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マグダレンの祈り
  (2002年 イギリス=アイルランド)
  監督: ピーター・ミュラン
  原題: THE MAGDALENE SISTERS
  主要舞台: アイルランド
    作品名:マグダレンの祈り
税抜価格:VHS字幕、吹替:¥16,000/DVDセル:¥3,800
品番:VHS字幕:ASVX-5213 VHS吹替:ASVX-5214/DVDセル:ASBY-5211
発売元:東芝エンタテインメント株式会社
販売元:アミューズソフトエンタテイメント株式会社
©2002 PFP Films Limited

  カトリック国のアイルランドが長年、教会の厳格な性道徳教義によって、堕胎はおろか婚前交渉さえ罪とされてきたことは、広く知られているところだ。国民投票によって、憲法上非合法の人工中絶が、一定条件下での海外での手術なら許されるようになったのもつい最近、1992年のこと。離婚に至っては、1995年の国民投票で、しかも僅差で認められたところである(1990年のメアリー・ロビンソン女性大統領の誕生が大きい。就任後四年目の支持率は、なんと97パーセント!)。
  19世紀、アイルランドのダブリンに作られ、21世紀を目前にした1996年まで存続したというマグダレン修道院。その名は新約聖書に登場するマグダラのマリア(キリストに帰依した元娼婦。聖女として天国での永遠の命を約束された)に由来し、貧困から娼婦にならざるを得なかった女達を「保護収容」するという名目で作られた、いわば「更正施設」である。
  しかし時代の変化は、マグダレン修道院の隠された内実を暴露してゆく。修道院内の堕落した神父や狂信的な修道女達は、絶対的権力を振りかざし、厳格な規律の下で収容者から一切の自由を奪い去り、秘かに監禁虐待していたのであった。収容者は、ひねもす洗濯部屋での重労働に無給奉仕させられ、一切の私語厳禁、外出禁止。そこにあるのは絶対服従の奴隷生活である。そして、「不服従(自分の意見を言うことですらもそこに含まれる)」には苛酷な折檻が待っていた。
  しかも収容されていた者の殆どは、いわゆる娼婦などではなく、婚前交渉した者、未婚で子供を産んだ者、レイプされた者、男の好奇の目を引く美しさを持った者(!)などなど、何の罪も犯していない女達だ。世間から「ふしだらな女」「罪深い女」という烙印を押されたら最後、教会は勿論、社会も共同体も、果ては親族や親までもが、彼女らを収容所に押し込めようとしたのであった。
  そして、マグダレン修道院跡地の再開発建築現場からは、百三十体の女性の遺体が出てきている。
  「カトリック教会によるセクシャリティーの否定は強力で、男性には性欲は罪であると教える一方で、若い独身女性には男性に性欲を生じさせないよう身を慎むようにと徹底的に教えた。若さと女性的魅力を誇示する華美な服装、そしてダンスは堕落への前兆とされ、若い女性は“貞操を守って神の花園にとどまるか、それとも地獄に落ちるか”と問われ続けた。性道徳を守る第一責任はまず女性の側にある、という訳だったのである。(中略)いずれは家庭の中に入っていく女性達の中でも、特に性的抑圧の犠牲となりがちだったのは、若くて、未婚のまま毋となった女性達であった。彼女達は、教会と社会の教えに背き、男性を誘惑して罪の子を宿し、身を持ち崩した挙げ句、社会の爪弾きとなるのみならず、神からも永遠の罰を受ける罪人とされた」(大野光子著『女性たちのアイルランド』)

  自らを「絶対善」とする傲慢さが、愚劣な行為を正当化してゆく恐るべき権力の堕落、腐敗。本作『マグダレンの祈り』は、カトリック教会という「聖なる」絶対的権威によって迫害された女達の、悲痛な心の叫びである。

