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セプテンバー11 <11'09"01>
  (2002年 フランス)
  監督: オムニバス作品
(監督:サミラ・マフマルバフ、クロード・ルルーシュ、ユーセフ・シャヒーン、ダニス・タノヴィッチ、イドリッサ・ウエドラオゴ、ケン・ローチ、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、アモス・ギタイ、ミラ・ナイール、ショーン・ペン、今村昌平)
  原題: SEPTEMBER 11 <11'09"01>
  主要舞台: ワールド
    『セプテンバー11』
発売元:東北新社
¥3990(税込)
DVD発売中

  世界中を震撼させた「9・11同時多発テロ」が現在の人類社会に及ぼした影響は、もはや計り知れない。首謀者であるはずのオサマ・ビン・ラディンは今だに何処にいるのかも定かでないし、世界中の権力者達は、「対テロ戦争」という便利な惹句を与えられ、極端な排外的政策に意気揚々と邁進している有り様だ。決して21世紀を「戦争の世紀」にはしない、という多くの者達の祈りや願いが、一部の狂信的なゴロツキによって、儚くも消し去られようとしているのが今という時代なのである。
  現在グローバルピースキャンペーンが日本版を制作中の『9・11 IN PLANE SITE』や、マイケル・ムーアの『華氏911』が示唆するように、「9・11同時多発テロ」がアメリカ政府による自作自演とまではいかなくとも(勿論その可能性もある)、一部の者達による陰謀である可能性が真実味を帯びて来た以上、アメリカによるアフガンやイラクへの爆撃を「良し」とした者達の罪が、今こそ問われなくてはならない。
  虫けらのごとく殺されたアフガンの数千人、イラクの一万数千人の命。他者への想像力を決定的に失った者達の「政治力学ごっこ」は、結果、世紀の戦犯ブッシュやシャロン、ブレア達(ここにコイズミを入れてもいい)を利しただけであって、無辜の市民を襲った阿鼻叫喚の地獄絵図を踏み付けたまま放置しているのである。
  天皇の日本軍やナチス・ドイツの蛮行を許した世代と、当節のアメリカやイスラエルの蛮行、イラク自衛隊派兵などを許す我々の世代との間に、もはや大きな隔たりはない。一部の狂信者による侵略戦争は、例えそれが無力感に苛まれるような瞬間を伴ったとしても、何としても人の手で止めなくてはならないものなのだ。何度も言うが戦争は人為。天災でない以上、止められるものなのである。絶対的非戦主義。人類という種の、そう長くはないかも知れない未来を思えば、それしかないではないか。

  本作『セプテンバー11』は、国籍の違う十一人の映画監督が、それぞれ2001年9月11日を主題に、「11分9秒1フレーム」に収めるという共通の条件下で制作した短編集。サミラ・マフマルバフ(イラン)、クロード・ルルーシュ(フランス)、ユーセフ・シャヒーン(エジプト)、ダニス・タノヴィッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、イドリッサ・ウエドラオゴ(ブルキナファソ)、ケン・ローチ(イギリス)、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(メキシコ)、アモス・ギタイ(イスラエル)、ミラ・ナイール(インド)、ショーン・ペン(アメリカ)、今村昌平(日本)という、錚々たる顔ぶれによる一大プロジェクトである。
  2002年制作といえば、ブッシュのアメリカがビン・ラディン及びタリバン掃討を口実に、アフガニスタンの子供達の頭上へ爆弾の雨を降らせていた頃である。ここに収められた十一の作品には勿論温度差や出来不出来も認められるが、異なる文化圏に住む者達によるそれぞれの主観を通して「9・11」を客観するという、想像力の多様性への意欲的な接近は重要な作業であるといえる。観る者は、静かに自分自身の「9・11」への再考を促されるのである。

