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華氏911
  (2004年 アメリカ)
  監督: マイケル・ムーア
  原題: FAHRENHEIT 911
  主要舞台: アメリカ
    全国大ヒット上映中
公式サイト:www.herald.co.jp/official/kashi911

  ブッシュが大統領選のコマーシャルで、アフガニスタンとイラクの国旗を背に「このオリンピックでは、自由な国が二つ増え、二つのテロリスト政権が減った」とブチ上げているそうだ。もはやこの人類史上最も愚かな戦争犯罪人が、何をしようと何を言おうと、誰も驚きも笑いもしないだろう。この男がネオコンの操り人形であろうとなかろうと、アフガニスタンでは数千人、イラクでは一万数千人の無辜の命が、虫けらのごとく殺されたのである。
  「9・11」はある意味、貧者からの搾取によって安定を享受する先進国の住人にとって、モーニング・コールであった。目を覚ませ!という呼び掛けであったはずだ。しかし現状は、ブッシュやシャロンといったゴロツキを大統領にとどまらせ、イラクやアフガニスタンやパレスチナの子供達の頭上に爆弾の雨が降り、ブッシュの忠実な下僕コイズミは自衛隊を派兵して得意顔でタレントと遊んでいる、といった具合だ。無辜の民を大量殺戮し、国際秩序、国際貢献を口にするその神経はこの上なく信じがたいが、世紀の偽善者達にとっては、至極当然な流れに今という時代があるのだろう。
  ロックンロールとハリウッドの国が、日本への原爆投下以降に、戦争・爆撃をした国は以下の通り。中国(1945〜46、1950〜53)、朝鮮(1950〜53)、グァテマラ(1954、1967〜69)、インドネシア(1958)、キューバ(1959〜60)、ベルギー領コンゴ(1964)、ペルー(1965)、ラオス(1964〜73)、ベトナム(1961〜73)、カンボジア(1969〜70)、グレナダ(1983)、リビア(1986)、エルサルバドル(1980年代)、ニカラグア(1980年代)、パナマ(1989)、イラク(1991〜99)、ボスニア(1995)、スーダン(1998)、ユーゴスラビア(1999)、アフガニスタン(2001〜02)、そして現在のイラク(2003〜)。パレスチナやチリ、トルコ、東チモールのような、クライアント(アメリカが後見人の独裁国家)の蛮行の後見も数に入れると、殆ど年がら年中殺戮に明け暮れているのがアメリカという国なのである。もちろん、カダフィやフセイン、ビンラディンを当初手引きしたのもアメリカだ。
  ノーム・チョムスキー(『チョムスキー 9・11』の項参照)は言う。「人は頭から足の先まで偽善で固める道を選ぶことも出来るし、真実を正直に見つめることも出来る」と。権力構造が公然と、または秘密裏に仕掛けてきた諸々の残忍非道を容赦なく白日の下に引きずり出し、とにもかくにもまずは事実を知ること。あらゆる手立てをもってして権力構造の本性を暴露することが、今ほど強く求められている時代はない。

  そこで登場!  もはや説明不要のマイケル・ムーアだ。
  ムーアは、全世界で大ヒットした前作『ボーリング・フォー・コロンバイン』で、「アポなし突撃取材」によって、銃社会アメリカの深層を明るみに引きずり出し、エスタブリッシュメントの暴力性、歴代アメリカ政府の野蛮性を容赦なく告発した。
  そんな暴れん坊ムーアが、随分前からの予告通りに選んだ次なるターゲットは、第四十三代アメリカ合州国大統領ジョージ・W・ブッシュである。
  本作『華氏911』は、ブッシュ一族とオサマ・ビン・ラディン一族との癒着、アフガニスタンやイラクへの侵略戦争の内幕など、ブッシュ政権の悪逆非道な外交政策を、ムーア持ち前のユーモアと執拗さで検証するドキュメンタリー映画だ。
  本作では、残念ながらムーアの十八番「アポなし突撃取材」は影を潜め、「主演」をジョージ・W・ブッシュに完全に譲っている。ムーア曰く、「まあ、お笑い演技ではブッシュには勝てないからね(笑)」という訳で、ムーアの「師匠」ケビン・ラファティの『アトミック・カフェ』(冷戦下のアメリカ政府の暗部を抉るドキュメンタリー映画。1982年)のように、貴重な映像やインタヴューを徹底的にコラージュすることによって、この「全然大統領には見えない大統領役」の主役に焦点を絞っている。
  ムーアによる本作の目的はただ一つ。ブッシュを落とすことだ。
  よって本作は、観る者の過大な期待に反する部分もあり、表面的な批判に晒されてしまう危険性を備えている。ムーアの諸作にみられるユーモアの欠如。事実の羅列による「芸術性」の欠如。イスラエルやネオコンへの具体的言及の欠如、などなど。しかし、本作を「こんなの映画じゃない」とか「勧善懲悪のプロパガンダ映画だ」などと言う批判は、あまりに的外れだ。映画は、音楽同様、無限の可能性を持つ表現媒体である。世に氾濫する体制プロパガンダ(無思想を気取る「芸術」の大方も、実はそこに属するのだが……)に目をつぶる連中、マスメディアや言論人の、ムーアに対するやっかみ・嫉妬は、もはや哀れでしかない。マスメディアや言論人がやらないからこそムーアが立ち上がったのだ。
  ここに、的外れな批判に答える、映画評論家・町山智浩氏の卓見を引こう。「『独裁者』も『華氏911』も、インテリに向けて作られた映画ではない。アメリカの大半を占める、新聞や本なんか読まない人々の為に作られた映画だ。残念なことにその人口比は六十年経ってもあまり変わっていない。アメリカにはもう大都市にしか書店はないが、そこに行けば大量のブッシュ批判の本が並んでいる。いや、政治に関する本の八割がブッシュ叩きだと言ってもそんなに誇張ではない。でもこれを読むのはインテリだけ。普通の人はテレビとラジオでしか政治を知らない。それは何度も書いたように、共和党を支持するコングロマリットに寡占支配されている。だからムーアも言っているように、アメリカの人口の四割が今だに“イラクが9・11テロの犯人”“イラクは大量破壊兵器を持っていた”と信じている。そんな人々に見せる為に作られたのが『華氏911』なのだ。だから、“『華氏911』はムーアの著作と内容が同じだ”と批判してもまったく無意味だ。この映画はムーアの本どころか新聞すら読まないアメリカ人をどれだけ動かすかで価値が計られる映画だからだ」。そう、マイケル・ムーアは本気なのである。
  本作は、チャップリンの『独裁者』(これも公開当初、批判のつぶてに晒された)同様、観る者に社会参加への機会を与える、優れた芸術作品なのだ。

