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キプール <勝者なき戦場>
  (2000年 イスラエル=フランス=イタリア)
  監督: アモス・ギタイ
  原題: KIPPUR
  主要舞台: パレスチナ
    発売元 エスピーオー
品番 OPSD-S076
価格 ¥4,800(税込み¥5,040)

  「戦場には絶望しかなかった。助けても、助けても兵士は死ぬ。徒労感が澱(おり)のように溜まる。銃の音はノイズにしか聞こえない。言葉も最小限になる。感情がどんどん削げ落ちる」
  これは、イスラエルの映画作家アモス・ギタイの言葉だ。ギタイは、第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)で、イスラエル軍の負傷兵を病院に運ぶ後方支援部隊に配属され、二十三歳の誕生日に、搭乗した赤十字のヘリコプターがゴラン高原でシリア軍に撃墜され九死に一生を得るという、苛烈な経験を持っている。彼は、この体験を契機に、歴史を背負わざるをえない「個人」を表現する為の手段として映画という表現を選んだのだが、遂に積年の思いが実現し、彼の強烈な体験・記憶は自伝的本作『キプール』に結晶したのである。
  ヨム・キプールとは、ユダヤ教徒にとって聖なる贖罪の日。非宗教的な世俗派ですら断食を行う、イスラム教徒にとってもラマダンである1973年の10月6日、エジプト・シリア・アラブ連合軍は、第三次中東戦争で失ったシナイ半島奪回、イスラエル撃滅の為に、イスラエルの全活動が停止するこの日に奇襲を掛けたのであった。国連決議により休戦するまでの十七日間に多数の死者・行方不明者(イスラエル3020人、エジプト6054人、シリア3100人、アラブ連合軍407人)を出したこの戦争は、二十世紀最大級の戦車戦といわれ、米ソ両大国を巻き込んだ核の危機すら叫ばれ、ここ日本には第一次石油ショックという形で多大な影響を及ぼした。
  ひたすら続く戦場のぬかるみ。もがく兵士達の顔、身体。ジリジリと長回しされる、敵が写されない悲痛な戦場シーンは、体験に裏打ちされた迫真性をもってして観る者を圧倒する。一切のセンチメンタリズムを排した、ドキュメンタリーさながらの疑似体験。ギタイは、最前線でもがく個人の恐怖を共有させようとするのだ。

  ワインローブとルソは、兵役に従事することになっている特別部隊を探して、ゴラン高原を車でゆく。ラジオからは、国防軍の非常事態宣言。エジプト・シリア両軍が突然イスラエルに奇襲侵攻してきたのだ。混乱する市民。右往左往する軍人。耳をつんざく爆撃音が近付く中、二人は通りすがりの軍人からメトゥーラへ戻れと言われ、引き返すのであった。
  翌朝、ラマト・ダヴィド航空基地に向かうクロイツナー軍医と出会い、二人は、本来の部隊から離れ、空軍の救急部隊へ入ることを決める。中尉のルソは、即ヘリコプターでの救命任務の責任者に任命され、負傷兵や撃墜されたパイロットなどを救出する活動に従事することになるのであった。
  二人と軍医らを乗せた救命ヘリコプターは、負傷者救出の為に、ゴラン高原の最前線と病院との間を連日ひねもす往復する。爆音、叫び、重傷者、死者、恐怖、疲労、無力感……。時間の感覚は徐々に薄れてゆき、阿鼻叫喚の地獄図の中の、ひたすら任務を遂行せんとする男達の姿を、長回しのカメラが写し出す。連続する長時間のワン・シークェンスというより、引き延ばされた「瞬間」という印象だ。そこに敵の姿はない。写されるのは、極限状態にある男達の姿のみである。
  不眠が続くワインローブ。仲間のガダッシは恐怖のあまり錯乱状態に陥る。
  ある日、任務から引き返す彼らを、突然、衝撃が襲う。シリア軍のミサイルがヘリコプターに直撃したのだ。パニックに陥る機内。副操縦士の意識は既にない。ヘリコプターは地面に叩きつけられ、煙が立ち上る機内から、命からがら脱出した彼らであった……。

  最後まで明かされないこの戦争の本質。本作のストーリーから戦争の全体像をなかなか掴めない観る者は、苛立ちながら、戦場の本質だけを突き付けられ、説明過多な「戦争もの」にはない、逡巡しながら映写幕を凝視せずにはいられない体験、を強いられるのだ。
  冒頭とラストにある、原色の絵の具に混濁する性交シーンは、そのまんま、困惑するイスラエルの日常のメタファーである。国家の為に動員されるあまたの青春は、時間を止められたまま混色の海に放り出され、呻吟し悶え打っているのだ。愛を引き裂く断絶として、いつも戦争は青春の前に立ちはだかる。
  反シオニストのアモス・ギタイは、たびたび現代イスラエルの矛盾をその作品中に描き、1982年から11年間、亡命者としてパリで過ごすことを余儀なくされている。「映画はハンバーガーのように、皆に好まれる作品であるべきではない。対象との間に対話を作るメディアだ」(ギタイ)。イスラエルでユダヤ人が反戦を訴えることの困難を、ギタイの表現活動がそのまんま示しているかのようだ。