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アマンドラ!希望の歌
  (2002年 南アフリカ=アメリカ)
  監督: リー・ハーシュ
  原題: AMANDLA!
: A REVOLUTION IN FOUR PART HARMONY
  主要舞台: 南アフリカ
    配給:クロックワークス
8月上旬よりヴァージンシネマズ六本木ヒルズにてレイトショー!
www.amandla.info

  唄は、音楽は、世界を変えることが出来るのか?
  もちろん!  『アマンドラ!希望の歌』がそのあかしだ!

  1948年以来、南アフリカ共和国の黒人達を苦しめてきた合法的人種隔離政策、アパルトヘイト。四十年以上もの長い間、この名ばかりの「共和国」で、本来よそ者であるはずの白人(ヨーロッパ人)は、人工の80%を占める黒人(混血カラードも含む)を「国民」として扱わず、あらゆる権利を剥奪する形で国土面積の14%の貧困地区に隔離し、迫害してきた。選挙権の剥奪はもちろん、公共施設からの閉め出し、雑婚の禁止などなど、基本的人権、人間の尊厳を蹂躙する非道な差別法のオンパレード。そうした白人政府による黒人弾圧と搾取が進められてゆく中で、自由の為に抵抗した多くの者達がその命を落としていった。
  そんな苛酷な隷属下に於いて、黒人達の最大最強の「武器」。それは、驚くなかれ、「唄」であった。選挙権もなければ、戦おうにも体制白人の持つ圧倒的武力にかなう戦力など持ちようのない黒人達にとって、唄と「誇り」こそが何よりもの武器であったのだ。日常の生活はもちろん、闘いの現場で、悲しみの渦中で、刑務所で、絞首台で(!)、あまたの唄が紡ぎ出され、不屈の魂どもを鼓舞してきたのである。

  本作『アマンドラ!希望の歌』は、南アフリカ共和国で抵抗し続けた黒人達の、無数のハナ唄から絶唱まで、ありとあらゆる唄どもが愚劣なる差別主義に打ち勝った、驚くべき、唄による革命の証言である。
  1972年生まれのニューヨーカー、リー・ハーシュ監督は、高校生の頃、大きなうねりを見せていた1980年代後半の反アパルトヘイト運動を、驚きと怒りをもって目撃した(リトル・スティーヴンと有志ミュージシャン達による<サン・シティ>、スペシャルAKAの<フリー・ネルソン・マンデラ>が発表されたのもこの頃だ)。自分も何か南アフリカの変化を助けることが出来るはずだと思った彼は、二十代の大半を南アフリカで過ごし、この長篇デビュー作になるドキュメンタリーを九年もの歳月をかけて完成させたのであった。「一番大変だったのは資金集めの問題だね。それから、何としても制作を続ける努力をすること。五年も六年も続けていると、周囲には呆れられたし、借金も増えた。その中で自分のヴィジョンを守り、この映画を完成させて世界に見せるんだと、諦めずに続ける努力をするのはすごく大変だった。失望と喜びの波に何度も出会ったよ」(ハーシュ)

  映画は、南アフリカの多くのミュージシャン、反アパルトヘイト活動家、関係者らの証言や唄、そして貴重な当時の映像によって、白人政府による愚劣なアパルトヘイトの歴史を洗い出してゆく。

