オンライン魂花時報WELCOME TO NAKAGAWA TAKASHI'S WORLD中川敬のシネマは自由をめざす!リスト > 崖
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  (1955年 イタリア=フランス)
  監督: フェデリコ・フェリーニ
  原題: IL BIDONE
  主要舞台: イタリア

  前作『道』の成功(興行的にも)によって、一躍その名を世界に轟かせたフェリーニ。周囲から「第二の『道』」を期待されるフェリーニが、次に選んだ主題は「詐欺」(原題)であった。のらくらなペテン師三人組が繰り広げる人情喜劇は、ラスト・シーンの暗さも相まって、興行的には大惨敗。フェリーニ回顧に於いても、代表作『道』と『カビリアの夜』の間に挟まれ、決して本作が目立つということはない。しかし『崖』は「語られない重要作」だ。
  フェリーニの視線は、あくまでも底辺にいる者達の精神的葛藤に向く。本作の主要人物達も、他作同様、社会からはみ出してしまった冴えない人間達である。人を騙し金を巻き上げるペテン師達。しかし彼らもまた、苦悩を滲ませながら生きる孤独な人間達である。フェリーニは、彼らをスクリーンに放り出し、彼らに手を貸すでもなく、ただその「人生」を優しい眼差しで、観察するように活写するのだ。フェリーニがネオ・レアリスタから継承した人間主義は、人間の弱さへの共感、善悪の混濁への興味、魂の救済へと、作品を追って深化してゆくのである。
  『道』で「キ印」を演じたリチャード・ベイスハートが本作でも、詐欺師の内の一人、売れない画家カルロ(あだ名はピカソ)役で出演。また、その妻イリス役にジュリエッタ・マシーナが起用され好演を見せている。

  ある山道。自動車のナンバープレートを取り換え、僧衣に着替える男達。詐欺師のヴァルガスと三人の冴えない男達である。初老のアウグストに、売れない画家のカルロ、そしてロベルトの三人が本作の主要人物だ。
  畑の中の一軒の農家に到着する彼ら。彼らの今日の「仕事場」だ。カルロは、農家の女主人ステラに、アウグストを法王庁から派遣された僧正だと偽って紹介する。そしてアウグストは、いかにもそれらしい調子でステラに話し始めるのであった。戦時中、この辺りに死体と財宝が埋められ、財宝が見つかれば土地の持ち主のものになるのだが、それには死者の為にミサを捧げることが条件である、などなど。そして勿論、人骨と財宝(偽物)が畑の一角から掘り返され、彼らはステラにミサの代金支払いを迫るのであった。
  漫画のような詐欺手口ではあるが、信仰に厚い庶民は僧衣にコロリと騙される。こんな調子でちんけな詐欺行為を繰り返す彼らであった。
  ある日アウグストは、別れた妻との間の娘、パトリツィアにバッタリ出会う。父娘の幸福な時間。レストラン。映画館。しかしアウグストは、以前騙した男に偶然見つかってしまい、娘の目前で警察に連行されてしまうのであった。
  釈放されたアウグスト。アウグストはまたもや詐欺師仲間達と、僧衣を着て農家を訪ねる。以前同様の手口で金を巻き上げることに成功した彼らであったが、僧正だと思われているアウグストは、農夫の妻に、両足が不自由な障害者の娘に何か言葉をかけて欲しいと頼まれるのであった。仲間を車に残し、娘に会いにゆくアウグスト。
  小児まひのスザンナは家族思いの十八歳。彼の娘のパトリツィアと同じ年頃である。スザンナの心の美しさを前に、葛藤を隠せないアウグスト。
  山道。アウグストは仲間に、障害者の娘をかかえた気の毒な年寄りだったから金を取れなかった、と報告する。アウグストは、当然ネコババを疑われ、仲間達に石もて崖下に追い詰められる。そして、一人の放った石がアウグストの頭に命中するのであった。(後で返しに行くつもりだったのだろう)金がアウグストの靴の中から発見され、仲間達はアウグストを瀕死状態で放置したままその場を立ち去るのであった。
  夜明け。教会の鐘の音が聞こえる。崖を這い上がるアウグスト。山道を、薪を担いだ毋子がゆく。子供の歌う民謡。「一緒に行くよ」と母子に弱々しく声を掛け、崖の縁に手を掛けたところでアウグストは息絶えるのであった。

  フェリーニの選ぶ主要人物は常に「はみ出した」者達である。50年代に発表されたフェリーニの作品だけをみても、女たらし、嘘つき、利己主義者、ペテン師、知的障害、大道芸人、騙される娼婦、といった具合だ。特に、「騙し騙され」という善悪の混濁に、フェリーニはスポットを当てる。彼ら「はみ出した」者達を決して裁かない視線。フェリーニは、人間に内包する悲哀、愛にこそ関心があるのだ。
  「最もひどい悪意の人間の中にさえ、善性と愛の核を見つけたいという願望です。(中略)私の映画は論理から生まれたのではなく、愛から生まれたのです。そこには、強いる必要のある特別な議論もなければ、他人に押し付けなければと私が感じるようなメッセージもありません。『白い酋長』『青春群像』『道』『崖』『カビリアの夜』、全てに同じ父親がいます」(フェリーニ)
  「はみ出すこと」は道草ではない。ある者達にとってはそれが本道なのだから。