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友だちのうちはどこ?
  (1987年 イラン)
  監督: アッバス・キアロスタミ
  原題: KHANE-YE DOUST KODJAST ?
(WHERE IS THE FRIEND'S HOME ?)
  主要舞台: イラン
    友だちのうちはどこ?
発売元:IMAGICA
価格:¥4,935(税込)
作品解説:シネフィル・イマジカ
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  今や巨匠のアッバス・キアロスタミのその名と共に、イラン映画の類い稀な素晴らしさを世界中に広めた歴史的名作が、まさに本作『友だちのうちはどこ?』である。不朽の古典とも言えるこの奇跡的な名作以降、キアロスタミは、彼が多大な影響を受けたロッセリーニやデ・シーカ、フェリーニといったネオ・レアリズモの監督達の重要作と比肩する、映画史に残る傑作を連発するのだ。
  彼の主題は常に「子供」である。1979年のイスラム革命以降イランでは、イスラム的価値観再構築の為に数々の文化的制約が課せられ、当然のように映画も厳しい検閲から逃れることは出来なかった。映画の中で具体的な体制批判や階級描写など出来ようもなく、キアロスタミは、子供社会と大人社会の相剋を描くことによって、イランという国に於ける「映画の持つ力」の可能性を追求するのであった。
  若かりし頃のキアロスタミがグラフィック・デザイナー、絵本作家であったことと、彼の映画の緻密な表現描写・観察力は無縁ではないだろう。どのシークェンスを切り取っても名作童話の断片になりうるような、夢見るような絵画的美しさは、キアロスタミ独特の演出力によるものだ。
  「私は映画という手段を使って自分の夢を再現する。そして自分の夢をみんなと分け合う。そうすることによって人々との繋がりが出来る。私の夢をあなたに見せることであなたと友達になれる。何とまれな楽しさだろう」(キアロスタミ)

  舞台はイラン北部のコケール村。ある小学校二年生のクラスで教師がみんなの宿題をチェックしている。宿題をノートにしてこないで紙片に書いてきたネマツァデは、その理由を説明するものの、全く聞く耳を持たない厳格な教師に、「今度同じことをしたら、退学だ!」と、紙片を破られながらこっぴどく叱られるのであった。

  ところがその日の下校後、ネマツァデの隣の席のアハマッドは、ネマツァデのノートを間違えて持って帰って来てしまった。さあ、大変。放置するとネマツァデは退学させられてしまう!
  ネマツァデの住むポシュテ村はコケール村から結構な距離である。何とかネマツァデにノートを届けたいアハマッドだが、難敵、大人達による数々の「妨害」が彼を襲うのであった。いくら事情を説明しても「早く宿題を済ませて、パンを買いに行って来て」と、全く聞く耳を持たない毋親。
  毋親の目を盗み、ポシュテ村まで走り着くものの、ネマツァデの住所を知らないが為に、探しあぐねるアハマッド。やっとのことで見つけたネマツァデの従兄が言うには、ネマツァデは5分前にコケール村へ行ったという。慌てて、来た道を戻るアハマッド。「困難」を象徴するかのような、急勾配のジグザグ道である。
  村へ戻った途端、今度はおじいさんに呼び止められ、煙草を家から取って来いと命じられる。アハマッドの前に立ちはだかる、大人達の容赦ない、「躾け」に名を借りた「妨害」は延々と続くのである。
  日も落ち、ポシュテ村の闇を懸命に走るアハマッド。村の物知り老人と一緒にネマツァデの家へ向かうも、またもや違う家。あきらめて帰宅したアハマッドは、晩御飯も食べずに、夜更けまで掛けて二人分の宿題を片付けるのであった。
  翌日、先生が宿題を点検する時間になっても、アハマッドは登校しない。またもや紙片に宿題を書いてきた、今にも泣きそうなネマツァデ。とその時、アハマッドが教室に入って来る。「やってあるから大丈夫」とこっそりノートを渡し、先生のチェックを何とか切り抜ける二人。チェックを受けたノートには、前日、アハマッドが物知り老人から貰った花が押し花になって挟まっているのであった。

  八歳のアハマッド役、ババク・アハマッドプールによる迫真の「演技」によって、我々観る者は、子供時代のえもいわれぬ不安に回帰し、アハマッドと完全に同化するのだ。気がつくと、アハマッドと一緒にジグザグ道の闇を走っているのである。我々一人一人の記憶の奥底にある、誰もが知っているあの不安な夜道。「人生」へと離陸する滑走路のごときジグザグの急勾配である。
  登場する大人達をどう贔屓目(彼らもまた社会の被害者である、というような)に見ようとしても、ここに展開する世界は、迫害する側の大人と迫害される側の子供の、容赦ない不断の関係性だ。決して解決することのない、結末のない物語。キアロスタミは「結末」よりも、無力な者達(子供)の永遠に続く途中経過、すなわち「人生」そのものをこそ活写するのだ。
  素人俳優達の素朴な名演も、キアロスタミ映画の重要なポイントだ。「素人は演じようとしないから個人的な部分が出る。すると映画がこれに染まってくる。これは映画にとって大切なことだ。彼らはカメラの前で演じているのではなく、生きている。監督は、演技を演出するのではなく、彼らの人生を演出するのだ」(キアロスタミ)
  なお本作は、いわゆる「ジグザグ道三部作」の一作目。本作撮影から四年後、イラク北部一帯を地震が襲い、期せずして、キアロスタミはコケール村との関係を『そして人生は続く』(1992年)『オリーブの林をぬけて』(1994年)へと発展させてゆくのであった。