  こういったドキュメンタリー映画は、とにもかくにも観て貰う他ない。
  ビン・ラディンが、ブッシュのテキサス州知事時代(1997年)、アフガニスタン経由で石油パイプラインを引きたがっていた「ユノカル」(テキサス石油企業)の顧客としてもてなされていた事実。サウジアラビア屈指の大財閥であるビン・ラディン一族が、「カーライル・グループ」(ブッシュ一世が顧問のテキサス石油企業。軍事投資ではアメリカ有数)に投資していた事実。「9・11」当初、アメリカに二十四人いたビン・ラディン一族が、空域閉鎖中の9月13日に、アメリカ政府上層部の許可によりヨーロッパへ出国していたという事実。ブッシュが、議会のまとめた「9・11」についての報告書から、サウジアラビアのテロ関与を示唆した部分である二十八ページ分を削除させていた事実。ブッシュ、チェイニー、ラムズフェルド、トニー・ブレアをパロったTV番組のサンプリング。休暇ばかり取りゴルフに勤しむブッシュ。ソフトクリーム屋のワゴン車から「愛国者法」を大音量で読み上げるムーア。貧困層の若者が生活苦の為に兵隊になり、戦場で犠牲になっている現状。イラクの惨劇を伝える死者・けが人の映像、などなど……。
  当然のように、当初ディズニーは配給を拒否。「ストップ・マイケル・ムーア・キャンペーン」なる抗議活動も勃発。アメリカの映画協会は、本作を十七歳未満の鑑賞に保護者同伴を義務づける「R指定」にした(ムーア曰く「二、三年後にイラクへ派兵されるかも知れない十五、六歳は、この映画を観る権利がある」)。体制がいかに本作を怖がっているのかが良く分かる。
  ムーアは、著書の中で、ビン・ラディンについても「アフガニスタンの洞窟で腎臓透析治療を受けている男が、あんなことを指揮できるのか?」と、暗に「9・11」の「陰謀説」へ言及しているが、ここまで暴露された以上、あとは我々一人一人の仕事だろう。マイケル・ムーアは、彼に出来うることを十二分に成し遂げているのだから。あっぱれ!マイケル・ムーアである。

  最後にムーアの日本人へのメッセージだ。「第二次大戦後、日本は、世界で平和のたいまつのような存在だったはずだ。60年間大事にしてきたものを、ブッシュの貢ぎ物にしてしまった。それで日本はより安全になったのかい?」
  あとはマイケル・ムーアの著作や以下のサイトへどうぞ(www.michaelmoorejapan.com)。皆さんの知りたいことがそこにあると思う。

  「政治はパルムドール受賞に何の関係もない。単に映画として面白かったから君(ムーア)に賞を贈ったんだ」(クエンティン・タランティーノ/カンヌ審査委員長)
  「『華氏911』最高!」(マドンナ)
  「『華氏911』を観たい!」(サダム・フセイン)

  「無関心にならないで欲しい。僕らには何かが出来るはずだ。そう、フラワー・パワーはうまくいかなかった。じゃあ何をするのか。また始めようじゃないか!」(ジョン・レノン)