  ケン・ローチ監督『リフ・ラフ』『マイ・ネーム・イズ・ジョー』で知られる名優ピーター・ミュランは、マグダレン修道院に収容されていた女達の証言をまとめたテレビ・ドキュメンタリー『マグダレン修道院の真実』(本作DVDに特典収録)で衝撃的な実態を知り、実際の証言に基づき本作の脚本・制作に取り組んだ(監督自ら、収容者の父親役でワンシーンのみ出演)。
  「私はこの映画を、特に若い女性に見て欲しいと思っています。これが、女性や歴史的に疎外されてきた人々への、神託政治や家長制度の影響を思い起こさせるからです。この種の監禁を助長する家族や教会に対して、若い女性から多くの質問を発して欲しいと思っています。そして、カトリック教会が立ち上がり、間違いを認め、被害者に賠償し、このようなことが二度と起きないと保証する勇気を持っていると思いたいのです。問題を提起して動き出すことは簡単ではないし、そうするには教会はあまりに複雑な組織ですが、みんなが映画を見に行けば教会も映画に関心を払うでしょう」(ミュラン)

  舞台は1964年のアイルランド。冒頭、結婚パーティーで歌われる唄は、近親相姦で出産した女性を歌ったトラッド <THE WELL BELOW THE VALLEY(谷間の井戸)> である。
  ある日のマグダレン修道院。「更正」の為に収容される三人の少女達がいた。従兄弟にレイプされたマーガレット。未婚のまま赤ん坊を産んだローズ。そして「美しい」ということだけが理由で収容された孤児院育ちのバーナデット。彼女らもまた、他の収容者同様、「身内の恥」として家族や共同体から送り込まれた「無実」の女達である。
  修道女のシスター・ブリジットは、この三人を「堕落した性悪女」と断罪し、マグダラのマリアのように、祈りと労働によって神に奉仕し、悔悛するように説くのであった。
  収容された女達は、囚人服のごとき服を着せられ、洗濯部屋で、絶対服従下での重労働を課せられる。私語厳禁の監視生活。折檻はムチ打ちに丸狩り。家族とも一切会えない閉ざされた恐怖の世界は、刑務所以上の苛酷さである。
  物語は、マーガレット、ローズ、バーナデットの三人に加えて、やはり子供と引き離されたクリスピーナ、脱走を試みたウーナらのエピソードとともに進行してゆく。
  修道女らによる、「更正」に名を借りた度重なる迫害が続く。全裸にされた収容者達の、その身体を笑い物にするという驚くべきシークェンスもこれまた実話である。
  自殺未遂を起こしたクリスピーナは、マーガレットらに救われるものの、神父に猥褻行為を強制され、公衆の面前で「あんたは堕落した神父よ!」と何度も叫び、精神病院へと送られるのであった。
  弟の来訪によって、いとも簡単に修道院から出所することになったマーガレット。修道女らに立ち向かい、脱出に成功するバーナデットとローズ。本作は、あらゆる手立てをもってして人間の尊厳を蹂躙しようとする権力に、「希望 」の二文字をもってして闘い抜いた女達の、壮絶な記録である。これは中世の話ではない。今から四十年前、あの「60年代」の話なのである。

  ヴェネチア映画祭(金獅子賞)での公開当初、カトリックの総本山ヴァチカンを大激怒させた本作であったが、次々と明るみにされてゆく事実を前にしても、いまだにマグダレン修道院側は、謝罪・賠償金はおろか、迫害・虐待の事実すら認めようとしないのである。その恥ずべき愚かな姿は、醜怪なる権力そのものだ。
  そして、マグダレン修道院の悲劇は、国家、宗教のみならず、世界中の人間社会のそこかしこに存在する、「信じる者達」の腐敗した悲しき光景であるとも言えるだろう。なにしろ修道女達は自らの行為に何の疑いも抱いていないのだから。
  だからこそ、本作を貫く少女達の鋭く強い眼光は、我々観る者に問いかける。「あなたたち」は本当にそのままでいいの?  と。

  ちなみに97年、この恐るべきカトリック教会の実態に強く憤ったジョニ・ミッチェルは、 <THE MAGDALENE LAUNDRIES> (アルバム『風のインディゴ』、『ティアーズ・オブ・ストーン/ザ・チーフタンズ』に収録)に思いをぶつけている。
  「私は未婚の女性/ちょうど二十七歳になった時、シスター達の許へ送られた/私を見る男達の視線が問題にされたのだ/恥知らずな女と烙印を押され/天国には行けないだろうと思ってはいたが/非難の目を浴びる中、マグダレンの洗濯場へと放り込まれた……/いつか私もここで死んでゆく/そして土に埋められるのね、発育不全の球根のように/春が何度巡って来ようと花咲くことはない/春が何度巡って来ようと花咲くことはない」(<THE MAGDALENE LAUNDRIES>)