オンライン魂花時報WELCOME TO NAKAGAWA TAKASHI'S WORLD中川敬のシネマは自由をめざす!リスト > この素晴らしき世界
NAKAGAWA TAKASHI'S ALL CINEMAS GO FORWARD TO FREEDOM !
この素晴らしき世界
  (2000年 チェコ)
  監督: ヤン・フジェベイク
  原題: MUSIME SI POMAHAT
(DIVIDED WE FALL)
  主要舞台: チェコ
    DVD発売元:パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
作品名:この素晴らしき世界
価格:¥4,935(税込み)
発売中

  権力を持つ体制側の人間が頻繁に「国益」を振りかざす、そんな時ほど、我々市民は国家への厳重な監視を怠ってはならない。古今東西いかなる権力も、自分達の悪政を棚に上げて、落ち込む経済の責任を「移民」や「外国人」に転嫁し、「不穏分子」の排斥、迫害へと邁進するのである。しかし体制側の人間が守りたいのは、常に自分達の既得権益でしかない。国家が市民(体制は常に「国民」と言いたがる)を守ってくれるなどという幻想は、在住外国人を含んだ全市民の考えを反映した国家でない以上、金輪際持たないようにすることだ。
  例えば、第二次大戦前夜のヨーロッパ。当初ナチス・ドイツの暗躍を許したのは、実はヨーロッパ各国の権力者達である。彼ら体制にとって「共産主義者」「ユダヤ人」「移民」といった者達は、共通の「既得権益」を揺るがす、共通の「不穏分子(あるいはその予備軍)」でしかなかったのだ。マイノリティを排斥することによって、「国民」のストレスを束ね、誘導する。今の時代で言うならば、それは「テロリスト」という定義に、見事に収斂されている。
  その口車に乗せられてしまった夥しい数のヨーロッパ市民。今も途絶えることなくヨーロッパで制作され続ける優れた「ホロコーストもの」映画が指し示すのは、あの時代の市民の有り様への悔恨、反省、そして未来への約束、に集約される。我々は「歴史」から学ばなくてはならない。気を許すと、排他的な国家主義、ネオ・ナチの台頭を許してしまうヨーロッパに於いて、映画人、音楽人が警笛のヴォリュームを上げ続けることは、当然なことなのだ。

  チェコの若手監督ヤン・フジェベイクによる本作『この素晴らしき世界』も、フランスの『バティニョールおじさん』やポーランドの『戦場のピアニスト』などと同様に、あの忌わしきホロコーストの時代を描いた傑作だ。本作が際立っているのは、追われるユダヤ人を取り巻く「一般市民」の有り様にこそ力点を置き、政治力学上の善悪にとらわれることなく、人間の持つ闇と光に、すなおに呼応している点だ。ナチスに対して温度差のある各々チェコ人の人間臭さ。ヒトラーの戯言を信じ込むあわれなナチス党員。ただひたすら迫害を受けるユダヤ人。あくまでそこにあるのは、機械仕掛けの「政治」などではなく、各々に闇を抱えた「人間」、一人一人の尊厳なのである。
  生き抜くこと。生きもがくこと。この感動的な悲喜劇が現代に生きる我々に教えてくれることは無限にある。
  原題は「私達は共に助けあわねば」