  冒頭は、アパルトヘイト政策が誕生した1940年代後半に投獄されて処刑された黒人作曲家ヴァシレ・ミニの遺体が四十年ぶりに掘り出されるところだ。「ミニの声は見事な低音だった。優秀な作曲家で毎週新しい曲を作ってた。それと同時に彼は解放運動の最高の指導者でもあった。彼の唄は人を動かす力を持っていたんだ」(ジェレミー・クローニン/活動家・詩人)
  1950年代に入り、黒人はソファイアタウンのような栄えた街を追われ、指定地区のメドウランズへと強制移住させられる。「ソファイアタウンは芸術の街だったわ。でも歌手は警官から迫害されてた。音楽は人の心を動かすから、彼らは恐れたのよ」「白人の赤ん坊の乳母をしたことがあるの。赤ん坊をおぶると背中が温かくて、自分の子のようになつく。ところがその子が大きくなって、白人は言う。“我々とは違うから差別されて当然だ”。この手で育てた子が私を嘲るようになる」(ミリアム・マケーバ/歌手・文化大使)
  1950年代後半、黒人は身分証なしには居住区から出られなくなり、人々は街頭で抗議をするようになる。レジスタンス運動のリーダー、ネルソン・マンデラの登場もこの時期だ。
  1960年3月21日には、身分証携帯に抗議する数百人の黒人に対して警察が戦車で砲撃、六十九人の黒人の死者を出すシャープヴィル事件が起き、抵抗運動は鎮静化してしまう。そして1964年、ネルソン・マンデラが終身刑に。「どこかへ行くのに父と駅を通った時だった。私は字を習いたてで、駅の落書きを読んだ。“マンデラに自由を”。父に叩かれたよ。落書きを読んだだけ。“マンデラに自由を”と。字の読めない父は慌てたよ。公共の場でマンデラの名を言ったからだ。歌うことも同じだった」(デュマ・カ・ンドロヴォ/脚本家・歴史家)
  マンデラの投獄後、白人政府は十年以上、レジスタンス勢力を鎮圧し続ける。「南アフリカ人なら誰でも一度は歌った唄がある。特に70年代にはね。千年後に歴史を振り返った時、この曲は<勝利を我らに>と並び重要な唄になってる。何故なら、かつて大勢の人々がこの唄を通して触れ合い、共感したからだ」(デュマ・カ・ンドロヴォ)。それは「我々が何をした?  我々が何をした?  唯一の罪は黒人であること」とひたすら繰り返されるシンプルな唄であった。
  1976年6月16日、白人言語であるアフリカーンス語の強制を発端に、ソウェト蜂起が起こる。白人言語を拒否した子供達が殺されたのだ。「怒りが強すぎて、学生でなんかいられなかった」(タンディ・モディセ/自由の戦士)。「76年以降、若者の唄が作られるようになった。エネルギー溢れる唄が」(リンディウェ・ズールー/自由の戦士)。「状況が激化するほど、唄もより闘争的になった」(ヴュジ・マーラセラ/ミュージシャン)。「70年代、闘いが具体化してきたと感じ始めた。コツをつかみ、目標の設定が可能になり、アパルトヘイト崩壊の光が見えてきた」(デュマ・カ・ンドロヴォ)。そう、ソウェト蜂起こそが新たな革命の始まりだったのだ。
  武装闘争も活発になり、ゲリラ兵士達も唄で士気を高めた。また、違法チャンネル「ラジオ・フリーダム」の存在もあった。闘いのどんな局面にも唄があり、あらゆる現場で無数の「解放歌」が作り出されたのだ。
  レジスタンスのタンディ・モディセは、妊娠五か月の時に逮捕された。「私は警察本部に拘留された。尋問され拷問を受け、胸をつかまれ裸にされた。監房には監視カメラ。私の動きを全て監視する為よ。お腹を殴られた。尋問の最中に破水したら、監房に返され、そのままほったらかし。殺されるって思った。それで決心したの。自殺しようと。監房のトイレのそばへ行って考えた。頑張ればここで溺死出来るかもってね。でも、便器に顔を突っ込む瞬間、子供がお腹を蹴ったの。お腹を蹴られて、私の考えは変わった。“殺したいなら殺せ”。“自殺して連中に手を貸す必要はない”と。彼らは唄が嫌いだから私は歌った。まともに闘ったら勝てない。手当たり次第に歌ってやったわ。何でもね。その夜の九時頃、娘が産まれたわ」(タンディ・モディセ)
  1980年代に入り、レジスタンス運動はさらに激化。白人政府は非常事態宣言を公布する。「80年代は土曜ごとに墓地へ行ってた。若くして自警団や警察に殺された子達を埋葬しにね」(リディア・マシャバ/活動家)
  世界的な反アパルトヘイトの声とともに、抵抗する若者達は唄と踊りが一体化したジンバブエの「トイトイ」で自らを鼓舞する。「我々の唯一の武器はトイトイだった。銃も催涙ガスも最新兵器もなかったからね」(ヴィンセント・ヴェナ/活動家)。数万もの人々がトイトイを歌い踊りながら敵に突撃してゆくのである。これはすごい。「武力ではなく唄で怖がらせたんだ」(ヒュー・マセケラ/ミュージシャン)
  1990年2月11日。それはアパルトヘイト抵抗運動にとって歴史的な日であった。国際世論の高まる非難の中、遂にネルソン・マンデラが解放されたのだ。「私はひざまづいてテレビの前で泣いたわ」(ミリアム・マケーバ)
  そして1994年。黒人達にとっての初の選挙でアフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラが大統領に就任するのだ。
  「南アフリカの革命は唯一音楽で実現した革命だ。他に類を見ない」(アブドゥラー・イブラヒム/ジャズ・ピアニスト)
  彼らは実証したのだ。唄がどんな最新破壊兵器よりも強い武器であるということを!

  タイトルの「アマンドラ」は「力」。誰かが「アマンドラ!(力を!)」と言えば、みんなが「アウェイトゥ!(人々の手に!)」と答える、いわば闘いの合い言葉。パワー・トゥ・ザ・ピープル!  自由を取り戻す為の長い闘いも、最後には必ず、不屈の精神、魂の飛翔、大地の唄が勝利をおさめるのだ。
  「この映画について言えることは、南アフリカ問題についてのエキスパート、学者、ナレーターのような存在は一切出てきません。人々は自分の言葉と唄で物語を伝えていきます。だからこそ本能的な部分で感覚が伝わると思うし、とても正直な物語だと思います。唄は、人間が経験する色んなことを批評して伝えてゆく手段だと思うんです。そして、他の全ての武器は我々の手から取り上げることが出来ても、声だけは舌をひっこ抜かれない限り取り上げることが出来ないし、人々が歌うことを誰も止めることは出来ない。アメリカが起こしている現在の状況に対して、何らかの闘争や運動をしている若い人達に、この映画が手助けになるようであれば本望だと思ってます」「音楽が持つパワーと美しさを感じ、何かを変えることが出来ると知って欲しい。日本の皆さんにこの映画から刺激を受けて貰いたい」(ハーシュ)

  うたは自由をめざす。世界のありとあらゆる場所で!
  A LUTA CONTINUA!