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トリュフォーの思春期
  (1976年 フランス)
  監督: フランソワ・トリュフォー
  原題: L' ARGENT DE POCHE (SMALL CHANGE)
  主要舞台: フランス
    「フランソワ・トリュフォー DVDコレクション」に収録
発売中
5枚組 ¥15540(税込)
20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント
作品資料:www.foxjapan.com/dvd-video

  「子供達は本当に素晴らしく、私は子供達を見ているだけで馬鹿みたいに幸せになる。私は子供達に夢中だ。もう何も出来なくなってしまうくらい夢中だ」(ヴィクトル・ユゴー)

  子供を主役に据えた映画作品に傑作が多いのは、彼ら子供達が素のままの「生きざま」をスクリーンへ投射してくれるリアリストであるからに他ならないが、大人側のきめつけによる子供の内面や無邪気さを押し付ける類いの「子供もの」が意外と多いことも事実だ。子供は鏡のように「大人」を映し出す。監督が子供を「演出」しようとする限り、作品には監督の(大人の)「生きざま」が刻み込まれるのだ。
  本作『トリュフォーの思春期』は、ドキュメンタリーではないが、子供達のありのままの姿を見事に捉えている。トリュフォーは、ハナから「演出」することを諦め、設定された「状況」の中に子供達を放り込み、ただ無邪気に、一緒になって遊び切るのである。
  親に愛されなかったトリュフォー自身の生い立ちを綴った『大人は判ってくれない』から十七年。ここにあるのは、完全に親の側に立ったトリュフォー(当時四十三歳)の、愛に溢れた温かい眼差しだ。
  トリュフォーの作品は、大きく分けて、「ドワネルもの」「恋愛もの」「子供もの」に分類出来るが、常にその基調にあるのは「愛」である。愛するとは?  愛されるとは?  トリュフォーによる回答は正に、本作中にこそある。俺はこの『トリュフォーの思春期』にこそ最高傑作の冠を与えたい。
  「単なる喜劇は撮りたくない。人生は必ずしもそれほど喜劇的ではないから。単なる悲劇も撮りたくない。人生は必ずしもそれほど悲劇的ではないから。ギャング映画は撮れない。ギャングのことは良く知らないし、知りたくもないし、好きにはなれないから。同じ理由で、警官や政治家の出てくる映画も撮りたくはない。船も馬も撮りたくない。どちらも怖いから。制服の人間も撮りたくない。見るだけでも鬱陶しいから。水泳、スキー、ダンスも出来るだけ撮らないようにしたい。私は水泳もスキーもダンスも出来ないし、スポーツの面白さがまるで分からないから。このようにして消去法で私の作りたい映画の主題を選んでいくと、結局は、愛の物語と子供の話になってしまうのです。もし映画監督を難破船の船長にたとえることが出来るなら、“女と子供を先に救え!”という船長の言葉を私の映画監督としてのスローガンにしたいと思います」(トリュフォー)
  原題は「おこづかい」。邦題はいただけない。

