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僕のスウィング
  (2002年 フランス)
  監督: トニー・ガトリフ
  原題: SWING
  主要舞台: フランス
    発売:日活株式会社
© PRINCES FILMS -2002
発売中
価格 ¥3.990(税込み)

  アフリカ大陸南部、東アジアなど一部の地域を除いた、世界の殆どの国々に散在する「ジプシー」。その総人口は推定八百万人ともいわれているが、移動性の強い民族でもある彼らの正確な人口調査は不可能である。そして、その半数の数百万人はヨーロッパに点在しており、しかも同化せずに暮らし続けている彼らの有り様は、ジプシー文化を理解する上でとても重要だ。
  「ジプシー」の源流は、6世紀から7世紀にかけてインド北西部から西方へ移動を開始したといわれており、トルコやギリシャを経て、14世紀頃にはバルカン半島、東欧に到達していたことが知られている。15世紀後半からヨーロッパ各地での迫害が激しくなり、放浪生活を余儀なくされた彼らの移動は、マージナルにヨーロッパ全域へと広がっていった。
  「ジプシー」という呼称の語源は、西欧人側からの誤解に基づいた「エジプトから来た者達」を意味し(エリザベス1世時代に「EGYPTIAN」が「GYPTIAN」に短縮され、最終的に「GYPSY」になったそうだ)、そこにある差別的な含意を払拭する為に、今では総称的にロマ(ロムは単数形。人の意)と呼ばれることが多い。
  ヨーロッパ各地に分散し、その各々が独自の文化を築いてきた「ジプシー」に対する通称は地方により様々である。フランスでは彼らを指す総称にチガーヌがあり、一般的に、東欧系はロマ、スペイン系はヒターノ、放浪系はボヘミアン、フランス南部ではジタン、フランス北部(ベルギー、オランダ)ではマヌーシュ(フランスに十数万人いるチガーヌの内、推定二万人がマヌーシュ)と呼ばれている(ちなみに、ドイツではシンティやツィゴイネル、イタリアではツィガーノ、イギリスではジプシー、アイルランドではティンカー、トラヴェラーなどの通称がある)。

  スペイン・アンダルシア出身のロマを母に持つ映画監督トニー・ガトリフは、常に彼自身のルーツであるロマ文化、ヨーロッパ全域に散在するロマ文化へのこだわりを、その渾身の作品に投影し続けてきた。インドからスペインにわたるジプシー・ミュージックの映像詩『ラッチョ・ドローム』。ルーマニアのロマを描いた『ガッチョ・ディーロ』。スペイン・アンダルシアのフラメンコを取り上げた『ベンド』などなど。そして、ガトリフの常なる主題は、その豊饒なジプシー音楽にこそある。

  各地に於いて独自の文化を築いてきた漂泊の民は、古来のジプシー文化を継承しつつも、在地の文化や風土と融和しながら、絶妙な混血文化を形成してゆく。ことを音楽だけにみても、スペインのフラメンコ、南フランスのルンバ・フラメンコ、ルーマニアの東欧ロマ・ミュージック、バルカン諸国のブラス・バンドなどなどの、多種多様な有り様が知られるところだ。そうした中、本作『僕のスウィング』で取り上げられているのが、ジャンゴ・ラインハルトで広く知られる、マヌーシュ・スウィング(ジャズ・マヌーシュ、あるいはジプシー・スウィング)である。
  マヌーシュ・スウィングは、本来のジプシー音楽に、スィング・ジャズや土着トラッドをゴッタ煮した、マヌーシュ(ロマ)達の軽快なギター・ミュージック。以前、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットがフランス・ツアーで全国各地を巡演した折も、ありとあらゆる場所で、この精緻で軽やかなスウィング・ミュージックに出会ったものだった。アイルランド同様、「世界レベル」がその辺にゴロゴロといる、といった感じなのだ。
  本作ミラルド役のチャボロ・シュミットは実際、ロケ地ストラスブール(フランス北東部)在住のミュージシャンで、その神業的フレットさばきを、劇中でも存分に堪能させてくれる。

