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殺人カメラ
  (1948年 イタリア)
  監督: ロベルト・ロッセリーニ
  原題: LA MACCHINA AMMAZZACATTIVI
(THE MACHINE TO KILL BAD PEOPLE)
  主要舞台: イタリア
    「殺人カメラ」
発売元:アイ・ヴィ・シー
〔DVD〕IVCF-2236/POS:4933672-228501
¥3,800(税抜)/¥3,990(税込)

  世界を感動させた「戦争三部作(『無防備都市』『戦火のかなた』『ドイツ零年』)」公開後、ロッセリーニは、以前とは全く異なる作劇表現を自らに賭した。1948年に撮られた、アンナ・マニャーニ(『無防備都市』)の独演が光る『アモーレ』(『人間の声』『奇蹟』の二話構成)と寓話的喜劇の『殺人カメラ』は、当時、社会派ネオ・レアリズモ(『自転車泥棒』の項参照)作品を期待されるロッセリーニにとって、「激変」を意味していたのである。
  本作『殺人カメラ』は、ロッセリーニの全作品中、極めて異例の諷刺コメディではあるが、ナチスへの抵抗、解放、廃墟のドイツと、順を追って時代と向き合ってきたロッセリーニならではの主題でもあった(よって、撮影順に観ることを勧める)。平和とともに浮上してくる「新たな善悪」、資本主義による貧富の相剋は、人々の暮らしの中にやおら影を落とし始めるのであった。
  「おせっかい、見栄っ張り、悪党、怠け者、利口、馬鹿、弱虫、横暴な奴、不平家に不満家、美人に不美人」。ここに登場する雑多な人々は、実は似た者同士であり、劇中の歪んだ笑いが人間の本質を暴露してゆくのである。

  舞台は南イタリアの小さな漁村アマルフィ。役人、代議士、網元、仲買人、アメリカ人らが利権を巡って暗躍する、そんなひなびた寒村。拡大する貧富の差は深刻だ。
  聖アンドレアの祭日、生真面目な写真屋チェレスチノは、店を訪ねてきた謎の老人から、カメラでもう一度写真を複写することによってそこに映る被写体を殺すことが出来るという不思議な能力を授かる。そしてその老人は、お前が「善人」であるなら「悪人」を殺せと説くのであった。
  その「殺人カメラ」により、町を牛耳る警察署長アゴスチノが死に、窮乏を極めていた漁民には大漁の奇跡が訪れ、政府からは村に多額の特別補助金が下りる知らせが舞い込む。正義漢チェレスチノは、あの奇妙な老人こそが正真正銘、守護神の聖アンドレアだと信じ込み、欲に溺れた我利我利亡者達を次々に「殺人カメラ」で消してゆく。写真に写る姿と同じ格好で死んでゆく哀れな「悪人」達。
  頻繁に葬儀が行なわれ、医者と司祭は大忙し。しかし、一向に「悪人」は増えてゆくばかり。事態は悪くなる一方だ。そして、正義に燃えるチェレスチノに対して医者が言う。「お前は幸せだな。善悪の区別が出来て。わしにはまだ何も分からん」
  チェレスチノは、手違いにより「殺人カメラ」で高利貸しの老婆アマリアを重病にしてしまうが、アマリアの遺産相続人が「村で一番の貧乏人三人」と指定されていたことにより、欲にかられた町の人々による騒動は俄然拡大してゆく。観光で訪れているアメリカ人によるホテル建設計画まで浮上し、癒着する町長も「殺人カメラ」の餌食に。チェレスチノによる、「正義の殺人」は止まる気配がない。
  そんな中、例の老人が現われ、実は自分が、地獄の能力査定に落第して昇天出来ない下っ端悪魔なのだと告白する。チェレスチノは彼に十字の切り方を教え、改心した悪魔は、死んだはずの「悪人」達を生き返らせるのであった。

  強欲な高利貸しの心ある遺言。正義に燃える写真屋の殺人。ロッセリーニは、時に反転する悪と正義を示し、一個の人間に内包する善悪の混濁に光を当てているのだ。
  本作で「神」と「神秘」を描いたロッセリーニは、「レアリスタのロッセリーニが社会主義を捨てて神に走った」という類いの批判を浴びた。しかし彼は、神も信仰も持っていないことをハッキリと明言している(よってDVDの解説も間違っている)。彼にとって本作は、観る者の意識に沿った作劇への試みであり、一種の戯れ、実験であった。そして、子供の頃に愛したコメディ映画へのオマージュでもあり、笑いによる人間主義宣言でもあったのだ。
  なお本作の制作は、資金切れや、イングリッド・バーグマン主演『ストロンボリ』の撮影などにより、中断を余儀なくされ、四年を経た1952年にようやく公開に漕ぎ着けている。