  舞台は、フランスのほぼ真ん中にあるティエールという小さな町。人口わずか一万七千人。昇降の激しい、子供達を活写するに相応しい山岳地帯の町だ。   小学校の上級生クラスが二十五人、下級生クラスが三十五人(ふたクラスのみ)。託児所の幼児が四十人。夏休みの林間学校には百二十人の男女生徒が集合するので、本作の主演は約二百五十人の子供達である。トリュフォーは、夏のバカンスが始まるまでの二か月間、子供達の日常のエピソードを、誰が主役というでもなく、オムニバス的に構成してゆく。
  美容院を経営するローランのママに夢中なパトリックは、思春期真っ盛りの十二歳。父子家庭で、父親は車椅子の生活。パトリックが身の回りの世話をしている。
  転校生のジュリアンはどこか陰のある少年。先生の叱責など屁とも思っていない。
  一歳九か月のグレゴリー坊やは、飼猫をテラスまで追いかけて、なんと十階から転落。しかし奇跡的に無傷で、キョトンとしながら「グレゴリー、どしんしちゃった」。裏庭に落下したグレゴリーを見て、ママの方が気絶するのだ。
  六歳のシルヴィーは両親に叱られ一人部屋の中。空腹のシルヴィーは拡声器でアパート中の住人に届くように、「おなかがすいた!」と窓から連呼。気の毒に思ったアパートの隣人達は、ロープとカゴを使ってパンや果物をシルヴィーの部屋へ運んでやる。
  フランクとマチューの兄弟は、リシャールの散髪代をまきあげ、リシャールの頭を滅茶苦茶に刈りこんでしまう。
  そんな具合に、子供ならではの微笑ましいエピソードがひたすら続く中、夏休み直前のある日、学校では身体検査が行われる。なかなか服を脱ぎたがらないジュリアンの身体が生傷だらけであることが発覚し、彼の母親と祖母が幼児虐待の罪で逮捕されるのであった。
  学期末最後の日、リシェ先生は、教室でジュリアンのことに触れながら、クラスの生徒全員に心を込めて語りかける。このシークェンスは、不遇な少年時代を送ったトリュフォー自身のメッセージと受け止めることも可能だ。長いが以下に台詞全文を引用しよう。
  「ジュリアンほどではないが先生も不幸だった。早く大人になりたくて仕方がなかった。大人は何でも出来る。不幸なら、よそへ行って新しい生活も出来る。子供には許されない。子供には自由がない。不幸だから親を捨てるなんてことは出来ない。子供は不幸を親や大人のせいに出来ない。大人に許されることが子供には許されない。実に不当な仕打ちだ。このような不正と闘わなければならない。世の中は変わっていくが、すぐには変わらない。政府は何事にも妥協しないと言うが、実際には色々な圧力に妥協ばかりしている。みんなの要求が強いと何かが変わる。そのことがやっと分かり、人々は街に出て叫び始めた。大人はその気になれば、闘って自分の生活を変えることが出来る。自分の運命も。しかし子供はその闘いに参加出来ない。ジュリアンも君達も。その理由は、子供には選挙権がない。選挙権があれば子供も政治家に尊重される。冬は一時間遅く学校が始まる制度も作れる。先生は、実は学校が大嫌いだった。だから学校が好きになれる仕事を選んだんだ。教師の仕事を。生きることは苦しい。苦しみに耐えなければならない。自分の苦しみにも、他人の苦しみにも。子供時代に苦しんだ者ほど生命力に恵まれる。幸福にも恵まれる。生きるのはつらいが、人生は美しい。生きている喜びは、健康な時には分かりにくい。体が動かなくなった時に初めて分かる。……明日からは夏休みだ。初めての土地に行き、初めての人に出会う。9月の新学期にはみんな上級だ。それに来年からは男女共学だ。それから、やがてみんなも子供を持つ親になる。子供を愛する親になれ。子供を愛する親は子供にも愛されるはずだ。人生とは、愛し、愛されることだ。人間は愛がなくては生きられないものなんだ。では、みんな、楽しい夏休みを」
  待望の夏休み。パトリックは、林間学校でマルチーヌという可愛い女の子と出会い、回りのひやかしの中、ついに初めてのキスを経験するのであった。

  両親から「お前は私達の子供ではない」とののしられながら育ったトリュフォー。本作に於いてもトリュフォーは徹底的に子供の味方だ。それは感動的なほどに。
  トリュフォーは語る。「ここに収めたエピソードには、愉快な話もあれば、深刻な話もあり、ふざけた調子の話もあれば、残酷な話もある。しかし、全体としては、子供達は色々な危険に晒されながらも、常に生の女神に祝福された存在であり、危険を乗り越えてゆくだけの逞しい生命力を授かっているのだということを強調したい」
  抵抗する子供達に祝福あれ!

  なお、二か月の撮影期間中に、出演した子供達が残した数々の笑える逸話は、映画評論家山田宏一氏の名著『フランソワ・トリュフォー映画読本』にあるトリュフォーのインタヴューに詳しい。