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担へ銃 <になえつつ>
  (1918年 アメリカ)
  監督: チャールズ・チャップリン
  原題: SHOULDER ARMS
  主要舞台: フランス
    「ラヴ・チャップリン! 短篇集 コレクターズ・エディション」
DVD発売中:¥4,935(税込)
発売元:朝日新聞社
販売元:ジェネオン エンタテインメント
提供:日本ヘラルド映画/朝日新聞社
©Roy Export Company Establishment

  1914年の映画俳優デビュー(監督デビューは短編十二作目から)から四年。チャップリンは、キーストン、エッサネイ、ミューチュアル、ファースト・ナショナルと所属映画会社を一年毎に変えながら、夥しい数の優れた短篇の発表により、その人気を不動のものにしつつあった。そしてその四年間というのは、世界中を巻き込んだ第一次大戦の時期とピッタリ符合する。ロンドンの貧民窟で生まれ育ったチャップリンの直感力は、「支配する者」に対する嫌悪から発した社会諷刺、深い人間描写へと、その作品の質を充実させてゆくのであった。
  そんな中、チャップリンは、1917年のアメリカ参戦を横目で睨みながら、初めての戦争パロディに着手した。それが40分の短篇、本作『担へ銃(になえつつ)』である(当初日本では『爆笑突撃隊』『兵隊さん』などのタイトルで公開)。戦時下のアメリカで戦争パロディを作ることには周囲の猛反対があったようだが、チャップリンは断固として本作の制作に踏み切った。
  「戦争は悲惨を極めていた。容赦ない殺戮と破壊が全ヨーロッパを覆ったのだ。教練キャンプでは銃剣術……掛け声とともに突進して、敵のはらわたをえぐり、剣が抜けなくなったら、更に一発ぶちこんで、その反動で抜くという技術を教えられていた。どこもかしこもヒステリー騒ぎ。兵役忌避者には五年の実刑が科せられ、男達は一人残らず登録カードを持つように強要された。青年達は殆どみんな軍服を着ていたから、平服はそのまま屈辱の象徴だった。軍服でない青年は、登録カードの提示を求められるし、女からは、臆病者として白い羽根を贈られるおそれさえあった」(チャップリン)
  戦争の非人間性に対するチャーリー流の仮借なき告発。ファースト・ナショナル社の圧力によって物語の前後が削られ、チャップリン自身、満足出来る作品にはならなかったようだが、二十年後、第二次大戦に呼応して作られた名作『独裁者』で完成をみるチャップリンの、怒り、ユーモア、ペーソスの三位一体は、ここに萌芽を見ることが出来る。

  舞台は、第一次大戦、フランス戦線最前線の塹壕。米軍の新兵チャーリーは、下士官にいびられながら失敗ばかり。ひたすら続く「ありえない」スラップスティックの連続は、古典的ギャグではあっても今だに有効である。塹壕の泥水での就寝。敵陣の下士官を襲うチーズ。孤独なチャーリーには一通の手紙も慰問の小包も届かないのである。別の兵隊に来た手紙を肩越しに覗き見て、興奮したりうっとりしたりするシークェンスも、チャーリーだからこその哀感が漂う。
  決死隊に入隊させられドイツ軍の後方から一人攻めるチャーリー。立ち木に変装して次々にドイツ兵をノシてゆく馬鹿馬鹿しさ。遂には、フランス娘と結託して、皇帝、皇太子、元帥らを捕らえ、自軍陣地へ凱旋するチャーリーであった。

  そして最後は夢オチである。単なる戦場でのドタバタによって、厳格な軍規や英雄功名ばなしが笑い飛ばされてゆく小気味良さは、チャップリンならではの魔法。ここにあるのは「反戦」ではなく、戦(いくさ)に不向きな男による「非戦」的態度そのものなのである。本作の成功は、何よりも、厭戦気分にあった西部戦線の連合軍兵士達に熱狂をもって歓迎されたという事実によって証明されている。
  ファースト・ナショナル社の強力な命令によって削られた箇所には、チャーリーが、ドイツ軍首脳だけではなく、フランスのポアンカレ大統領、イギリスのジョージ五世、そしてアメリカのウィルスン大統領までをも逮捕するシーンがあったそうだ。走り出したら止まらないチャーリーである。
  本作のあと、短篇『サニーサイド』『一日の行楽』を作ったチャップリンは、遂に初の長篇名作『キッド』の制作に着手するのであった。絶頂期の夜明けだ。
  「文学を他の何よりも大切に考えてる人にはお気の毒だが、私はアンリ・バルビュスの『砲火』よりもチャップリンの『担へ銃』の方を高く買う」(ルイ・デリュック)

  なお、第二次大戦終結後、赤狩りの時代、非米活動委員会からの再三にわたる呼び出しを拒否し続けたチャップリンは、「私は共産主義者ではない。平和の煽動者である」と委員会に電報を打って返答している。そして、アメリカ国籍を何故取らないのか?との疑問には、キッパリとこう答えている。「私はどこの国の市民でもない。私は世界市民なのだ」