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まぼろしの市街戦
  (1967年 フランス=イタリア)
  監督: フィリップ・ド・ブロカ
  原題: LE ROI DE COEUR (THE KING OF HEARTS)
  主要舞台: フランス
    品番 KKDS-86
発売元 IMAGICA
販売元 紀伊國屋書店
本体価格 ¥4,800(税込価格¥5,040)
KING OF HEARTS © 1967 Fildebroc S.A.R.L. All Rights Reserved.
Package Design
2003 MGM Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

  西欧社会にとっての1960年代。それは、第二次大戦後に生まれた世代による価値観転覆、因襲打破の時代到来を意味し、何よりも、軍事解決や宗教的共同体を信じる前世代に対して、若い対抗文化がオルタナティヴな確信を持った時代であるということに尽きる。
  東西冷戦、アジア・アフリカ旧植民地の相次ぐ独立、そしてそれに附随する、既得権に恋々とする西欧列強の非道な侵略戦争。アフリカン・アメリカンらの権利闘争。
  先の大戦に関わって開き直りや自己弁明の必要がない新たな世代は、それがある種気分的厭戦感によるものであったにせよ、旧世代の野蛮な植民地型の言動に対して、はっきりと否定の姿勢を示してみせた。世界的な波浪のうねりが生んだ、大規模なデモ、ロックンロール、ニュー・シネマなどの登場は、その最たるものとして後の世代にも確実に受け継がれている。
  ベトナムの民衆が米軍による非道な無差別爆撃に晒されていた1967年、ヌーヴェルヴァーグの余波の中からこの荒唐無稽な反戦ブラック・コメディは登場した。トリュフォーやシャブロルの助監督を経た娯楽派監督フィリップ・ド・ブロカは、この奇想天外なカルト・ムーヴィーで正気と狂気のボーダー・ラインを無効化し、最前線の軍事衝突を茶化すことによって、人間の根源的存在論にまで踏み込もうとしている。
  公開当初、本国フランスで完全無視の憂き目にあった本作は、大西洋を越え、ベトナム反戦運動の渦中にあるアメリカのカレッジでカルト的に支持された。

  1918年10月、収束に向かう第一次大戦。独軍占領下にある中世の城塞都市、北フランスの小さな町が舞台だ。
  撤退を決めた敗色濃厚な占領独軍が、鐘の時報時計と連動した大型時限爆弾を広場に埋め(深夜0時に作動する仕組み)、その作戦を知った理髪師(レジスタンス)の通報により、町中の住民は素早く避難する。しかし理髪師は、英軍(スコットランド連隊)に暗号連絡を取っている最中、独軍兵に見つかり射殺されてしまう。
  英軍が爆破解除の斥候に指命したのは、通信兵(伝書鳩係)チャールズ・プランピック二等兵(アラン・ベイツ)。任命理由は、フランス語が出来る「死んでも構わない」一兵卒であるということに過ぎない。
  中途半端に残された暗号は「サバは芋が好き。騎士の鐘が合図」というもので、その情報だけを手懸りに無人の町へ出たプランピックは、「サバ」「芋」「騎士」の解明に急ぐのだ。町なかで、撤退間際の独軍と鉢合わせしてしまった彼がとりあえず逃げ込んだ建物は、お互いを男爵、将軍などと呼び合う大勢の「精神病患者」が残された精神病院で、その開け放たれた門から、全員町へ繰り出すことになるのであった。
  かくして、本作のドタバタは始まる。
  無人の町で自由な彼らは、公爵、司教、将軍、ラガーメン、娼婦、床屋、サーカス団長など、各々思い思いの格好に仮装し、逃げ出したサーカスの動物達と共に、町を占拠してしまう。

  降り注ぐ陽光。美しい町並み。空家での乱痴気。猛獣の往来。無垢な魂が躍動する狂乱劇はひたすら美しい。
  そして、なかなか含蓄のある言葉を吐いたりもする。「司教」は説教だ。「信徒諸君、淑女の皆様。人生は涙の谷。我々は叫びと共に生まれ、溜息と共に世を去るのだ。人の嘆きを見て神がお喜びになると?  何を隠そう、我らが王国、彼の国は喜びなのだ。怒りは砂漠に於いて、ほとばしる水を抱く。そして空。……空は鉄格子の中にいる囚人の帝国である」
  彼らの王様に祭り上げられたプランピックも、虚実の境界線を越え、狂宴に加わる。
  妖精のような「娼婦」コクリコ(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)に恋心を抱いた彼は、「王国の住民」の底抜けの明るさと純粋さに圧倒されながらも、彼らを見捨てることが出来ず、必死で時限爆弾のありかを探し奔走するのであった。
  プランピックは行進を先導しながら、「王国の住民」を町の外に連れだそうとするが、彼らは町を離れようとしない。
  運命の午前0時、プランピックは何とか間一髪で爆弾を処理するも、町が救われたと思った矢先、戻って来た独軍と英軍が鉢合わせし、市街戦が始まってしまう。 数メートルの距離で、お互いに「構え!  撃て!」と相討ち、両方の軍隊が全滅するという馬鹿馬鹿しさは、良く出来た戦争諷刺劇というよりも、『天才バカボン』の世界だ。良く見ると、死んだはずの兵士の屍が動いたりするのだ!(監督は明らかにそのテイクをわざと採用している)。
  この愚かな「外の世界」を眺めていた「王国の住民」は、「よく遊んだ、さあ、帰ろう」と言い残し、衣裳を脱ぎ、精神病院の中へと戻ってゆくのであった。
  一度は隊に戻り勲章を授与されたプランピックも、結局は伝書鳩を連れ、全裸姿で精神病院の呼び鈴を鳴らすのであった。 

  精神病院の内と外。何が異常で何が正常なのか。狂乱する彼らと、殺戮を続ける間抜けな兵隊。果たして「仮装」しているのはどちらなのか。
  命の尊さを訴えないこの反戦喜劇は、「正しい」と信じている者達を笑い飛ばす。「爆弾はどこだ!」と騒ぐプランピックが、患者から言われたセリフ「あんたの言っていることはよく分からん。おかしいんじゃないのか」に全てが集約されているのだ。「戦争で殺し合いをする人達の方が狂っていると思いませんか、王様」
  『まぼろしの市街戦』は大人達の為の童話であり、美しい絵本である。