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ケス
  (1969年 イギリス)
  監督: ケン・ローチ
  原題: KES
  主要舞台: イングランド

  1960年代、フリー・シネマ世代の最後の寵児としてデビュー以来、常に労働者階級側の視点でリアリズムを追求した作品を作り続ける映画作家ケン・ローチ(『スイート・シクスティーン』の項参照)。
  1968年、テレビ・ドラマの演出や監督を経て、初期フェミニズムの秀作である初の長篇映画『夜空に星のあるように』により映画監督デビューしたローチは、二作目にして不朽の名作をものにした。
  本作『ケス』は、『スイート・シクスティーン』に先駆けること三十年、まさしくケン・ローチ版『大人は判ってくれない』と言える底辺青春群像劇。クシシュトフ・キェシロフスキ、アラン・パーカー、アニエス・ヴァルダらの大絶賛に加え、何と言ってもローチ自身一番のお気に入りで、1999年度英国映画協会によるベスト100の7位にランクインされた、戦後イギリス映画の古典である。
  ひなびた炭坑の町の青春。虚無的な日常を変えるハヤブサとの出会い。誰もが経験する、子供でも大人でもない不安な季節の、自由をめざす魂の飛翔を繊細な筆致で冷徹に描き出した、ローチ初期の最高傑作である。
  出演者は実際に炭坑町に住む労働者階級の素人で、徹底したロケーション主義による瑞々しい映像が印象的だ。

  舞台は60年代後半、イギリス・ヨークシャーの炭坑町。中学卒業を控えたビリー(十五歳)は、炭坑で働く粗暴な兄ジャドと子供にかまう余裕のない母親との三人暮らし。父親は失踪してしまったままで、朝夕新聞配達のアルバイトをする窮乏生活である。チビで運動音痴の劣等生ビリーは、級友からはからかわれ、教師や毋兄からは叱られ、取り立てて得意なものもない、将来に希望など持てない日々である。
  ある土曜日の早朝、ビリーは、森を駆け抜け、古い僧院の壁にハヤブサの巣を見つける。興味を持ったビリーは、早速古本屋でハヤブサの訓練法を紹介する本を万引きし、部屋に閉じこもり、一人で無我夢中に読みふけるのであった。
  日曜日の夜明け前、泥酔状態で帰宅したジャドに起こされたビリーは、森に行き、ハヤブサの雛を一羽捕まえ、ケスと名付け、飼うことにする。ビリーの熱心な餌付けが実り、次第になつき始めるケス。大空を華麗に飛び回る「仲間」、そして、熱中出来ることを見つけたビリーは、活き活きとした自分だけの世界を手に入れるのであった。
  一方、学校では、体育教師や校長の理不尽な体罰に遭うビリー。「教える者」特有の独善的な傲慢さがこの学校を支配している。
  そんな中、国語教師ファーシングだけはひと味違う。何ごとにもやる気を見せないビリーに、ある日、級友全員の前で話をさせるのだ。最初は「話すことなど何もない」と言っていたビリーも、ハヤブサの話になると夢中で餌付けの過程を話し始めるのであった。引き込まれてゆく級友とファーシング。クラスの全員が想像上のケスを空に思い描く、息を呑む素敵なシークェンスだ。
  放課後、ビリーが、ケスを見物に来たファーシングに言う台詞は、まるであるべき教育論を示唆するかのようだ。「ケスはペットじゃない。こう聞く人もいる。“飼い慣らしたの?”  飼い馴らすなんて無理さ。獰猛で超然とした鳥なんだ。僕さえ気にかけない。だから凄いんだ。僕は姿を見て、空に飛ばせれば満足だ。インコとは違うんだから。今だって姿を見させて貰ってるんだ」
  ある朝ビリーは、ジャドから頼まれた馬券を買わずに、預かった金でフィッシュ&チップスの買い食いをしてしまう。ところがその馬券が大穴で、怒り狂ったジャドはビリーを探しに学校へ駆けつけるのだ。逃げ回るビリー。
  夕方、ケスが気掛かりになったビリーは、慌てて帰宅するも、既にケスはジャドによって殺されていた。ビリーは、ゴミ捨て場に捨てられていたケスを拾うと、一人、草むらに墓を掘り、埋葬してやるのであった……。

  ビリーがケスと築き上げた信頼関係。生き甲斐。友情。それらは全てケスが現れる前のビリーに欠けていたものばかりだ。純粋さと粗暴さが混在する多感な十代の荒れ地。誰もが輝く瞬間を持っているという極めてシンプルなメッセージがヨークシャーの素朴な風景から立ち現れる、ビリーとケスのロング・ショットが忘れられない。
  劇中極めて粗暴に描かれる兄ジャドだが、もしも競馬に買っていたら、きつい炭坑での労働から一週間は解放されていたという点も重要だ。あらゆる場所にいるはずの、多くの「ジャド」や「ビリー」が個性を生かせずに生涯炭坑で働くという社会への、ローチの厳しい視点がここにはある。
  バリー・ハインズの原作小説『鷹と少年』の冒頭には次のような引用があるそうだ。「中世社会では、ハヤブサは最下層の人々によって自由に所有出来る唯一の動物だった」。ハヤブサは、階級社会の有り様を象徴しており、世界のあらゆる場所で苦悶する人々のドラマを共有しているのである。「(ハヤブサは)世界の下層階級の為の鳥なんだ」(ローチ)
  「ビリー」の二、三十年後を、ローチの90年代作品に見い出すことも可能であるし、現代社会に生きる「ビリー」達が、今では『スイート・シクスティーン』のリアムのように生きなくてはならない「しんどさ」に思いを馳せることも可能だ。ローチの全作品を発表順に観ると、移ろいゆく階級生活の奮闘が見て取れるのである。
  巨匠の、若さと瑞々しさに満ち溢れた一大傑作である。