  舞台はフランス北東部、ストラスブールのある町。
  夏休みの間、ストラスブ−ルの祖母の家に預けられた十歳の少年マックスは、酒場で演奏しているマヌ−シュ・ギターの名手ミラルドの軽やかなギター・プレイに心を奪われ、どうしてもギターが欲しくなる。
  マックスは、彼らマヌーシュ達の暮らす郊外のトレーラー・ハウスを訪れ、ギターを売っているマヌーシュの娘スウィングから、自分のウォークマンと引き換えに粗悪な中古ギターを押しつけられるのだ。それでもマックスにとっては宝物だ。彼はミラルドに直接ギター・レッスンを交渉し、文盲のミラルドの代わりに手紙を代筆する条件でギターを教わることになるのであった。
  ギター・レッスンの為に連日マヌーシュの集落に通いつめる「育ちのいい」マックスにとって、この夏休みの日々は十二分に刺激的な冒険の日々であった。秘密の抜け道。森での遊び。陽気で自由なマヌーシュ達の演奏パーティー。楽しいギター・レッスン。そして、スウィングに淡い恋ごころを抱くマックスであった。
  ある日、「頭が痛い」とレッスンをさぼり気味のマックスに、ミラルドは言う。「音楽を身に付けるのは譜面からではない。心と耳からだ」
  そして、マヌーシュの老婆がマックスに語る昔話は、本作中最も重要な場面の内の一つだ。「私らは追われた。まるで狩人に追われるように。戦争が始まると、旅も、音楽すらも禁止された。ある日曜の朝、連中は、私ら家族を外に出して並ばせた。男も女も子供達も全員だ。ドイツ兵に周りを囲まれて、トラックに乗せられた。今も忘れない。あの銃の煙……。母さんは料理をしてた。連中は私らを収容所へ。そこではナチの奴らが私らを取り囲んだ。それから眺め回して、あざ笑った。家畜のように扱って。それからあの瞬間が……。生き残ったのは、私と弟だけ。私らは逃げた。弟と二人で収容所から。北へ歩いて、リールに着いた。でも戦闘機が……。道端で寝て……(泣き崩れる)」。
  夏休みも終わりが近付き、忍び寄る別れの到来を感じるマックスとスウィング。いつまでも一緒にいられるようにと、スウィングは、肌身離さず首に掛けていたお守りをマックスに渡す。「一緒にいられなくても、これに触れば、いつでも私のことを思い出すはず」
  そんなある日、マックスがいつものようにミラルドからギター・レッスンを受けていると、コーヒーを入れに立ったミラルドがいきなり倒れてしまう。ミラルドを突然襲った死。ロマの伝統に乗っ取って燃やされるミラルドのトレーラー、全ての持ち物。マックスとスウィングは、焼けたトレーラーの中から出てきたミラルドのギターの残骸を川に流しにゆくのであった。
  遂にやって来た別れの時。マックスは、スウィングが文盲であることを知らずに、今夏の思い出が詰まった日記を彼女に渡し、迎えに来た母親の車に乗り、町を去るのであった。
  残されたスウィングの足には燃やされたはずのミラルドの靴が。そして、読まれることのないマックスの日記が道端に残されていた……。

  この心温まる子供達の出会いと別れを、美しいあるひと夏の小さな恋の物語としてのみ捉える見方も勿論可能だが(子供の頃、常に「転校生」であった俺は、こういった子供どうしの別れを描いた物語に、実に弱いのである)、あえてここでは、監督トニー・ガトリフが世界に向けて伝えたい何がしかに触れておこうと思う。
  ガトリフ自身重要視しているシークェンス、マヌーシュの老婆がマックスにホロコーストの辛い経験を語る場面である。このシークェンスの重要性は、死を語ることがタブーであるロマにとって、自身が被った迫害、ホロコーストですら伝承される機会が少ない、という事実によって際立ってくる。失われた声に、語られない記憶に、忘れられた響きに、積極的に耳を傾けようとすること。集大成ともいわれるこの『僕のスウィング』に於いて、いよいよガトリフの本気を見た思いだ(例えば、1944年7月31日、一晩でおよそ四千人の「ジプシー」がビルケナウ・ジプシー収容所で「ガス殺」された。「ジプシーの夜」として広く知られている)。
  「収容所で命を奪われたロマは、約五十万人といわれています。この民族の規模からすればとても大きな数字です。生き延びた老人は殆どいませんでした。以来、ロマ文化の伝承問題は、非常に深刻な問題となっています。現在では一般化してきている定住化現象も文化の伝承の中断に影響しているようです。ホロコースト以降、ロマは以前のようではなくなりました。つまり、彼らは社会の進化に順応すべく従来の生き方自体を変えたのです」「ロマの文化自体は確かに賛美されていますが、ロマ民族は蔑まされている存在です。彼らはひっそりと、社会の最下層の暮しを営んでいます。私はジプシー音楽を通じて、このような現在のロマが生きていく上で向き合う苦難に関して、一般の人々がもっと意識を持つようになることを願っています。ロマ民族を映像に収めようとする監督は私一人です。ロマ民族は本当に苦しんでいる。社会は彼らなしで進化していく。ロマの文化は今、失われつつあるのです。ですから、ロマ民族に対して語ることは私の人生に於ける役割なのです」(ガトリフ)

  「文化財とは勝利者達の戦利品である。文化財と呼ばれるものが文化の記録であるならば、それは同時に野蛮の記録でもある」というヴァルター・ベンヤミンの指摘に則して言うならば、21世紀は「敗北者達」の唄が世界中に鳴り響く時代になる、と明言しておこう。何故なら、いつの世も唄は大地を這い、あまたの泣き笑いを吸収しながら、無数の後継者が詩を引き継いでゆくからである。そう、20世紀はあまりに酷すぎた。
  公式的な「歴史」を持たない、唄と記憶。トニー・ガトリフとその仲間達の「願い」は今、映画、そして音楽という形で、世界の天空を駆け巡っているのである。

  「そっとおやすみ少女よ/空と大地を恐れずに/そっとおやすみ少女よ/空と大地を恐れずに/その体を大地にあずけて/花や木々から立ちのぼる/芳香に身をゆだね/波打つ光に包まれて/そっとおやすみ少女よ/空と大地を恐れず」(ラスト・シーンで歌われる子守唄 <LA BERCEUSE〜NAMI NAMI YA SRIRA>)