オンライン魂花時報WELCOME TO NAKAGAWA TAKASHI'S WORLD中川敬のシネマは自由をめざす!リスト > イン・ディス・ワールド
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イン・ディス・ワールド
  (2003年 イギリス)
  監督: マイケル・ウィンターボトム
  原題: IN THIS WORLD
  主要舞台: パキスタン
    DVD:¥3,990
品番:ASBY-5215
発売元:東芝エンタテインメント
販売元:アミューズソフトエンタテインメント

  全世界に1400万人いるといわれている難民。そして驚くべきことに、1979年のソ連軍侵攻以来、アフガニスタンから流出した難民の総数はなんと700万人(アフガンの人口の三分の一!)である。その内、隣国パキスタンで暮らすアフガン難民は270万人。2001年10月7日以降、アメリカのアフガン攻撃がこの地域にいかなる苦難をもたらしたのかは、火を見るよりも明らかだろう(『カンダハール』の項参照)。
  その中でも圧倒的な数の難民を抱えるパキスタン北西辺境州の州都ペシャワール(国境の町の意味)では、約100万人もの人々が劣悪な生活環境の下、苛酷な難民生活を余儀なくされている。ペシャワールに活動の拠点を置くボランティア医師の中村哲氏(ペシャワール会現地代表)は言う。「難民キャンプでは、死が日常的に隣り合っていた。弱い子供は下痢で簡単に落命した。戦死の報が毎日家々に届けられた。(中略)私は彼らとしばらく寝食を共にしたが、配給の小麦粉も遅れがちで、絶対的なカロリー不足のように思われた。それでも、人々がいつも陰鬱な思いで日々を過ごしていたわけではない。(中略)私達の手持ちの食糧が切れると、空腹をかかえるキャンプの住民が、乏しいパンを分ち合い、食を共にしてくれた。冷えた薄いナンと水のようなスープも、団欒のひととき、楽しい会話が味付けになった。栄養失調の子供達は死ぬまで明るかった」

  『ゴー・ナウ』『バタフライ・キス』『ウェルカム・トゥ・サラエボ』などの傑作で知られるイギリスの映画監督マイケル・ウィンターボトムは、イギリスのドーバー港で不法入国を試みた中国人五十八名の死体がコンテナ内で発見されるという衝撃的事件に強く心を痛め、綿密なリサーチ、数々の実話に基づいて、ペシャワールからロンドンへの、六か国6400キロの道中を命懸けで亡命する少年の物語、本作『イン・ディス・ワールド』を制作した。ウィンターボトムとスタッフが下見の為にパキスタンに入ったのは、なんとアフガン空爆の直後。身の危険を感じながらの制作、実際の難民達による「演技」が、本来フィクションである本作にドキュメンタリーと見紛う程の迫真性を与えている。

  「前回の選挙の後に、誰もが難民や亡命者の話をしていた。まるで価値のない人間みたいに言い、彼らに対する反感や偏見が、英国をはじめヨーロッパ全土に急激に膨らんでいった」「新聞で難民に関する事件を読むと、彼らがこの国(英国)に来るまでの信じられない程の努力が分かる。彼らの旅にもし同行したら、彼らを応援したくなるだろうな、と思ったんだ」(マイケル・ウィンターボトム)
  得体の知れない「人の運び屋」。密入国業者。国境警備隊。検問所。故郷を初めて出る二人の若者の、生命力を試すかのような苛酷な旅を、我々観る者も共有することになるのである。