  本作の十一編中、最も印象に残った(というか感動した)ものは、モフセン・マフバルバフの娘(もうこの形容はいらないか)サミラ・マフマルバフ(『ブラックボード<背負う人>』『りんご』)の作品と、我らがケン・ローチの作品。
  サミラ・マフマルバフの作品では、イランに亡命したアフガン難民の子供達に女性教師がニューヨークの事件の惨状を伝えようとするが、子供達には全くもってイメージ出来ない。「アメリカで大変なことが起きました。何が起きたのか、あなたたちは知っていますか?」と問う女性教師に、「井戸に人が二人落ちて、一人は死に、一人は足を折りました」と無邪気に答える子供。
  世界貿易センタービルのような超高層ビルは勿論、それらが乱立するニューヨークという街を、アフガン難民の子供達に「想像しろ」という方が無理な相談だ。子供達にはビルが何を意味するのかさえ分からないのである。
  そこで彼女は、煉瓦作りの煙突を指さし、「ビルを壊したのは誰だと思いますか」と子供達に問う。「神様」と答える子供。呆れ顔の彼女は、「今から、ビルの下敷きになって死んだ人達の為に、一分間黙祷を捧げます」と言う。しかし子供達は、目を閉じるどころか、おしゃべりを続けるのみ。
  「あなた達は黙祷しませんでした」。女教師は子供達を外に連れ出し、煙突前に並ばせ、今度はそこで黙祷を捧げるように言う。「でも、しゃべりたくなったらどうすればいいですか?」と問う子供に、彼女は「唇を噛んで煙突を見るのよ」と答え、ロングショットの中、煙突と子供達のシルエットで物語は閉幕する。
  難民キャンプで人々は、アメリカによる空爆に備えて、どう考えても役に立たない煉瓦作りのシェルターを作っている。地球上の富をその一手に抱え込む国による、世界最貧国への空爆。サミラは、窮乏下の難民キャンプも、人間の暮らす同じ地球上であることをさりげなく提示して見せるのだ。
  一方、ケン・ローチの作品では、もう一つの忘れられた「9・11」が語られる。チリからロンドンへ亡命した作曲家の回想という形を取りながら、1973年のチリの軍事クーデターがアメリカ主導のものであったことを暴露してゆく。同じ9月11日の火曜日、選挙で選ばれた社会主義者のアジェンデ大統領が暗殺され、以降、世界貿易センタービルの被害者の十倍以上ものチリ市民が、 CIA とその顧客ピノチェット将軍とによって虐殺・弾圧されてゆくのだ。ソウル・フラワー・ユニオンがカヴァーしている<平和に生きる権利>の作者であり歌手のビクトル・ハラも、この時のクーデターで惨殺されている。(殺され方には諸説あって、チリ・スタジアムの大衆の目前で処刑されたとする説もあるが、腕を折られたあと、地下室に連行され、そこで処刑されたという説が有力だそうだ。以下、八木啓代さんの著作『禁じられた歌』から。「ビクトル・ハラは逮捕者を励まそうとしてスタジアムでギターをとり、人民連合のテーマ曲<ベンセレーモス>を歌いはじめた。軍人たちは怒って彼のギターを取り上げた。彼は今度は手拍子で歌い続けた。怒り狂った軍人は、銃の台尻で彼の両腕を砕いた。彼はそれでも立ち上がって、歌おうとした。すると軍人は彼を撃った。まるで生き返るのを恐れるかのように、数十発の銃弾が彼の身体に撃ち込まれた。そのとき軍人は言ったという……“歌ってみろ、それでも歌えるものならな”」)。
  亡命したこの作曲家は、虐殺と拷問の悲劇を涙ながらに回顧し、アウグスティヌスの「希望には怒りと勇気の二人の娘がいる」という言葉を引き、「この日(9・11)を共に心に刻もう」と呼びかけるのであった。

  本作にはその他にも、テルアビブでテロをレポートするジャーナリストを描いたアモス・ギタイの作品、ボスニア戦争で男達を失った女性達を描いたダニス・タノヴィッチの作品、自爆テロを決行する若者の父親に「あのブッシュめ、勝手にどっちがテロリストか決めやがって」と言わせるユーセフ・シャヒーンの作品、「9・11」で世界貿易センタービルで救助活動中に死亡したパキスタン系アメリカ人がテロリストの嫌疑を掛けられるミラ・ナイールの作品、などなど、印象的な力作が並んでいる(今村昌平の作品はしんどい。とにかく、物語以前に日本人俳優の酷い演技力がどうしようもない。当初依頼されたビートたけしは断ったそうだが、当然奴にこの主題は無理だろう。若手にやらせろよ)。
  「9・11」が歴史的な出来事になったのは、その規模や性質によってではなく、そこがアメリカ合州国であったからに他ならない。アメリカが中南米で、アフリカで、中近東で、アジアで行って来た数々の蛮行(テロ)は、「9・11」ほど微細に、我々に知らされなかっただけなのである。本作中の何本かの作品は、静かにではあるが、我々の世界に厳然とある、あまりの「命の値段の開き」にハッキリと異議を申し立てているのだ。

  最後に監督達の興味深い発言を引いておこう。
  「ブッシュの演説やオサマのメッセージの言葉を聞いていると、理性的な事実を超えて、善や悪、神など、非常に脆弱で主観的なことばかりに終始しており、恐ろしさを感じる」(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ)
  「アフガニスタン市民の悲惨さや苦悩には、誰も気付いていない。現在世界では、先進国は自分達の利益が危険に晒された時だけ、貧しい国に注意を向けるが、“9・11”を経た今、全ての国々とメディアが、同じエネルギーを以て、貧しい国に注目しなければならない」(サミラ・マフマルバフ)
  「完全なる無知によって夢が何度も踏みにじられるのを見て、怒りを覚えない者はいないはずです」(ユーセフ・シャヒーン)
  「どんな事態でも、招いたのは我々自身なのだ。偶然起こった訳ではない」(ダニス・タノヴィッチ)
  「ニューヨークからインド西部まで、世界中のイスラム嫌いに悩まされてきた私は、一人の映画作家として今こそ発言すべき時だと思った」(ミラ・ナイール)
  「“9・11”は、世界貿易センターやペンタゴンが表象している権力に対する象徴的な攻撃なのだ。そのような権力への反感は、多くの方法で雄弁に語られている。しかしアメリカ政府は、何年もの間、世界中に敵を作りながら行ってきた方法では、今回の解決に当たることは出来ないだろう。9月11日の出来事は、ある人々にとって別の意味を持っている。プロパガンダの下に埋もれてしまっている意味を。他の人の声を聞くのは一つの癒しとなろう。政治は政治家だけに任せておくには、あまりに重大である」(ケン・ローチ)