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ジョニーは戦場へ行った
  (1971年 アメリカ)
  監督: ダルトン・トランボ
  原題: JOHNNY GOT HIS GUN
  主要舞台: フランス

  第二次大戦後、アメリカを覆ったマッカーシズム、いわゆる「赤狩り」は、ハリウッドのリベラルな作家達を、いわれなき疑惑によりことごとく窮地へ追い込んだ。
  本作のダルトン・トランボも、1947年の第一回聴聞会で証言を拒否した映画人集団ハリウッド・テンの内の一人で、証言拒否により逮捕、禁錮刑に服している。出所後、職のないトランボは、心ある監督達から脚本家の仕事を貰い、偽名により数々の名シナリオを書いた。例えばあの『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー)の脚本は、なんとトランボその人なのである(イアン・マクレラン・ハンター名義)。
  そんなトランボには、長年映画化を熱望していた、第一次大戦を舞台に書いた『ジョニーは銃を取った』(1938年発表)という原作小説があった。明確な反戦思想により発禁処分を受けていたその小説の映画化を積極的に検討するプロデューサーなど当然いるはずもなく、死者や「不具者」を量産し続けるベトナム戦争のさなか、六十五歳のトランボ自ら、最初で最後の監督作品として、執念の本作『ジョニーは戦場へ行った』に着手するのであった。
   戦場(第一次大戦)での被爆により両手、両足、耳、眼、口を失いながらも生き続けた英軍将校が実在したという事実を元に書き上げられた原作は、トランボ自らによる誠実な演出によって、一度観たら絶対に忘れることの出来ない圧倒的な人間讃歌に仕上がっている。悲痛な「現在」を映す、凍てつくようなモノクロ・シーン。歓びと苦悩の「過去」を映す、活き活きと描かれるカラー・シーン。色調によって表わされた時制の違いから立ち上る非情さ、そして、人間の尊厳こそが本作の主題である。

  舞台は1918年9月、第一次大戦。アメリカ参戦により、コロラドの青年ジョニーことジョー・ボナムはヨーロッパ戦線へ出征したのであった。
  しかし、ジョーは今、変わり果てた姿で「姓名不詳重傷兵第407号」として、前線の手術室に横たわっている。延髄と性器だけが助かり、心臓は動いているものの、両手、両足、耳、眼、口を失い、いわば医学実験の観察対象として生かされているのだ。軍医長ティラリーは言う。「もう死者と同じように何も感じない、意識もない男を生かしておくのは、彼から我々が学ぶ為だ」。こうして「407号」と呼ばれるようになったジョーは、想像を絶する受難の姿で、秘かに後方の陸軍病院へと運ばれるのであった。
  しかし周囲がどう判断しようとも、ジョーには意識がある。思考し、感じ、夢見ることが出来る!  恋人カリーンとの初夜。出征の朝。泥水の穴底での被弾。少年時代……。そしてジョーは、両手、両足、舌、顎、眼、鼻、口のそれら全てが、もはや自分の身体には存在しないことを徐々に知るのであった。声にならない叫びが病室にこだまする。ひたすら沈み込む暗黒の世界。そして、ジョーには日にちも季節も「時間」もないのだ。
  ベッドが新しくなり、看護婦も変わった。心優しいその看護婦は、ジョーの為に涙を流し、枕許には一輪の花が……。そして看護婦はジョーの胸に指で文字を書き始める。M・E・R・R・Y ……。「そうか、今日はクリスマスなのか!  僕も言うよ、看護婦さん。メリー・クリスマス!!」。そう、遂にジョーは「時間」を発見し、自らをその中に位置づけることが出来るのだ。そして他者との会話。「人間」への生還である。
  「彼の時間」で四年経ったある日、夢の中の父親がジョーに言う。「何も言えないなら電報を打て。モースルだ。頭を使うんだ」。枕に頭を叩き付け続けるジョー。そして異変に気付いた周囲も、それがモールス信号であることを知るのであった。
  将校はジョーの額にモールス信号を送る。「君は何を望むのか?」。「外に出たい!人々に僕を見せてくれ。出来ないなら僕を殺してくれ!!」。軍医長ティラリーは愕然としながらも、周囲に一切の他言を禁じるのであった。憤慨する神父がティラリーをなじる。「こんな蛮行を信仰で庇いたくない。諸君の職業が彼を生んだのだ!!」
  一同が去ったあと、一人残った心優しい看護婦は、殺してくれと訴え続けるジョーの空気管を断腸の思いで閉じる。しかし、戻って来た上官に気付かれ、看護婦は病室から追い出されてしまうのであった。
  暗闇に残されたジョー。モールスは続く。S・O・S、S・O・S、S・O・S ……。

  反戦プロパガンダにジョーを使われたくない上官達の、歪んだ精神。醜い顔。「肉塊」が人間としての意志や感情を持ち合わせていることを知った時の、周囲の戦慄。ラスト・シーンの、絶望のフェイド・アウトのカメラは、今だ「戦場」を他人事と捉える多くの者達の視線、戦争を仕掛ける側の視線に通じている。殺される者達のそれぞれの脳裏に去来する「カラー・シーン」に思いを馳せること。平和という永遠のテーマを追い続けたトランボの、何としても作り上げたかったこの一作が高らかに謳い上げる人間讃歌に、もはやハリウッドには到底不可能な、アメリカ映画の良心をみるのだ。
  日頃、ニュースなどで「戦争」に馴らされた我々は、発表される戦死者数や残酷な映像から、ややもすればそこに「即死」を見い出してはいないか?  原作の元になった実話の英軍将校は苦しみながら十五年間生きた。
  無数にあった、否、今もある夥しい数の難死。阿鼻叫喚の地獄図。20世紀、そして今も、無数のジョーがこの地上に存在するのだ。我々はジョーから答えを迫られているのである。まだその愚行を続けるのか?と。