  冒頭の舞台はペシャワールのシャムシャトウ難民キャンプ。十五歳のジャマールは、この難民キャンプで生まれ育ち、一日一ドルの賃金の為にレンガ工場で働いている。
  2002年2月のある日、二十代の青年エナヤットが将来の為に、父親の勧めで、親戚の暮らすロンドンへと亡命することになり、英語が話せる従弟のジャマールもその危険な旅に同行することとなる。死と隣り合わせの長旅ではあるが、ロンドンでの新しい人生を夢見る二人は、危険な陸路の旅を選択し、西方、イラク国境へと向かうのであった。
  バスでクエッタに到着した二人は、旅行業者の案内でトラックに乗り込み、国境の町タフタンへと向かう。車窓には荒涼とした砂漠が広がっている。途中、検問所で尋問を受けるも、ジャマールは、エナヤットが父親から餞別で貰ったウォークマンを勝手に賄賂として差出し、逞しいところを見せる。大人気なく怒るエナヤット。
  二人は、密入国業者達の指示に従いイラン入国を果たすも、テヘラン行きのバスが検問に遭い、再び軍人達と共にトラックでパキスタン国境へと戻されるのであった。
  二人が何とかテヘランへ到着したのは2002年の4月12日。なけなしの金でアイスクリームに食らい付く二人。五日間のテヘラン滞在のあと、オレンジの箱に囲まれトラックの荷台でイラン辺境のクルドの村へ。ジャマールは、クルドの村の子供達とサッカーをしたり、新しいスニーカーを貰ったりして、徐々に笑顔を取り戻すのであった。クルドの村の心温まる交流シーンは、元々脚本にはなかったもの。実際、撮影中にスタッフが受けたクルド人からのもてなしによって、急遽追加されたシークェンスということだ。
  次なるトルコへの国境は苛酷な雪山である(『遥かなるクルディスタン』の項参照)。国境警備隊の銃撃をかわし、命からがらトルコへ入国。羊と共にトラックの荷台で揺られ、イスタンブールに到着したのは4月29日。
  イスタンブールで、二人は金物工場の臨時バイトにありつく。知り合った仲間の難民達と貨物輸送用コンテナに押し込められ、四十時間、暑さと酸欠の船旅はイタリアのトリエステへ。しかし、もがき苦しんだエナヤットら大人達は、トリエステ到着時には絶命していたのであった。
  一人になったジャマールは、ブレスレットを売り歩きながら二週間ほどトリエステで過ごし、女性から盗んだ金で汽車に乗り、フランスの赤十字サンガド難民キャンプへ。ドーバー海峡。目的地は目と鼻の先である。
  6月6日、ジャマールは難民キャンプで仲良くなったユシフと共に、長距離トラックの車底に身を隠し、ユーロトンネルを抜けてロンドンへ。
  カフェで皿洗いをするジャマール。国際電話で家族にロンドン到着を伝え、エナヤットがもう既に「この世界(IN THIS WORLD)」にいないことを報告する。
  ラスト・シーン。ロンドンのモスクで神に祈り続けるジャマールの姿がある。

  映画完成後、ジャマール役を演じたジャマール・ウディン・トラビは、撮影スタッフに内緒で、期限ギリギリの撮影用ビザを使い、なんと実際にロンドンへ単身亡命したのであった。彼の難民保護申請はイギリス政府によって無情にも却下されたが、特例として十八歳の誕生日までロンドン滞在を許可され、今現在、ロンドンのパキスタン移民の家庭に身を寄せているそうだ。

  監督のウィンターボトムは、インタヴューでことあるごとに本国イギリスの難民政策を非難しているが、難民鎖国日本の残酷な実態を知ったら、きっと驚き呆れ返ることだろう。
  2001年、日本政府に難民申請をした人は353人。なんとその中で難民と認定された人は26人に過ぎないのだ。二十年以上前から難民受け入れを約束した国連難民条約に署名しているのにも拘らず、だ。勿論この数は先進諸国で断トツのワーストNO.1。ちなみに同年、同じ島国で国土の狭いイギリスは19100人の難民を受け入れている(アメリカ28300人。ドイツ22720人。カナダ13340人。フランス9700人。イタリア2100人。これらは一年間の数字だ。日本は二十年間に291人しか難民認定していない!)。
  そして、日本で難民と認定されなかった場合、「退去強制手続き」というものが始まり、通常、難民達は「不法入国・滞在」とされる外国人と共に、入管の収容所に犯罪者として収容されるのである(収容は無期限で、一年以上の長期間、収容されることも珍しくはない)。日本での強制収容は、難民達にとって、本国での迫害に加え二度目の迫害となり、新たな精神的・身体的苦痛を与える、あまりに残酷で差別的な施策だ。日本の強制収容所で、自殺未遂を図る難民達が後を絶たないのである。
  国際的に難民を、危険な母国に追い返してはいけないということが、難民条約上確認されているのだが、日本は、このノンルフールマンの原則(難民を生命又は自由が脅威にさらされる恐れのある領域へ送還してはならないという原則)にも拘わらず、難民と認定されなかった難民達に強制退去命令を出し、危険な母国に無理矢理送還しているのである。実際に、母国に送還された後、殺されてしまった難民や行方不明になってしまった難民が多くいる。
  国際貢献?  多国籍軍?  いいかげんにせえ!
  ホンマに情けない国や!!