだ。
  翌朝、管理局で身上確認が取れないアルチュロは、やむなく奇妙な仲間達との共同生活を始めるのだが、一方の妻スサーナは空港の簡易ホテルでヒステリー状態。かくして奇妙な連中のドタバタ劇が始まるのであった。
  裸足のアルチェロとゾラの靴探し。滑走路の脇に生息するウサギ狩り(!)。レストランでの極秘の物々交換。ロビーの観葉植物の鉢にパセリやハーブを植えての自給自足。なかなか、連中は連中で逞しく生きているのだ。
  そんな折り、ゾラの父親が実は技術者などではなく道路掃除夫で、不法滞在就労によりフランスからギニアへ強制送還されていたと聞かされる。となると、もちろんゾラも明日にはギニアへ送り返される運命だ。打ちひしがれるゾラを励ますように、パリの街並をテーブル上に描写してやるアルチェロ。胸詰まる名シーンだ。
  こうなれば当然、パリを夢見ていたゾラの願いを叶えてあげるべく、大晦日の夜の脱出だ。全員でバスに乗り込み、各々の思いを胸にパリの夜景を眺める。そして、一行はセーヌ川の遊覧船のデッキで新年を迎えるのであった。涙を流すアンジェラに、励ますアルチェロ。
  早朝。大使館から身分証明の書類が届いたアルチュロは、眠っている仲間達との別れを惜しみながら、トランジット・ルームを後にする(妻は?  もちろんオチがある)。
  空港の外。あとを追って来たゾラ。一文なしの二人はパリの街へ向かって歩き始めるのであった。

  「どこの国でもないゾーン」では、人々の帰属するところは「人間」でしかない。ここにあるのは「狭間」で生きる者達の「生身」から立ち上る人間讃歌だ。帰るべき場所を失った人々の、強さ、弱さ、逞しさ、諦観が「国境線上」で立ち上り、各々が単なる人間でしかないところで思いやり合う、そんな優しさに溢れた人物描写が実にいい。もちろん彼らはのっぴきならない事情で足止めを食らっているのだが、「国家」を背負わない解き放たれた者達のアジールでは、人間、ただひたすら生きることに夢中になって、思いやり合うしかないのである。
  ヒステリーの妻を空港に残し、ゾラと歩み出すアルチェロの、このラスト・シーンこそが、アジールで何がしかを得たであろう疲れた初老男の「未来」を暗示している。そう、アルチェロやアンジェラはある意味、「ボーダレス時代」という名の現代社会を生きる、我々一人一人でもあるのだ。
  ちなみに、シャルル・ド・ゴールの滑走路には実際、山ほどウサギが棲息しているのだそうだ。訪仏の機会がある者は要チェックだ。