  舞台は、ナチス・ドイツに併合されたチェコのある町。ナチスによるユダヤ人、共産主義者、ジプシー、障害者達に対する迫害が、ドイツ国内同様、中欧全域に本格化し、多くの人々が死の収容所へと送られるようになる、地獄の序章だ。
  主人公のヨゼフは妻マリエと二人暮し。仕事で事故に遭い足を悪くしてからは、家に閉じこもりきりである。子宝に恵まれないことをお互いが自分のせいだと思い込んでいる、そんな夫婦である。
  1943年のとある日、ヨゼフの許に、ポーランドの収容所を脱走して来たユダヤ人青年ダヴィドが逃げ込んでくる。戦前、ダヴィドの父親の部下であったヨゼフは、妻マリエと相談して、彼を家のシェルター(物置き)へ匿うことにするのであった。
  ユダヤ人逃亡に手を貸すことが見つかれば極刑である。一夜の宿を貸すのも、シェルターに匿い続けるのも、ヨゼフ達には等しく危険であり、なまじダヴィドが外で捕らえられでもしたら、かえって危険が及ぶのである。正義の為だけではない。自分達の為にもダヴィドを匿うしか選択肢の残されていないヨゼフとマリエであった。
  しかし難問は、ヨゼフの家へ頻繁に訪ねて来る、かつての部下でナチス協力者のホルストだ。ホルストは、マリエに想いを寄せており、何かと理由をつけては唐突に土産持参でヨゼフ宅を訪問するのだ。
  かくして始まった恐怖の生活。当然、表向きナチスに迎合しているように見せなければならないヨゼフは、ホルストが世話した、ユダヤ人から財産を没収するような仕事に、いやいやながらやむなく就くのであった。それはダヴィドの為だけではない。家族や隣近所を、ナチスによる共同制裁から守る為でもあるのだ。
  ナチス協力者として隣近所から白い目で見られるヨゼフ。ヨゼフとマリエが隠し事をしていることに気付き始めるホルスト。
  そんな生活が一年以上続いたある日、あろうことか、地位を追われたナチス将校のケプケをヨゼフ宅に住ませて欲しいと、ホルストが言う。そこで、機転を効かしたマリエは、妊娠を装い、毅然とその申し出を断るのであった。しかし、ヨゼフは診断の結果、不妊症である。夫婦に子供が出来ないことは、隣近所もホルストも薄々知っていることだ。
  崖っ淵のヨゼフは、絶望の末にとんでもない策を思い付く。ダヴィドとマリエに子供を作らそう。断腸の思いのヨゼフは、当然拒否する二人を、何とか説き伏せるのだ。生き延びる為にこの運命を受け入れなければならない三人であった。
  ダヴィドを匿って二年。ナチスは敗退し、いよいよ連合軍が町にやってきた。
  産気づいたマリエの為に医者を求めて町をさまようヨゼフ。ナチス協力者であった者達は連合軍に連行され、町に医者の姿はない。連合軍司令部で捕らえられたホルストを見つけたヨゼフは、ホルストを妻の主治医だと偽り、助け出そうとする。そしてヨゼフ自身もナチス協力者の烙印がある。ヨゼフは、自宅にユダヤ人青年を二年間匿っていたことにより助かるのであった。
  そして感動的なラスト・シーン。ヨゼフ、ダヴィド、ホルスト、レジスタンス、ソ連軍兵士達に囲まれ、無事男の子を出産するマリエであった。
  陽光の下の瓦礫の町。我が子を抱いて空を見上げるヨゼフ。バッハのマタイ受難曲<神よ、憐れみたまえ>。映写幕をはみ出さんばかりの、人生の素晴らしさがそこにはあった。

  驚くべきことに、この話は実話だ。新しい命の誕生。それは人間解放と、新たな時代の、希望の扉を開く「神」の誕生でもあった。主人公達の名前をみれば分かる通り、本作は聖書のキリスト生誕劇のパロディでもある。ラスト・シーンで、赤ん坊とマリエを取り囲む男共の、間の抜けた顔が実にいい。胸を締め付けられる、「泣き笑い」の名シークェンスである。
  人間の持つ醜さと美しさが交互に立ち現れる「非常時」。ヨゼフ、ホルスト、ダヴィドが結果的に示した信頼関係、友情にこそ、全ての苦難の解決の鍵があると、俺も思いたい。この物語が指し示すのはまさに、チェコ映画の名作『コーリャ・愛のプラハ』でも同じくみられた、積極的思考の勝利なのである。
  ちなみに本作は、チェコ国内の主要な映画賞を全て独占して大ヒットを記録、バンクーバー国際映画祭とパーム・スプリングス国際映画祭では観客賞を受賞し、全米でも大ヒットしている。
  「苛酷な時代を生きた人々が苦悩の末に取った決断を、スタイルを持たせて、思いやり深く上品に、ユーモアを交え、最高のバランスで作られている。素晴らしいとしか言いようがない」(ヴァラエティ誌)