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自転車泥棒
  (1948年 イタリア)
  監督: ヴィットリオ・デ・シーカ
  原題: LADRI DI BICICLETTE (THE BICYCLE THIEF)
  主要舞台: イタリア
    発売元:アイヴィーシー
〔DVD〕IVCF-2026
¥3,800(税抜)/¥3,990(税込)

  本作『自転車泥棒』は、イタリアン・ネオ・レアリズモの名作、というよりも、世界映画史上空前絶後の奇蹟とでもいった方が良い、ウルトラ級の名画である。
  ネオ・レアリズモ(新写実主義)なる定義(映画ジャンル)は、ロッセリーニの『無防備都市』(1945)公開時に産まれた。1944年、イタリアは、二十年以上続いたムッソリーニの失脚以降もナチス・ドイツの占領下にあったが、戦禍の混乱の中で作られた『無防備都市』は、素人俳優達が演じる現場主義(街頭ロケ)によって、ナチスに抵抗するローマ市民の生きざまを記録、活写した「現実」であった。公開後、観客は「これこそ新しいリアリズムだ!」と絶賛し、以降、ネオ・レアリズモという言葉が定着するようになったのである。それまでの形式主義的な映画にあった虚飾よりも、人々は、現実の抵抗、貧困、社会的矛盾、そしてそこから立ち上る人間模様を映画という表現形態に託したのであった。まさしく、それはハリウッド全盛時代の終焉でもあったのだ。
  「戦争三部作(『無防備都市』『戦火のかなた』『ドイツ零年』)」で大状況を描いたロッセリーニに対して、デ・シーカ(『子供たちは見ていた』『靴みがき』)は、復興ままならぬ敗戦国イタリアの苦悩を、社会に翻弄され苦悶する「個人」への接近描写により、リアルに表現しきった。1930年代、メロドラマのスター役者であったデ・シーカは、自らの手で「本物の映画」を作りたかったのだ。

  舞台はローマ。失業者のアントニオ・リッチは、妻と子供二人を抱えて窮乏生活に喘いでいる。ある日、職安で市役所のポスター貼りにありつくのだが、自転車所有が条件の為、妻マリアは家中のベッド・シーツを質に入れて自転車を請け出すのであった。
  二年ぶりの仕事(!)に六歳の息子ブルーノも意気揚々、一家に希望の光が差し込んだかのようにみえた矢先、ポスター貼りの初日の作業中に大事な自転車を盗まれてしまう。
  当時のイタリアは極端な物資不足で、自転車を盗まれることは、今日、高級車を盗まれることに等しい。自転車がなければまた失業だ。
  仲間を駆り出し、ひねもす必死に自転車を探す父子。健気なブルーノは父の失態をちゃんと理解している。
  失望、焦躁、苛立ち、広がる絶望感。
  父子がミサの最中、回りの制止をモノともせず教会の隅々にまでずかずかと入り込む「ドタバタ」のシークェンスがいい。いつの世も、最底辺の者に神は至って冷酷である(占い師が役に立たないシーンも重要)。
  そして遂に絶望の中、思いあまったアントニオはブルーノの目前で人の自転車を盗んでしまい、たちまち群衆に取り押さえられてしまう。
  夕暮れのローマを泣きながら歩く、屈辱にまみれた放心の父の顔を、ブルーノは何度も何度も見上げ、そっと父の手を握るのであった。

  この有名なラスト・シーンの父子の涙は、孤独で不安な我々一人一人の涙にも通づる。時代性を超越したところにある、映画史上屈指のベスト・シネマだ。ハンカチを忘れるな!
  デ・シーカは、本作を作る際に、前作『靴みがき』に関心を持ったデビット・O・セルズニック(『若草物語』『キングコング』『スタア誕生』『風と友に去りぬ』等のプロデューサー)から声を掛けられているが、資金提供の条件がケーリー・グラント(ヒッチコック映画で有名)を主演に使えというものであった為に、毅然とその話を蹴っている。デ・シーカが撮りたい絵は、「現実のイタリア」である。ケーリー・グラントは、ありえない話だ。
  なお、デ・シーカの映画人生は、60年代、『昨日・今日・明日』『ああ結婚』『恋人たちの場所』『ひまわり』などで、二度目のピークを迎えるのであった。