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木靴の樹
  (1978年 イタリア)
  監督: エルマンノ・オルミ
  原題: L'ALBERO DEGLI ZOCCOLI
(THE TREE OF THE WOODEN CLOGS)
  主要舞台: イタリア
    『木靴の樹』
発売元:東北新社
価格:¥3990(税込)
DVD発売中

  「この驚くべき素晴らしい作品、私がこよなく愛するこの作品は、ごく稀な、真の叙事詩である。というのも、壮大な愛の物語でも、冒険に満ちた旅の物語でもなく、戦争も、死も(哀れな豚やガチョウは別として)現れないにもかかわらず、この傑作は堂々たる素朴さで、人間が経験することの本質に苦もなく達し得ているのだから」(マイク・リー)

  19世紀末、北イタリアの寒村で貧困に喘ぎながらも逞しく寡黙に生きる小作人達、四家族の、一大絵巻とも言える圧巻の三時間。それは、映写幕狭しと詰め込まれた、土に生きる者達の力強い「生」に、ただただ引き込まれる至福の映画的時間だ。ミレーの描いた『落穂拾い』や、住井すえの小説『橋のない川』などを想起させる、まさに悠々とたゆたう大地の唄である。
  本作『木靴の樹』にプロの俳優は一切出てこない。本物の農民達を、太陽の自然光とロウソクの実際光だけで撮影し、素人だからこそ表現しうる素朴さがかえって観る者に独特な臨場感を与えるのである。物語に全体を貫く劇的な筋がある訳ではなく、ここには、四季の移り変わり、窮乏の中を力強く生き抜く日常が、いくつもの断片的な挿話として放り込まれているだけだ。
  舞台のベルガモ地方はオルミの故郷であり、本作の脚本は、彼が子供の頃に祖母から聞いた農民達の過酷な生活の話がベースになっている。ドキュメンタリーと見紛う程の迫真性は圧倒的だ。

  イタリア北部、ポー川流域、ベルガモ地方のとある寒村の分益小作農場に、小作人の四家族が住み込みで生活している。農場の土地は勿論、住居も畜舎も道具も、それこそ樹木の一本まで全てが地主の所有物で、収穫物の内の三分の二を地主に持っていかれるという、苛酷な隷属的搾取構造に組み込まれている彼ら小作人である。世紀の変わり目の、まさに典型的な封建社会の光景だ。
  敬虔な信仰。出産。親子喧嘩。病気の牛の看病。とうもろこしの刈り入れ。トマトの栽培。粉ひき。屠殺。四家族の団欒。はしゃぐ子供達。合唱される唄。お爺ちゃんの話。捨て子と新婚夫婦。祭り。祈り。雨。雪。朝霧。一日。一日。一日……。バティスティ家を筆頭に、彼ら四家族の、日常の暮らしぶりや巡りゆく季節が、ひたすら淡々と活写されてゆく。
  バティスティ家のミネク少年は、神父の説得により、六キロ離れた小学校へ毎日通っている。ある日、彼の履く木靴が壊れてしまい、不憫に思った父親は、農場のポプラの樹を切り倒して、秘かに新たな木靴を作ってやるのだ。しかしやがて、地主にこのことが伝わり、バティスティ家は、どうすることも出来ない仲間達を背に、農場を追放されてしまうのであった。
  未だ暗い早朝。涙のミネク少年。農場を去る荷馬車と、彼らをこっそりと見送る小作人達の悲痛な姿で、物語は閉じる。

  『自転車泥棒』のデ・シーカを敬愛するオルミならではの見事な演出、リアリズム。オルミ自身による監督・脚本・撮影(編集)の三位一体が、冷徹に、微細に、即物的に風物を描写する積み重ねによって、この壮大な叙事詩、アンサンブルは生命の普遍を照らし出すのだ。
  映画の物語進行に於いて、挿話の内のどれかが特に重要性を帯びることはない。しかしここには、通奏低音のように、生の充溢がある。寡黙、質実、簡素さから立ち上る雄弁な唄がある。呼吸、共同体の絶唱があるのだ。
  時折挿入される、労働者、社会主義者の演説シーンが、農場を追い出されたバティスティ家の未来、時代の大きなうねりを暗示している。そう、闘いの夜明けでもある。